神奈川県境辺りに歩く先を思い巡らし、奥沢城跡を思い出した。一度訪ねた(99.9.4)が、同窓会講演会と重なり駆け足で、城跡遺構を確かめなかった悔いが残り、再訪したい。等々力渓谷先にある珍しい狛犬や大榧木のある善養寺にも寄りたい。弟を誘おうとして神奈川からも乗り入れている東急沿線を選んだが、結局1人で歩くことになった。
九品仏と奥沢城跡 我が家から東急大井町線九品仏駅は遠くはなく1時間強である。三田線の日吉行きに乗り、大岡山駅で大井町線に乗り換えた。九品仏駅直ぐ裏手が、九品仏浄真寺。二度目だが記憶にない山門や鐘楼のある境内。都内世田谷とは思えない広さで、周囲を樹林が覆い武蔵野の名残であろう。左手の土手状の草むらが奥沢城の土塁跡で(写真上)、標識が示している。周囲を囲んでいたのであろうが、現在では僅かな痕跡である。
奥沢城は、吉良氏が城主である世田谷城の支城として、1551(天文20)年築かれ、家臣大平出羽守が城主であったが、その後北條氏の支配下になり、秀吉の小田原征伐で廃城になったという。その跡に、江戸期になって1678(延宝6)年に創建されたのが浄真寺であるが、国宝や重文の建物類は見当たらない。奈良や京都の古刹とは年代違いなのだろうか。境内奥に上品堂を挟んで中品堂、下品堂が並び、各堂には三仏が祀られ、これで九品仏かと思いながら、三堂で手を合わせ、孫達の成長等をお願いした。
裏手墓地の裏門は閉められ、また戻り境内外側を回って、奥沢住宅街を直進し、目黒通りへ出ると通りを挟んで玉川神社。ここも吉良氏が熊野神社から勧請したとある。次の満願寺も、吉良氏縁の古寺とあるが、改築のためかその雰囲気はない。
狛犬と再会 大井町線等々力駅傍踏切から、今回は渓谷へは下りないで、等々力不動へ寄りまた参拝。境内を真っ直ぐに進み渓谷先へ出て、山勘で善養寺を探す。住宅街を右折、左折すると墓地があり、多摩川土手手前に高い樹も見える。坂を下って、表門から境内に入ると、独特の狛犬が迎えてくれた(写真下)。大榧も健在で聳えている。狛犬は犬には見えず、ネット情報では、「海駝(かいだ)の坐像」で、海駝は架空の神獣・・・世界でも5つしかない珍しいもののようだ。カメラに収めた。最後のポイント六所神社が見当たらず、野毛地区をウロウロ。善養寺裏の高台に鎮座していたが、由緒書きもない社で、簡単に頭を垂れ、また往路へ出て、等々力渓谷遊歩道を歩く。都内とは思えない渓谷で、薄暗い林の下散策者は多い。ここは数度目で、150回の時や花友を案内し、また500号紀行本祝賀会の折仲間達とも歩いた(09/11/7)。最近の雨の所為か流れは多く、綺麗ではない。
渓谷を出て、等々力駅近くの往きに出会ったバス停で、東京駅南口往きバスを待つ。バスは直ぐ来て、目黒通りを都心へ走った。(2019/10/21 K.K. 1290/1300)
◇日時 2019/10/3 ◇天候 曇り ◇資料 中山権四郎「城跡ハイキング 奥沢城」平成7年146頁 ◇歩数等 15,000歩 11km 「通過時間等」自宅9:40-東急大岡山駅10:59-同九品仏駅11:05=九品仏浄真寺11:10/11:35=玉川神社11:50=満願寺12:05=等々力不動12:25=善養寺12:40=六所神社13:05=等々力渓谷13:20=等々力バス停13:30-三田線目黒駅14:08-自宅15:00 |