おくのほそ道福島医王寺から飯坂温泉へ

 私のおくのほそ道は、俳聖を追い福島へ脚を伸ばした。奥州街道沿いに多くの足跡を残しているが、アクセスの便から先ずは主な史跡の地を訪ねることにした。一泊二日の予定で、飯坂温泉に宿泊先を確保。初めての温泉で、東京、山形の中間の地にあり、今後は兄達や同級生達と交換する温泉地として利用したいと下見的にと予約した。

 飯坂線初乗車 医王寺は、福島駅から私鉄飯坂線医王寺前駅からである。東北新幹線を福島駅に降り、乗り換えた。飯坂線は初めての乗車で、スマートな車輌。地方私電は都会のお下がり電車が多いが、それではない。
 果樹園地帯を小さな鉄橋を渡りながら走る。水田は田植え済みのようだ。医王寺前駅に下車し、集落の間を医王寺へ歩く。15分程で着き、拝観料を支払い、古刹に参拝し、見学した。

 義経、芭蕉も訪ねた医王寺 医王寺は、826(天長3)年弘法大師開基とある。平安時代、当地を支配していた佐藤基治は子息継信、忠信兄弟を、平泉から平家打倒へ立ち上がった義経の従者として使わしたが、2人は屋島や京都で戦死し戻らなかったという。その後平泉に逃げ延びる際、義経と弁慶は立ち寄り、基治へ兄弟の奮戦を伝え、法要を営んだとある。当寺に3人の墓所があり、これらの故事を知る芭蕉は、1689(元禄2)年5月2日(陽暦6月18日)に訪ねた。

 本堂は古刹とは見えない普通の田舎寺風。手前左に句碑はあるが、もう文字は読めない。隣の立て札によれば、”笈も太刀も 五月にかざれ 紙幟”と詠んだ。参拝後句碑をカメラに収めた。杉並木の参道へ戻り、直進すると右手に、3人の像があり佐藤父子と思ったが、真ん中は義経のようだ(写真上)。奥の薬師堂の裏に、佐藤父子とその妻達の墓所があり簡単に手を合わせ、帰りに宝物殿へ入ると、弁慶の笈が目に付いた。芭蕉が詠んだのもこの笈のことだろう。

 飯坂温泉芭蕉記念碑 医王寺前駅から飯坂温泉へ。飯坂温泉は、有名な温泉地で、狭い山間の地に旅館と歓楽街が込み合うのかなと想像していたが、ゆったりとした温泉地で、飲食店は少なく、山は奥である。観光案内所で情報を得て、少し距離のある宿泊先へ入った。
 芭蕉縁の地は、翌朝訪ねた。駅への途中で、石段を摺上川へ降りた狭い地に記念碑はあった。当地にあった滝の湯で入浴し泊まった記念の地らしいが、現在では、別説があり、昨日温泉街を通った時あった元湯鯖湖湯(写真下)が台頭しているとある。ほそ道記には、土間に筵をしいたような貧しい家で一夜を過ごしたとあるようだ。直ぐ前を摺上川渓谷が激しく流れ、次の桑折へ芭蕉達は舟で渡ったのかと思いを馳せた。駅へ出ると、芭蕉像があった。曽良と一緒の像も多いがここは1人。昨日見逃していた。福島へ出て本日の訪ねるほそ道史跡へ向かうべく福島駅行きに乗車した。(2019/05/31 K.K. 1260/1300)

◇日時 2019/5/18  ◇天候 晴 ◇交通費 6,740円 ◇資料 「医王寺」、「飯坂温泉遊歩マップ」 ◇歩数等 10,000歩 7km

「通過時間等」自宅11:00-JR上野駅12:18-同福島駅14:15-飯坂線医王寺前駅14:35=医王寺14:50/15:30=医王寺前駅15:48-飯坂温泉駅15:55=宿泊先16:40/8:15=芭蕉記念碑8:30=飯坂温泉駅前芭蕉像8:45