夕方のテレビ放送から横須賀にあるヴェルニー公園を知った。地図で調べると、横須賀湾に面した幕末から明治期の史跡のようである。京急線駅からも近く、湾沿いで私の里歩きにはぴったり。これに伊勢佐木町と港町駅にある歌碑巡りを加えたい。いずれも京急線の駅が最寄り駅と思う。
横須賀ヴェルニー公園 京急線は我が家からは至便で、三田駅で乗換れば京急線。私は、ヴェルニー公園は汐入駅が最寄り駅と知り、京急線で横浜駅を過ぎ汐入駅に降り、駅前の交差点を歩道橋で渡った先が目指す公園であった。
ティボディエ邸、ヴェルニー記念館 公園は意外に広く、細長く湾沿いに続いていた。フランス人のティボディエ邸があり、洋館に入ってみた。横須賀製鉄所(造船所)の副首長として、明治初期にわが国で造船技術を指導した方とある。館内は資料展示館で、その頃の横須賀港を描いた絵が目に付いた。孫が勤め始めた会社らしき名称があったからだ。
係留船を眺めながら湾沿いに歩く。正面の大船は戦艦だろう(写真上)。ヴェルニー記念館は、公園の端で横須賀駅の近くにあった。フランス人のヴェルニーは製鉄所の首長として、幕末から12年間滞在し活躍したとある。高等技術者教育機関を設けて、我が国の高等技術者も養成したという。館内には、当時輸入し使用した3トンスチームハンマー等が展示されていた。
小栗上野介の貢献 園内には、ヴェルニーと小栗上野介の胸像(写真中)があった。小栗は、横須賀製鉄所建設を推進し貢献したとある。私は、幕末の勘定奉行で最後は幕府の軍資金を持って上野国に隠棲したとしか知らないが、遣米使節の1人として米国の工業化を目の当りにし、その重要性を説いて献策もしたという。偶々10月26日bs3の“英雄達の選択”で小栗のことが、幕末の先覚者、目指す徳川の近代国家として放映され、横須賀製鉄所建設もあり、幕末の偉人と知った。
伊勢佐木町から港町へ 京急線黄金町駅に下車し、右手の橋を渡り、伊勢佐木モールへ向かった。歩行者天国を歩くとほぼ想定した地に、“伊勢佐木町ブルース”の歌碑が見付かった。公園ではなく道路端に、ピアノ型歌碑が建っていた。1967(昭和42)年発売し、あの青江三奈のため息交じりの歌唱でヒットした。カメラに収めて、日ノ出町駅へ歩いた。
京急線川崎駅で、大師線へ乗り換え次の港町駅に下車。お目当ての“港町十三番地”の歌碑は南口改札先に、ひばりの写真とともにあった(写真下)。港町十三番地のご当地ではなく、レコード会社日本コロンビア社が近くにあるからの縁という。また十三番地は、実在ではなく曲調との語呂合わせからと知った。1952(昭和32)年からの大ヒット曲である。僅か5分程度の滞在で川崎駅行きの電車が来て、乗車した。(2022/10/.27 K.K. 1477/1500)
◇日時 2022/10/08 ◇天候 曇 ◇交通費1,630円 ◇資料「横須賀市自然・人文博物館アクセスMAP」 ◇歩行距離等 10,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅8:20-京急線三田駅9:25-同汐入駅10:25=ヴェルニー公園10:30/11:05==京急線汐入駅11:25-同黄金町駅12:10=伊勢佐木町ブルース歌碑12:20=京急線日ノ出町駅12:35-同川崎駅12:56-大師線港町駅13:00/13:05-京急線川崎駅13:18-三田線三田駅13:45-自宅14:35 |