太平山に登り関東ふれあいの道と交錯する

 太平山に登った。栃木県にある低山(343m)だが北関東ではハイキングのメッカになっている。頂上下の太平山神社や麓の大中寺が関東ふれあいの道(栃木県11「サクラ咲くパノラマの道」)に含まれているので、大分前だが歩いたことがあり、古刹大中寺の風雪に耐えた石段が記憶に残っている(96.11.9)。今回は栃木県出身のMさんが一緒で、彼は高校時代以来数回登っているという。

 謙信平、太平山神社 東武日光線を新大平下駅に降りて、客人神社参道から山中に入った。雨後の石段や坂道は歩きにくい。散策中の親子連れや茸狩りの男性に出会う。もう初秋でその時期なのだ。林を抜けて飛び出た地が謙信平。関東平野が一望でき、その中に小山が浮かぶようで陸の松島と呼ばれ、戦国期関東へ進出した上杉謙信も感嘆してこの名が付いたという。ベンチの一画を借りて一休み。傍には当地出身の山本有三の記念碑があった。急な石段を上り切ると太平山神社。参拝した後、社務所で絵馬を求めた。

 太平山、晃石山 神社裏手から頂上を目指す。僅かな上りで富士浅間神社に到達。三角点を探したが見付からない。ふれあいの道案内板によると山頂一帯が中世山城・太平山城跡とある。しかし痕跡は薄い。昼食にして、Mさん持参のガスコンロでみそ汁とコーヒーを戴く。手際よく支度して湯を沸かし山での食事を賑やかなものにしてくれた。
 山頂からは急降下の道。踏み跡は林の中にもあり、木々に掴まり、スピードを殺して下った。ぐみの木峠に出て、決断が迫られた。数少ない快速電車に乗るには左折して大中寺に下りることになる。しかし、次の晃石(テルイシ)山へのコースは関東ふれあい道・栃木県25「稜線をたどるみち」となっている。この際ふれあいの道を踏破しようと直進し、やや荒れた道を上って晃石山頂(419m)に着いた。ここでもおばさんグループとすれ違う。ご婦人ハイカーはどこの山でも多く、しかも皆元気である。

 晃石神社、清水寺 頂を下りると晃石神社。この先が資料にもある急坂で、初心者には下りではなくて、上りを薦めている。慎重に下れば大丈夫だろうと踏み出した。確かに急な下り坂が連続している。先程同様に、木を伝い岩角に手を掛けて下り続ける。しかしMさんとの距離は空いてしまい、やはり小生は下り坂が苦手で遅いことが実証されてしまった。この坂を上りとして歩いた場合でも決して容易いとは思えず、下りの方が楽だろうなどと考えている内に、長い坂も終わり林が切れて小さなお堂の前に出た。清水寺で、水場もあり休憩した。

 大中寺 萩の咲く林道から集落に入り、ふれあいの道(栃木県10「かかしの里・ブドウのみち」)標柱を見付けて大中寺が近いことを知る。杉林の参道から、例の石段を上がる。曹洞宗の古刹は太平山の山腹に静かに山門や本堂を構えていた。先の謙信は後北條方とこの寺で和議を結んだこともあるという。境内で小憩した後、当寺に纏わる七不思議の油坂や、崩れそうな開かずの雪隠、馬首の井戸などを眺めて、駅へ急いだ。途中、道に落ちた山栗を拾い孫達への土産にした。(2004/9/07 37/100)

追記 栃木の謙信平から大平山、晃石山と低山を歩いた。晃石山は日本百低山に選ばれていると知った(小林泰彦著106頁)。関東ふれあいの道栃木県コースと交錯していた。戦国期当地へ侵攻した謙信の名や歴史が遺り、古刹大中寺もその一つであった。再々訪は未だ叶わない。