私が登った百の名山&低山=甲信越編=「ヤナギランなど花々を堪能した入笠山」

 夏のこの時期到来を待っていた。昨夏飯盛山(2000/8/16,メシモリヤマ)でお花畑に遭遇し感動して以来、次年の再訪を待ち望み、今年の花の様子を窺っていた。山の花は一年置きじゃないか、毎年飯盛山では能がないと思い始め、中央線を挟んで反対側にある入笠山(ニュウガサヤマ)に登ることにした。

 車窓から花を眺める バスが山中に入ると道路端に咲く花が目に付き出し、前席のご婦人達が花の名前を呼び始めた。「ヤナギラン」「クガイソウ」「ウスユキソウ」など・・・。終点御所平峠近くになって、ピンクの花畑が目に飛び込んできた。バスを降りて草原に分け入るとこれが「ヤナギラン」で一帯に咲き誇り花畑を形成し、丁度満開の見頃。思わず歓声を上げたくなる程であった。

 直ぐ山頂 入笠山は頂上下までバスが入り、僅か30分という行程だ。大勢のハイカーに連なってあっと言う間に山頂(1,955m)に立った。周囲には知っているものだけでも、「マツムシソウ」「ハクサンフウロ」「ヤナギラン」が咲き乱れ、シャッターを切り続けた。昨年の飯盛山程ではないが、十分に満足できた。唯、「マツムシソウ」の花が青みを帯び、飯盛山で見たものと違う感じがした。入笠山は南アルプスの前哨の山として360度の展望ともあるが、雲が遮り遠望はない。蓼科山(7/29)といい、今年は山頂展望にはついていないようだ。

 大河原湿原へ 入笠山の花はこれで終わりではなかった。花々を眺めながら首切清水から大阿原湿原に下り、一周した。子連れ熊が出没しているとの掲示があり、びくびくしながら歩いたが湿原には花はなく期待外れ。道端に咲く様々な花、「クガイソウ」「シシウド」「ソバナ」「コオニユリ」「ヤマホタルフクロ」「アキノキリンソウ」などにカメラを向けながら、再び御所平峠下に出て右折し5分ほどの入笠湿原を見下ろして驚いた。

 そして入笠湿原 ピンク、黄色それに紫の花がそれぞれ整然と群をなして咲き競っているではないか。えっ、栽培した花畑、花壇と思ったが近づくと自然のもの。一瞬見間違う程湿原一面に三色の花が咲き揃っていた。先程来の「ヤナギラン」は桃色、黄色は月見草の色ではあったが知らない花(「クサレダマ」か)、ラベンダーのような紫花(「サワギキョウ」らしい)も見たことがなく、側のハイカーに尋ねたが首を横に振った。郊外の植物園を観賞するような気分で、湿原を巡り次々とシャッターを押し回り、出来上がる写真が待ち遠しい。
 昨年の飯盛山に続き入笠山の花に満足し、南アルプスや八ヶ岳展望は次回の楽しみにして、中央線富士見駅に戻り、諏訪の地酒御渡・氷湖の滴を傾けながら車中の人となった。
 なお、これまで標高1,000m以上の山登りには「登山記録」として来たが僅か30分弱の登りでは「ハイキング記録」とせざるを得なかった。(01/8/15 95/100)

追記  笠山は長野県も山梨県境の山であるが、最寄り駅は中央本線富士見駅で、アクセスがくない。そのため再訪は20年後になり、初夏にスズラン鑑賞に車で訪ねた(23.6.10)。

新潟直江津から信越線、羽越本線に乗る

 大人の休日俱楽部パス最終日は、北陸新幹線で上越妙高駅へ行き直江津駅へ出て、信越線で長岡駅を経由し、新津駅で羽越本線に乗り、新発田駅から新潟駅へ、である。この間の信越線は未乗車路線で、また新発田駅、新津駅区間も乗っていない。今回で、JR東日本の路線はほぼ乗り回ったことになろう。

 直江津から信越線へ 上野発10時29分の北陸新幹線に乗った。高崎より先は久しぶりで、上田、長野、飯山を経て上越妙高駅に降り、ローカル線えちごトキめき鉄道(旧信越線)に乗り換え直江津へ向かった。高田駅の次が春日山駅で、謙信の春日山城跡へと往復した地で、その方向を眺めたがどの山であったろうか。直江津駅で時間があり、駅の売店でおにぎりを求め昼食。そして“能鷹”をゲット。今回の目的の一つで好みの地酒である。

 日本海を眺める 直江津発13時25分新潟行き特急に乗車。柏崎迄は日本海沿いに北上する。柿崎駅を通過し、友人Sさんの故郷。駅前の住宅街を眺めながら、Sさんへメールしたら、もう実家はないと返信があった。海の先に佐渡を探したが見えない。佐渡おけさに、“雪の新潟吹雪に暮れて 佐渡は寝たかよ灯が見えぬ”を思い出した。車中、村上駅から直江津駅へ特急に乗った記憶が蘇り、信越線は初めてではなかった。約20年も前だが高田に就職した娘を訪ねたときである(00.4.30)。能鷹は娘の土産であった。                     

 新津駅から羽越本線 特急は速く長岡駅を経て、越後平野を走り新津駅着。この駅は磐越西線の起点でもあり、初めてではない。越後水原での白鳥見物の際も乗り換えた(19.12.7)。私は、羽越本線は秋田、新潟間と思っていたが、それが新津と知ったのは最近のこと。15時17発の列車に乗った。なんと酒田行きとある。直ぐの長い鉄橋は阿賀野川。越後水原、月岡等を過ぎて新発田駅に到着。これで羽越本線も乗り切ったことになった。隣のホームで待っていた新潟行きに乗り換えた。そういえばこの線は日新線で、羽越本線ではなかった。新潟駅から上越新幹線で帰京。地酒を出した。(2026/1/4 K.K 1627)

◇日時 2025/12/1  ◇天候 晴 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス ◇歩行距離等 6000歩 4㎞                                       「通過時間等」自宅9;30-JR上野駅10:39-えちごトキめき鉄道上越妙高駅12:41-JR直江津駅13:25-同新津駅15:17-同新発田駅15:49-同新潟駅16:22-同上野駅19:03-三田線巣鴨駅19:30-自宅20:00

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「家内の故郷・信濃小県の名峰烏帽子岳に登る」

 郷土の名峰烏帽子山 家内の故郷長野県小県郡に烏帽子岳がある。2,000mを越える高山で、地元では小学生時の登山遠足の対象となっているという。家内も5年生の時に登り、旧鹿沢温泉に泊まったとの話は何回も聞いた。隣の湯ノ丸山に登った時(96.6.29)、その名の通りの烏帽子岳を間近に見て、チャンスがあったらと窺っていた。
 今回、職場の別所温泉旅行の帰りに、烏帽子岳に登りたいと家内の実家に相談したら、家内の義弟夫妻も一緒に登ることになった。小学生以来の登山という。したがって、東部町田沢からの登り口やコース、所要時間も記憶が朧気で、一番最近登った甥の現大学生に聞き、小学生で約3時間であったというから、我々はおよそ2時間30分と見当を付ける。

 荒れた登山道 林道途中まで車で入り、少し歩いたアンテナ塔の先に登山口が見付かる。途中から家内達の母校が立てた「和(カノウ)小」の標識があるコースと合流し、標識を頼りに上る。コースは緩やかな上りの道。しかし、専ら夏季に小学生だけが利用するコースらしく踏まれた道ではない。樹林の中の道も林道を三度目に横断すると、白樺が目立つ地帯に入り、笹薮の道となる。登山道手入れの際に刈った笹が道に放置され歩き難い。間もなく石の多い草原状の中の道に変わり、頂上に近づきつつあることを感じる。突然左手奥に三角状の山が見え、初めて烏帽子岳が姿を現したと思ったら、後に手前の小烏帽子と分かる。右手から来る地蔵峠からの道と合わせる地点付近からは、2,000mの高山らしく笹薮が続き高山植物等が生い茂る草原となる。登山者が多くなり、地蔵峠や湯ノ丸山経由の者だろう。頂上に立ったら、その先に更に高い山頂が見え、小烏帽子だと知る。最後に軽い岩場を上って烏帽子岳山頂[2,065.6M]に到着。結局、登山口から3時間10分を要した。

 ゆっくり頂上へ 上記コースを約20分毎に休憩を取り、水を補給しながら、三人でゆっくりと上った。道端に落ちた栗を拾い、落ち葉の間に覗く茸を採った。今年は夏に雨が多かったので茸は豊富のようで、歩きながらも次々と見付かり、山形でアワモダシという種類の茸が多いようだ。山に咲く花も綺麗だ。可憐な白い花はウメバチソウで、笹薮の中で気品のある紫の花はオヤマリンドウ。ヤナギランは既に枯れているが、これが集団だとまた見事だ。山頂では、マツムシソウやイワインチン、ハクサンフウロを花に詳しいYさんに教えて貰う。途中でYさん、蜂に刺され心配したが大丈夫で一安心。
 山頂で、展望を楽しみながら昼食を取る。期待した八ヶ岳やアルプスまでの遠望は利かないが、近い浅間山や湯ノ丸山はすぐ先。山麓に広がる景色の中に実家の近辺が良く見え、望遠鏡を借りて、ため池などを確認する。

 地蔵峠へ下山 下山は、地蔵峠へのコースを採る。上りと違い良く踏まれた道で、1時間15分で峠着。迎えの車で家内の実家に戻り、汗を流しに町営温泉・遊楽里館に行き、早速湯に浸かって疲れを癒し、地麦酒で喉を潤す。同館庭で烏帽子岳を仰ぎ見ながら、あそこまで良く登ったと三人で感心した。(98/9/13 94/100)

追記 烏帽子岳は、隣の湯ノ丸山と並んで、家内の故郷東信の名峰で、小学生の夏山登山先のようである。麓から眺めると三角上の尖った山頂で烏帽子岳と直ぐわかる。最近家内の故郷はご無沙汰である。

群馬高崎から栃木小山へ両毛線に乗る

 JR両毛線は私には縁が薄い路線である。栃木から群馬へ北関東を横断する路線で、ハイキング以外では利用はないと思う。それでも一度は、友人と小山から高崎迄乗り切ったことがあった(18.12.30)。今回は逆方向から完乗しようと思う。調べると84.4km19駅とあり、2時間弱の乗り鉄である。栃木、群馬に重なる両毛という広域地名があるという。

 利根川渡り前橋駅 新幹線で高崎駅に着いたら、在来線ホームに小山行き列車が停車していた。早速、席を確保した。高崎駅から利根川を渡った前橋駅迄の間に、小さな駅が三つあり、その中の新前橋駅が両毛線の起点と知った。前橋駅手前から左手先に高いビルが見え群馬県庁で、私には元旦のニューイヤー駅伝のスタート、ゴールの地である。赤城の山々は前橋駅前からバスであった。      伊勢崎駅、そして国定駅を通過。社寺巡りに歩いたことがあり忠次の墓があったと思う。その帰途に小山行きに乗ろうとしたが列車時間が合わず、高崎へ戻った(20.10.3)。今回はそのリベンジでもある。桐生駅を通る。わたらせ渓谷鉄道はここから乗り換えたと思う。渓谷を染めた紅葉の時期の乗り鉄は記憶に残る(18.11.17)。

 群馬から栃木へ 栃木に入り、足利は歴史の街で数回巡ったことがある。再訪を考えているが中々である。車窓からの晩秋の風景は今一。あしかがフラワーパークは特に藤の花が有名で、二度に見物に来園した。当時は臨時駅であったと思うが、現在は2018年開業の常設駅。一度は花友を案内したことがある。
佐野駅を過ぎ、右手に聳える山は三毳山で、岩舟駅から歩いた(11.5.8)。関東平野北端の孤峰である。左手の山裾に寺を探したが見当たらない。上田秋成雨月物語の七不思議で知られた大中寺である(04.9.7)。栃木駅は東武鬼怒川線と交差したターミナル駅。大勢の高校生が乗り込み、下校時間と重なったようで車内は一変した。そして両毛線終点小山駅に着いた。

 大宮から埼京線 両毛線ホームから新幹線乗り場は近く、自由席に乗車。一昨日水戸線からと同じルートでは面白くないと大宮駅で埼京線に乗り換え、浮間舟渡駅からバスで帰宅した。(2025/12/24 K.K 1626)

◇日時 2025/12/1  ◇天候 晴 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス ◇歩行距離等 5000歩 4㎞                                       「通過時間等」自宅9;30-JR上野駅10:39-同高崎駅11:37-同小山駅13:33-同大宮駅13:59-同浮間舟渡駅14:25-自宅15:00

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「れんげつつじ咲く湯ノ丸山麓を歩く」

 360度の大パノラマに歓声 湯ノ丸山頂上(2101m)に立ち、360度のパノラマに歓声をあげる。近くは蓼科山、その左に八が岳、富士山、右に南アルプス、奥には御嶽山、そして、北アルプスは未だ雪で覆われた山が連なり、その中でも槍が岳が目立つ。振り向くと、山越しに地肌を出した浅間山が白煙を上げているのが見える。更に反対側には、その名の通りの烏帽子岳が指呼の距離だ。流石に2,000mを超えると展望がすばらしい。梅雨時に天候に恵まれたのがラッキーだ。

 レンゲツツジ満開 湯ノ丸山麓鞍部中程の鐘の塔付近から柵の中に入り、少し下ったら、れんげつつじの群落に出会う。それまで見たれんげつつじはいずれも花が疎らで、物足りない思いであったが、それが一変に飛んでしまった。赤でもない橙でもないつつじ特有の色の花が一面に咲き誇っている。早速、カメラを向ける。評判通りのれんげつつじに、今回の目的が適い、一同満足。
 今回は、近所の友人Hさんに誘われて、長野県と群馬県境にある湯ノ丸山麓につつじ狩りを楽しむ。メンバーは総勢7人。Hさんのワゴン車で新高島平を出発。心配した天候は良く、妙義山がいつもよりはっきりと見えるとHさんは言う。

 当地は家内の故郷 11時半頃に山麓の地蔵峠に着く。ここは小生にとっては確か四度目。家内の故郷の町だからだ。1968年8月に家内の実家に最初に訪れた時に一緒に登った。当時は山麓の寂しい峠であったと思うが、現在はリフトを備えたスキー場に変わり、売店や食堂、ペンション等が立ち並び、ハイカー、観光客で賑わっている。れんげつつじの名所としても知られているようだ。
 早速登り始める。スキー場を上るが結構急坂で、N先生すぐ休憩を提案。坂を上り切ると鞍部となり、つつじは咲いているが、ちらほらでいまひとつと言ったところ。途中、休憩を多めに取りながらゆっくりと上がる。山頂が見え始め、登頂して休んでいるハイカーが下から見える。小生は二度目の筈だが全然記憶にない。狭い山道で、下りのハイカーと交錯しながらも、約1時間強で山頂に到着。風があり寒いのでジャンパーを羽織る。昼食代わりのおやつを食べながら、他の大勢のハイカーと展望を楽しむ。

 高山植物を観賞しながら下山 下りは特に注意すべきことを確認して下山開始。Hさんはすい、すいと前を歩いて行くが、小生はいつものように、ゆっくり、慎重に下る。途中、“みやまはんしょう”とか言う筒型の花を付けた珍しい高山植物を観賞し、カメラに収める。鐘の塔迄戻り、牧場の柵の中に入って少し下ると、見渡す限りれんげつつじ。つつじを楽しみながら、しばし薮を漕いでつつじの中を散策。牧場主の牛に追い出された格好で、本道に戻る。当時家内の実家でもこの辺の近くに牛を預けていたことを思い出す。スキー場の急坂を下って地蔵峠駐車場へ戻った。
 その後、東部町の湯楽里館で汗を流し、姫木平の平野山荘に泊った。(96/6/29  93/100)
                        
追 記 長野も東信の東御市にある湯ノ丸山は、家内の故郷の山で数回登った。麓の地蔵峠まで車で入れるので、気軽に登れる山である。その後地蔵峠から反対側へ歩き、池の平湿原から小諸の高峰高原へ歩いたこともあった(00/07/10)。

水戸線に乗り車窓から筑波山を眺める

 JR東日本大人の休日俱楽部パス利用の2日目。都内から常磐線で水戸へ行き、水戸線を乗り切り小山から新幹線で帰京コースとした。水戸線は5年程前小山からは完乗した(19.8.11)のは覚えているが、水戸、友部からは記憶にはない。初めてではないが大分前のことだろう。水戸線は栃木の東北本線小山駅と茨城の常磐線友部駅を結ぶ50km16駅の路線。常磐線特急ひたちは水戸迄ノンストップ、ときわは主要駅停車の違いがあると知った。

 水戸駅経由 上野発13時特急ひたちに乗った。常磐線を走り、ノンストップ約1時間強で水戸駅に着いた。途中土浦から石岡辺りで、車窓から筑波山を探したが雲で今一。石岡では酒蔵を巡って、関東の灘と呼ばれていると知った。水戸で時間があり、駅前で水戸黄門と助さん、格さん像を見て、カメラに収めた。私は夕方再放送を観ている。黄門様は、諸国を漫遊し相変わらず悪代官や悪徳商人達を懲らしめ、忍者役の由美かおるや野村将希が裏で支えている。

 水戸線から筑波山展望 友部駅迄戻り、少し待って小山行きに乗車。発車メロディーが坂本九の“見上げてごらん夜の星を”であった。確か幼少期の戦時中、母の実家隣の笠岡に疎開していた縁であろう。笠間駅を通過し筑波山を眺めようと左側の車窓を睨んだ。山は見えるが山容が違うと思う。岩瀬駅付近から双耳峰がはっきり捉えられ、カメラを出し望遠にしてシャッターを切った。筑波連山縦走を試みた時 (2000.4. 1)、スタートした駅だったと思う。

 下館駅、小山駅 下館駅に着き、真岡鉄道や関東鉄道への乗換駅で、乗り鉄先だが中々実現できない。いずれも私鉄だが是非乗りたい路線である。大きな川を渡り、鬼怒川だろう。そして、結城駅を経て小山駅へ滑り込んだ。                      
 新幹線に乗り自由席だが席を確保できた。暇に任せて、スマホで水戸線を検索したら、水戸線は1889(明治22)年に開業し、その後常磐線田端 – 水戸間が開通したとある。逆だろうと思っていた。小山駅からは近く、18時過ぎには帰宅できた。(2025/12/16 K.K 1625)

◇日時 2025/11/29  ◇天候 晴 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス ◇歩行距離等 5000歩 4㎞                                       「通過時間等」自宅・・・JR上野駅13:00-同水戸駅14:37-同友部駅15:20-同小山駅16:37-同上野駅17:16-三田線巣鴨駅17:37-自宅18:10

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「雪の蓼科山に登る」

 頂上は大パノラマ 快晴下、蓼科山頂上からの展望抜群で、八ケ岳から、木曾御岳山、槍ケ岳、浅間山までの360度の大パノラマを楽しみ、山登りの醍醐味を十分に味わう。しかし、前夜来の雪の外、残雪があり、春山の厳しさに加え、登山靴の選択と地図・資料を鵜呑みにしたコース採りの誤りなどを反省する。

 雪の諏訪富士登山 蓼科山は、長野県東信地方の名峰で、コニーデ型の複式火山のため、諏訪富士とも呼ばれる。連休の後半、午後の天候回復を期待して、小雨の中自宅を出発。JR新宿駅から同茅野駅へ出ると雨はなく曇り空。途中、車窓から見た八ケ岳、甲斐駒等は下方まで白く、どうも昨夜は雪が降ったようだ。茅野からバスを乗り継いで登山口着。見上げると蓼科山もうっすらと白くなっている。笹薮の中の道をしばらく進むと林の中の上りとなる。高度を上げるに従い、新雪の量が多くなり、その中に付けられた先の登山者の足跡を辿る。こう雪が深いと道がよく分からないところがあり足跡が頼りで、先の登山者に感謝しなければならない。

 天候回復 天気が次第に良くなり青空となる。右側の展望が開け、各峰がくっきり見え、八ケ岳が手に取るようだ。沢の中の石の道となり、ゆっくり登る。バスの中から見えた頂上から縦に走る割れ目のような沢の中なのだろう。振り返ると雪を抱いた山が見える。地図によればどうも木曾御岳のようだ。先の登山者に追い付く。
 12時に、北アルプス等を見ながら昼食を取る。霧氷の林を通過すると、大きな岩石がゴロゴロとした地帯に到着。頂上が近いことを知る。既に、靴に水が浸透し始めて足が冷たい。ズック製の軽登山靴にしたのが失敗。12時44分に、2,530mに登頂、意外に多くの登山者が休んでいた。頂上は広い岩石地帯の最高部で、三角点と祠以外はなにもない。休憩をして、頂上と、360度に広がる連山の中から確認した槍ケ岳等をカメラに収める。

 慎重に下山 靴下を履き替え、ヤッケを着て下山に備える。すぐ、避難小屋で、その北側は新雪以外にも残雪がごっそり残っている。まだ5月でしかも2,500mの高山なので、当然であろう。心配して一応調べたのだが。雪の中足跡を頼りに下り始める。北側の斜面は雪一色でlm以上はあろう。子供の頃にやったかかとに重心を置いてゆっくりと下るも勢いが付き、息が切れる。13時過ぎだが、まだ上りの登山者に会う。軽装の家族連れもいる。将軍平の蓼科山荘前に到着し小憩後、再度雪道を御泉水目指して出発、林の中を抜け出して雪がなくなる迄30分以上を要した。

 バス停を探す 分岐点に着き左が番小屋への道の標識。最初から番小屋に寄るつもりで、迷わず番小屋への道を採る。しかし、倒木が道をふさぎ、最近人が通った跡が見られない程の荒れよう。そのうちに、笹薮の中のわずかな跡を進むも目印の布等も失い一度はコースを外れる。薮漕ぎをして懸命に下ると目印に出会いほっとする。地図や資料には確かなルートとして紹介してあった筈だが。車道と交わる登山口に出ると、ここにも標識がある。番小屋への道が見付からず、またうろうろ。ようやく微かな道跡らしきを探して番小屋。さらに、箕輪平への道が分からず保養施設の間で30分以上を要す。施設で道を尋ねてようやく箕輪平に向かう。途中、からまつ平のバス停でバスを待ち、白樺湖に出て、西白樺湖からタクシーを利用。18時に宿泊先の平野山荘に着いた。(95/5/5 92/100)                                   

追記 想定外の雪で難渋した山である。ゴールデンウィークで、経験者からも雪はないだろうと言われていた。それが新雪であった。8合目辺りから雪に悩まされた。それでも何とか登り切り、下山した。登山経験もなく、若さだけであった。先輩には、引き返す勇気も必要だと言われた。6年の後の夏に再登した(01.7.28)。

JR上越線で30年振りに土合駅でモグラ駅へ下る

 JR東日本大人の休日俱楽部パスの期間が来て、今回も乗り鉄を楽しもうと思う。長年の利用で、JR東日本路線内はほぼ乗ってしまい、行く先は少なくなってしまった。そんな中で、上越線土合駅のモグラ駅を思い出し、土合駅のモグラ駅へ下って上越線越後湯沢へ乗ってみたい。モグラ駅は二度目で約30年振りである(94.7.24)。

 上越線土合駅 新潟県境の群馬の土合駅は特殊な駅で、上越線の駅だが下りはモグラ駅であるが、上りは地上駅である。先に越後湯沢駅へ行き、上越線上りに乗車して土合駅に降り、地下のモグラ駅で上越線下りに乗ることにした。          
 越後湯沢駅は近く、上野駅から新幹線で1時間ちょっとであった。湯沢は未だ雪はない。土樽駅を通過し、谷川連峰蓬峠を越した際この駅から歩いた(12.8.4)。そして、清水トンネル(9,702m)へ入った。三国山脈を貫く日本一長いトンネルとして有名であったが、現在ではどうだろう。そう長いなーとは感じないでトンネル抜け、土合駅に着いた。小雨が降る中、駅舎出ると、山中ではあるが、車の停車もあり、人もいる。駅舎は近代的で積雪対策の建物のよう。寒さは感じない。

 モグラ駅へと下る 発車30分前にモグラ駅へと下り始める。乗り遅れたら次の電車迄は大分時間がある。駅舎からの連絡通路を過ぎて、下りの階段が始まった。約70m下で、486段とある。ここで30年前を思い出した。谷川岳登山後で、疲れた脚で長い階段を下った。その時、“ロープウェイ乗場を経由して土合駅着。下りのホーム迄は500段以上の階段を降り、膝がガクガクの小生はダメを押された。”と書いていた。急な階段ではないが、今回は慎重に下り続ける。段数が書いてあり、ホーム迄の位置を知ることができる。思ったより乗客は多く、若者達は追い越して行く。当地もインバウンドの影響らしい。15分弱で地下ホームに着き、待合室ベンチで休憩。

 越後湯沢駅に戻る 長岡行き電車は時間通りに到着し、乗車。また長いトンネルを走り、新潟県側へ出て、越後湯沢駅に降りた。少し待って上りの新幹線に乗り、清水トンネルへ入った。売店で、ワンカップと柿の種を求めた。現在清水トンネルは、新は上越線下り、旧は同上り、そして大は新幹線と三本あると分かった。(2025/12/10 K.K.1624)

◇日時 2025/11/28 ◇天候 曇り後小雨 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス ◇歩行距離等 8000歩 6㎞                                       「通過時間等」自宅9:15-JR巣鴨駅9:52-同上野駅10:21-同越後湯沢駅12:16-同土合駅12:41=同モグラ駅13:41-同越後湯沢駅14:49-同上野駅16:00-三田線巣鴨駅16:14-自宅17:00

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「30年ぶりに槍ヶ岳や雷鳥に再会した奥穂登山」

 松本から上高地 第一日は、松本駅のホームのベンチで仮眠。列車等の騒音で眠れない。
 第二日は、松本電鉄、バスを乗り継いで上高地に入る。登山者、観光客でごった返している。梓川河童橋付近で朝食後、コーヒーを戴いて出発。天気は上々。メンバーの一人は9度目の奥穂登山で初めての天気と、しきりに強調。左手に明神岳が見事に見える。平らな広い道を明神、徳沢、横尾と進む。列をなした登山者等も進むに連れて、次第に少なくなる。横尾で昼食。

 横尾から涸沢へ 横尾大橋を渡って涸沢に向かう。左手に屏風岩の見える緩やかな上りの道を進む。本谷橋から本格的な上りになる。途中、休憩をとりつつ、回りの山々を眺め、高山植物に見とれながら進み、ようやく涸沢雪渓下の分岐点に到着。雪渓は意外と小さい。今夏の暑さの影響だろう。涸沢名物のテント村はカラフルで綺麗だが、数が少ないようだ。 高山植物に囲まれた道を上って涸沢小屋到着。前穂、奥穂、涸沢岳、北穂等からなる岩壁が涸沢を囲むようにそそり立っている。涸沢は正に絶景だが、高い岩壁が我々の行く手を阻んでいるようで、少々怖じけづく。涸沢小屋は満員。狭いのと人の息で暑くて、なかなか眠れない。

 奥穂高登頂 第三日、本日も良い天気。雲もなく紺碧の空だ。奥穂目指して涸沢小屋を出発。ザイテングラードも順調に上る。鎖場も一カ所のみ。涸沢岳や北穂が頭の上に見える感じで、登頂者の叫ぶ声が良く開こえる。その後まあまあのペースで穂高岳山荘到着。1リットル150円の水を補給し、紅茶を戴く。ここからは、前回登山の27,8年前に登ったコースと同じ。その中でも、山荘前の鎖場、はしごは微かな記憶。余程怖かったのだろう。途中、前にはジャンダルム、後ろには槍ガ岳が見事に見える。ジャンダルムは初めてで、垂直に切り立つ岩峰とでも言おうか、山ではない。登る人もいるというから驚きだ。振り返ると槍で、約30年振りの再会だ。奥穂の頂上に立つ。
 前穂に向けて出発。吊り尾根は尾根とは名ばかりで厳しくて長い。緊張の連続で最後は疲れた。昼食後、雷鳥親子に出会う。前回も出会い、殆ど同じ場所のような記憶だ。だいぶ遅れて、前穂下の紀美子平に着く。皆疲れて前穂は断念、前回同様だ。

 紀美子平から岳沢へ下る 重太郎新道を下る。予想どおり、厳しい急降下の連続で、初っ端なから鎖場、はしご。今回は膝は笑わない。我々は、まあまあのペースで下る。それでも、休憩を多めにとったため、岳沢ヒュッテ迄、約3時間を要した。これで、今回の登山も無事帰還と言ったところ。中高年の健闘を称えて握手。下った道筋は見上げるばかりで前穂へ直登するように見え、よく下りたとIさんと二人でまた感心。麦酒を飲み、タ食後入浴をして、就寝。今夜は我々だけの個室だ。

 無事下山 第四日は、朝食後下山開始。札幌から来られた老夫婦と一緒に下る。我々とほぼ一緒のコースの登山とのこと、なかなか元気だ。若い時から鍛えられたのだろう。途中、河原を走るかもしかを発見。風穴(温度計で計ったら9度という。)を通過し、上高地到着。梓川で穂高連峰をバックにして記念撮影。
 新島島、松本、新宿を通って帰京。新島島からはうだるような暑さ。途中、韮崎駅で落雷のため約40分停車し、遅れて新宿着。新宿で反省会をして解散。お疲れ様でした。(94/8/5.6.7.8 91/100)

追伸 私の北ア奥穂登山記録である。二回目であるが、素人が良く踏破出来たものと思う。若かったからでもあろう。それでも前穂は敬遠してしまった。その後は徳本峠から眺めるだけになってしまった(15.7.25)。もう一度穂高連峰を上高地河童橋から見上げたい

江東の木場から深川仙台堀川へ歩く

 江東区の木場から深川周辺の散策情報を入手していた(「我がまち再発見木場編」25.6.12讀賣夕刊)。一度は歩いた地があり、後まわしにしていたが、この度その中からなるべく再訪の地を避け、歩くことにした。木場手前の門前仲町迄は、我が家から一度の乗り換えで済み、安近短である。木場は東西線で一駅だが、歩いても良く、バスもある。

 大横川から 大江戸線門前仲町駅で地上へ出て、バス停を探すと直ぐ来て乗車。木場駅前で降り、永代通り交差点を渡って、大横川を越し左折すると洲崎神社で、初訪ではない(20.3.25)がご挨拶にと境内に入り、手を合わせた。1700年創建の古社で、将軍綱吉の生母桂昌院縁の社とある。左手先に赤い橋が見え、大横川に架かる新田橋であった。橋上へ出てカメラに収めた。近所に住むお医者さんが夫人の供養に架けたとある。袂に船宿があり、海から離れているのにと思ったが、江戸の名残か。

 木場千年の森を探す 次は木場千年の森だが、初めての地で、まず高速下の三つ目通りを横断するのに苦労する。汐浜運河を渡って大回りし、運河右岸を行く。そうしたら千年の森の案内があり、大手スーパーの先に見付かった。庭園の中に樹林帯が広がり、地元の企業が2015年に造営し、関東在来の植物と、池には荒川に住む魚を放流したとある。私は一回りし、ビルに囲まれた大手町の森(24.10.13)を思い出した。紅へ色好き始め、癒しの緑地庭園だろう。園を出て永代通りへ戻る。

 平久川から清澄通りへ 汐見橋を渡り、平久川右岸を遡上する。木場公園の一本手前で、新地である。高速道下で左折し、富岡八幡宮の裏手から清澄通りへだが、距離があった。ようやく大通りへ出て、大きな交差点を渡ると、小津安二郎生誕の地の案内に出合う。有名な映画監督の巨匠であり、一本位は観たと思うが、遠い昔の話である。
仙台堀川へ着き、芭蕉の旅姿の像があった。芭蕉庵を処分し仮住まいした弟子杉山杉風の採荼庵から1689(元禄2)年3月27日(陽暦5月17日)千住へ下り、奥の細道へ旅立ったのであった。二度目で(19.1.23)またカメラに収めた。芭蕉庵跡へは寄らないで、大江戸線清澄白河駅へ歩いた。大横川、平久川、仙台堀川はいずれも運河である。(2025/12/5 K.K.1523)

◇日時 2025/11/24 ◇天候 晴 ◇資料「我がまち再発見 東京木場編」(25.6.127讀賣夕刊)◇歩行距離等 11000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅8:55-大江戸線春日駅9:36-同門前仲町駅9:59-木場駅前10:05=洲本神社10:10=新井橋10:15=木場千年の森10:45=汐見橋10:55=芭蕉像11:15=大江戸線清澄白河駅11:43-三田線春日駅12:00-自宅12:35

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「下りに難渋した茅ヶ岳、金ヶ岳登山」

 今夏の夏山は茅ヶ岳(1703m)とした。同山を最初に知ったのは、山里歩きを始めた頃求めた「中高年の山ベストコース」(山と渓谷社1993年118頁)からである。百名山を著した深田久弥の終焉の地であり、八ヶ岳手前で山容も似て、“ニセ八つ”とも呼ばれ山好きの間では有名な山。今年の4月武田の里を訪ねた時韮崎駅で、登山口迄一本のバスがあるとの情報を得た。Kさんに計画を話したら乗ってくれ、一緒の山行が決まった

 韮崎駅からバスで登山口へ 新宿駅7時発の特急あずさはほぼ満席で中央線を走り、韮崎駅前には深田公園行きバスが待っていた。3組の男女は終点で下車し、各々準備後スタート。直ぐ左手が深田公園。彼の急逝を忍んで設けられたという。深田の言、“百の頂に百の喜びあり”と刻んだ石碑をカメラに収めた(写真上)。次のポイント女岩付近までは、これが登山道かなと首を傾げる程の平坦な道が続く。却って先が思いやられると心配するとその通りとなった。沢になり狭くなった道が、女岩直前から山腹に絡み急登が始まった。私はKさんの後をゆっくりから次第に懸命になり付いて行く。次々若い人達が追い抜いて行くが追う必要もない。小さな肩に上がって休憩。夏山用に、本日水はボトル2本(1本は冷凍済み)を持ち、少しずつ飲んでいる。

 いきなり急登始まり、そして山頂へ 直ぐ深田が倒れた地で、小さな石碑があった。山頂は近い筈だが、岩場も露岩が出始め、時にはストックを前方へ放り、両手も使う。体重が重い上脚が短いのは不利だなと感じながら上がり続けると、頂へ飛び出した。狭い山頂では先行者グループが休憩中。曇り空で期待した展望はない。座る場所を確保し昼食とする。次々と登山者が登頂して来た。金ヶ岳へのルートを確かめ、急降下の山道を下る。何とか鞍部へ着くとまた上りで、自然の石門を潜り(写真下)、岩場上がりを続けて山頂らしき地点へ出たが、金ヶ岳(1,764m)は更に歩いた先であった。先程我々を追い抜いた一行が休憩中。バス時間もあり我々はノンストップで下山路へ入った。

 金ヶ岳下山路に難渋 狭く急な岩場の道が連続。慎重を通り越し必死に一歩一歩を確保しKさんを追う。痩せ尾根では、久しぶりに“滑落注意”の看板に出会った。途中で、先程の一行に道を譲り休憩。この時冨士や周囲の山々を眺めることが出来た。岩場は脱したが、下りの急坂は足掛かりがなく、樹の幹や枝に捕まり、凹みを探しては滑らないようストックを頼りに下り続ける。時間的には登山口だがそのような気配はない。先行者達の声も消えてしまった。
 深い山中を2時間下って、ようやく林道へと出た。ボトルは空になってしまっていた。思わず、“こんなしんどい山2度と登らない”と言ったら、Kさん、笑いながら昨年の至仏山でも聞いたセリフと。未だ下山先明野ふれあいの里は遠く、相談しタクシーを呼んだ。無事茅ヶ岳登山を果たしたが、金ヶ岳からの下りは想定外に手強く、しかも長かった。私の下りの苦手さが露呈してしまったが、それ以上に事前の調査に不十分と反省である。Kさん有り難うございました。(2014/8/3. 90/1000)
             
追記 茅ヶ岳は作家深田久弥終焉の山である。登山口や登山道の途中に碑があった。彼が著した日本百名山は登山ブームを引き起こした。登って私には、金ヶ岳経由の下山コースが記憶に残る。長い、険しいで山道あった。バス時間に間に合わず、タクシーを呼んでしまった。このような山歩きは私には極わずかな例であった。

都電早稲田駅から目白通り、音羽通りへ

 都電で早稲田駅へ行き、大名庭園肥後細川庭園、胸突き坂から目白通りへ出て、それから音羽通りへ歩き江戸川橋へが本日のコースである。殆どは再訪だが久しぶりで、懐かしいポイントも巡りたい。今回も、我がまち再発見・江戸川橋編(25.7.10,17讀賣夕刊)が参考で、都心を巡る安近短である。

 肥後細川庭園散策 三田線西巣鴨駅から歩き都電新庚申塚駅で都電とした。最近都電利用が多い。先日反対側の終点三ノ輪橋迄乗った。今回は逆方向終点の早稲田駅へ、である。JR大塚駅前を通り、池袋東側を走り学習院下から新目白通りへ出て早稲田駅に着いた。本日の最初のポイントは肥後細川庭園で、左折し神田川を渡ると前方に鳥居が見え豊川稲荷があり、先ずは挨拶。境内にケヤキの大木があり見上げた。戻って肥後細川庭園へ入園。細川家下屋敷の池泉回遊式庭園で、中心に池がある。周囲の樹々も色づき始めている。そんな中、池縁の遊歩道から土橋を渡り半周し、雪吊り風景にシャッターを切った。隣が水神社、そして胸突き坂。神社に参拝し、こちらは二本の大銀杏がご神木のよう。目白は台地で、石段坂道を上がり、上から見下ろすと急であった。

 目白グランドの思い出 目白通りへ出て、少し西へ進むと左手に高いネットが見え、運動公園。野球場2面の外テニスコート等がある。旧勤務先関係の施設で、思い出の地。上京時の約60年前職場対抗軟式野球大会があり、私も誘い込まれて出場した。その後パテント杯大会として発展し、江戸川グランドへ移り今年も62回大会が行われた。ここでの大会は4チームであったと思う。試合内容は覚えていないが、終了後の宴会で食事を御馳走になった記憶が残る。芝生となったグランドを外から眺めると文京区営とある。

 音羽通りを上下 目白通りを戻って椿山荘手前で左折し、音羽通りを目指すが住宅街で入り組み、簡単ではない。坂道を下り続け、左折すると大通りで、ここで左折したが間違っていた。鳩山会館への筈だが、逆方向へ歩いてしまい先は護国寺前のようで、慌ててUターン。両側は高台で、音羽通りは谷底のよう。講談社前を通り、大分下ったら左手に鳩山会館の進入口があった。実は二度目で(04.5.5)、御殿と呼ばれる大邸宅への長い坂道を上り館前へ着いたが、本日休館日とある。外から御殿の外観をカメラに収めた。坂道の下りで、脚がヨタヨタしてしまい歩くのが大変な状況。なんとか音羽通りを下り続け、江戸川橋のバス停を探した。本日の歩いた距離は9kmだが、下り坂の所為だろう。(2025/11/26 K.K.1621)

◇日時 2025/11/10 ◇天候 晴 ◇資料「我がまち再発見 東京江戸川橋編」(25.7.10,17讀賣夕刊)◇歩行距離等 13000歩 9㎞                        「通過時間等」自宅9:10-都電荒川線新庚申塚駅9:50-同早稲田駅10:10=豊川稲荷神社10:20=肥後細川庭園10:25=水神社・胸突き坂10:50=目白運動公園11:00=音羽通り11:25=鳩山会館11:45=江戸川橋バス停12:02-三田線春日駅12:10-自宅12:30

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「遂に登った本年目標の山・高川山」

 ここ数年目標の山の一つとして高川山を挙げていた。ゴールデンウィークを前にして、休暇中は先ず高川山を目指すことを第一目標とした。最近続いている丘陵程度の低山とは違い、本格的なハイキングコースとして覚悟した。

 山頂から展望を楽しむ 登山口富士急田野倉駅を9時10分に出発し、11時40分に山頂(976m)に立った。予想通り360度の展望が可能である。北から滝子山、扇山、倉岳山、九鬼山、御正体山、三ツ峠山と西の山まで、多くの山々が取り巻いている。丹沢や道志の山が意外に近い。これまで登った山も見える。広くない頂上で、大勢のハイカーが昼食を取りながら眺望にも目を凝らしている。その中に混じってお握りを広げ、周囲に展開する山を確かめたが、肝心の富士はまた雲の先であった。

 松倉入りコースから 上りは松倉入りコースを採った。このルートが変化に富んで一層高川山を引き立てた。登山口を見逃して30分程ロスしたが直ぐ忘れてしまった。最初は樹林帯の中の溝のような山道であったが、緩やかな上りの路傍には様々な花が咲き、蛇が歓迎してくれた。山躑躅の花を見付け足を止めて携帯のシャッターを押した。
 馬頭観音前で休憩した後、鞍部の先から急登が始まった。滑りやすい坂を過ぎると岩の多い登山道に入った。他のグループと前後しながらも、マイペースで、時々小憩を繰り返しながら一歩、一歩と進んだ。大岩を越して頂上かと思ったら未だ先で、休憩中のご婦人と顔を合わせ、照れ笑いをしてしまった。結局小さなピーク3つ,4つ越し、禾生駅からのコースを合わせてようやく高川山であった。

 麓からは独立峰のように見えるが深い山は手前に複数の峰を従えていることが多い。これでもか、これでもかと小山を越してようやく目標の山となる。山頂到達には難渋するがその分征服感が増すことになる。高川山で久し振りにそんな経験をした。資料では、当地に高川山を貫いてリニア実験線が走っているとあるが、そんな風景には出会わなかった。

 急降下が続く 下山は中央線初狩駅に下りるコースにした。こちらは杉林の中の肩幅程度の登山道。複数のルートが錯綜しているが、右へ右へと最短距離を下る。しかし、男坂と女坂では迷わず後者を選んだ。急降下が続き膝に来てしまったが歩きには支障はない。膝をガクガクさせながらの下りは、最近では、昨夏の白馬鑓温泉で経験した。崩落した箇所はロープに掴まりながら慎重に通過。12時に山頂を下り始めて、初狩駅には13時10分に着いた。上りの半分程度のコースタイムである。タイミング良く上りの電車があった。
 本日のハイキングに満足感を覚えながら帰途に就き、16時前には帰宅できた。その後2,3日脚の筋肉痛が続いた。(05/4/30. 89/100)

追記 高川山は、日本百低名山である(63頁)。1000m弱の山であったが、本格的な山に近く、山頂付近、そして下山路は難渋した。登山口は富士急田野倉駅で、下山は中央本線初雁駅であった。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「本物のお花畑を初めて見た飯盛山」

 一面満開のお花畑 八ヶ岳の麓、野辺山高原飯盛山(メシモリヤマ)に登った。お花畑に遭遇し、沢山の草花を堪能した。頂上手前、尾根から山頂に掛けて一面に山の花が咲き誇り、記憶できた花だけでも、「アザミ」「ウツボグサ」「ホタルブクロ」「フシグロセンノウ」「マツムシソウ」「アサマフウロ」「クルマユリ」「ウスユキソウ」「クガイソウ」「シモツケソウ」「コウリンカ」「ウメバチソウ」「月見草」「シシウド」など、殆どが帰宅後に調べて名前が分かった花だ。これらが山腹を占領し、赤や紫の花々が乱舞している様を見て、これがお花畑というものかと感動し、下山するのが惜しかった。これまでも夏山で花畑を通ったことは何回もあるが開花中の花は少なかった。中でも、ピンクや紫の「シモツケソウ」や薄紫の「マツムシソウ」は、山頂下から下山途中まで、大群をなして歓迎し見送ってくれた。このような時に限って修理中でカメラがない。「来年また来い。」ということであろうと考え直し、未知の花をスケッチし、メモした。オレンジ色の花「フシグロセンノウ」や濃いピンクの「アサマフウロ」など、初めて見た花が多かった。

 小海線で飯盛山へ 飯盛山は、先輩の推薦の山であった。小生が山歩きをしていると知って、数年前お会いした時、良い山だから是非にと薦めてくれた。理由は伺わなかった。そのことが頭にあり、夏休み中に出掛けることにした。前夜調べたが花が見られる山の中には飯盛山の名はなかった。八ヶ岳や南アルプスを眺めことができる360度展望の山のようである。
 新宿駅から小淵沢駅までは特急を利用し、小海線に入って清里駅で下車。夏休み中で混雑する駅前から平沢橋を渡り牧場を過ぎる。千ケ滝は次回にしカット。長野県南牧村平沢地区先から登山道に入る。林を抜けて沢のような道を上がって尾根の肩に出ると、飯盛山の頂が正面に見え、また、草原に咲く花々に出会う。肩から頂上までは様々な花を愛でながら道草したため30分も要してしまった。期待した山頂[1,643m]からの展望は雲で遮られ近くの街や麓の山野のみ。

 野辺山駅へ下山 心残りはしたがお花畑に別れて、野辺山駅に向けて下り始める。下山路も次々と野の花が現れては楽しませてくれる。平沢峠付近に下りて獅子岩を見物し、ゴルフ場から‘さかさ柏’の木に至る。戦国時、信玄が海ノ口城を攻めた際、陣を張り柏の杖を逆さに突き立てたところ根付いたという。その後は舗道歩きとなり、野辺山駅に出た。近所の少年野球を手伝っていた昭和50年頃、夏の合宿をした地である。駅舎始め駅前周辺は当時とは一変していた。小海線は初めての乗車となった。

 再訪を期待 先輩が飯盛山を薦めてくれた理由が分かった。資料に花の山として飯盛山が紹介されていないことはむしろラッキーであり、いつまでも花の宝庫のままでいて欲しいと思う。是非来夏も訪ねる。高峰高原で池の平を案内して貰った長野の義妹には早速飯盛山の話しを伝えた。(2000/8/16 88/100)

追記 飯盛山は花の山であった。花畑を巡り、眺め夏山を楽しんだ。これが忘れられなくて、二年後再訪し、またまた花々に囲まれ、カメラに収めながら山頂を上下した(02.08.10)。会津若松の史跡で有名な飯盛山はイイモリヤマだが、こちらはメシモリヤマである。飯盛山は、手許にあったJTB刊「首都圏からのハイキング」1998年124頁に登載されていたが、花の山とはない。

都内葛飾亀有にこち亀両さん像を巡る

 また購読紙の“我がまち再発見”からである。今回は、東京亀有・金町編(25.6.19讀賣夕刊)で、漫画こち亀主人公両津勘吉(秋本治作「こちら葛飾区亀有公園前派出所」週刊少年ジャンプ掲載)が活躍した常磐線亀有駅周辺である。10年前訪ねた(15.12.30)が、再訪で、我が家から安近短の地であり、念のため調べると地下鉄千代田線一本で、亀有駅である。

 亀有公園、香取神社 西日暮里駅から地下鉄千代田線に乗ると、15分で亀有駅であった。こちらは縁が薄く10年振りで、北口を出て亀有公園を探す。想定の地に小さな公園があり、ベンチで休憩している両さん像があった。Uターンし駅南口へと常磐線高架下を抜けて南口へ出て、左折し大通りを下る。環七通りで、少し先が神社の境内で亀有香取神社であった。本殿前で参拝し、家族の健康をお願いした。当社の狛犬はで、カメラに収めた。狛は浦和調神社、狛は南浦和氷川神社、狛はふじみ野水宮神社にあった。前回見逃した玄恵井という泉を探したが見当たらない。ネット検索したら現在は石碑のみらしい。

 商店街をウロウロ 環七を渡り返し駅前商店街小路ゆうロードを進み、伊勢屋商店前となる。両さんどら焼きの店とあるが、私は通り越し、両さん像を探す。手許の夕刊掲載の略図では見付からない。伊勢屋前を右折したらその先に両さん像はあったが、夕刊案内の像とは違っていたようだ。

 駅前両さん像に再会 こち亀記念館へと戻り、環七へ出ると先ほどの香取神社のはす向かいの地であったが、表からカメラに写して駅へと歩く。駅前広場で、ようやく10年前を思い出し、おおよその記憶の場所に建つ両さん像を巡った。ようこそ亀有へ像、祭り姿像、そして両さん、中川、麗子三人の像が駅前正面に建ち、カメラに収めた。
亀有駅で帰路を検討したが、柴又を通る京成線は隣の金町駅からで、結局千代田線で大手町経由の三田線とし、少し時間を要したが、乗り換えは一度で済んだ。帰宅して、本日木枯らし一番が吹いたと知った。歩きながら風を感じたが寒いほどではかったと思う。(2025/11/16 K.K.1621)

◇日時 2025/11/3 ◇天候 晴 ◇資料「我がまち再発見 東京亀有・金町編」(25.6.19讀賣夕刊)◇歩行距離等 8000歩 6㎞

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「本沢温泉から天狗岳に登り360度の展望を楽しむ」

 大展望 快晴下、標高2600m八ケ岳連峰東天狗岳山頂からの展望は360 度に展開し、存分に高山の醍醐味を味わう。槍ケ岳や穂高連峰、御嶽、浅間山は特徴ある山容から展望図なしに確認。南西には最高峰の北岳、東北には燧岳を見る。両神山を裏側から見るのは初めて。近くでは先週登った烏帽子岳、美ケ原、蓼科山等の山々を展望図と照らし合わせる。直ぐ目の前には八ケ岳の主峰・赤岳、阿弥陀岳の黒い異様な山塊が聳え、赤岳は昨年登ったこと(97.7.6)が信じられない程峻険な高峰。その陰で富士が見られないのが残念だ。これまでも、奥穂(94.8.5)や蓼科山(95.5.5)、湯ノ丸山(96.6.29)で展望を楽しんだことがあるが、それ以上の大パノラマ眺望で飽くことが無く時間が経つのを忘れる程。天候が良くとも遠望が利かないことも多く、今回は正にラッキー。西天狗岳からは諏訪湖が眺められた。

 本沢温泉から 秘湯を巡るメンバーと昨年の湯俣温泉(97.7.11)に続き、八ケ岳山中の本沢温泉を訪ねる。Iさんの車で本沢温泉第二ゲート・天狗岳展望台まで入る。途中崖崩れした箇所があり少々肝を冷やす。車を降り本沢温泉まで白樺等の林の中の道を歩き、約1時間20分を要して同温泉に到着。本沢温泉は我が国第二の高地にある温泉宿(宿の案内では、野天風呂は日本一高地2150mとのこと)で、しかも最低でも1時間歩かなければならない温泉として知られているようだ。野天風呂は宿から5分程上り、谷底にあった。風呂は小さく4,5人で一杯。しかし、頭上に硫黄岳の爆裂火口壁を見上げながら入る温泉は格別。夕食後、明日に備えて早めに床に就く。2000mを超える高地の夜は寒く布団の中で毛布にくるまった。

 天狗岳に登る 二日目 20日は天候良く、体調もまずまず。衆議一決天狗岳に登ることにする。白砂新道を予定したが、誤って先行したSさんを追って夏沢峠を経由する。結局東天狗岳まで追い付けず、我々が同岳山頂に到達した時は、彼は西天狗岳往復を済ませていた。我々も所要時間2 時間30分のところ2時間であったのだから決して遅かったわけではない。根石岳から先は森林限界を超え砂礫と岩場となり北アルプスを思わせる風景。我々も急勾配の岩場を伝い、西天狗岳を往復する。天狗岳は双耳峰であり、西の方が主峰(2645m)のようで三角点は西天狗にあったが、展望は東が抜群。登山者も皆、東の山頂で休憩していた。
 下山は白砂新道を利用。これが新道の名に相応しく無理して開いたようで結構急な上に狭いルート。上りはSさんのお陰でメインルートを採ったがこれが緩い上りで正解と言えたようだ。Sさん、山頂直下の岩場から身軽にすいすいと先行し、下りが苦手な小生を待つこと屡々。それでも11時前に本沢温泉に下山する。歩きながら既に色付き始めた木々の葉を見て、流石に高山の秋は早いことを知る。再度野天風呂に浸かり汗を流した後、帰途に就く。途中で振り返ったら天狗岳には既に雲が掛かっていた。
 本沢温泉で秘湯を楽しむ予定が天狗岳登山も果たし、小生の記録に同岳を加えることができた。Iさん、Sさん感謝する。(98/09/19,20 87/100)

追 記 北八天狗岳に登った。天狗岳は東西に並ぶ双耳峰で、いずれも2600mの高峰である。天候良く展望が抜群であった。写真からも覗われる。還暦前のことで、そう頑張らなくとも上下した記憶である。山麓の本沢温泉は谷間の小さな野天風呂であった。

荒川土手から新河岸川舟渡大橋、志村橋へ

 今回は我が家から徒歩で歩けるコースとした。三田線下から新河岸川を渡り、荒川土手へ出て下り、戸田緑地の辺で土手を降り、また新河岸川へ歩き舟渡大橋を渡り、中山道に架かる志村橋迄行き、バスか三田線で戻ろうと思う。

 荒川土手へ 朝9時過ぎに家を出てスタート。三田線高架下から新河岸川を渡る。早瀬橋で久しぶり。左折し住宅街公園にある早瀬の渡しの水神宮に挨拶。荒川の洪水に翻弄され当地に祀られたようだ。荒川土手へ上がる。直線の階段は辛く簡単ではない。土手上の歩道を下り始める。河川敷は広く流れは見えない。対岸に見える大屋根は、戸田ボートレース場だろう。後ろは長-い笹目橋。右手に都の水再生センターの施設があり、大掛かりな施設。その一画に陸上競技場もあったと思う。一昔前家内の従兄が勤務されていて交流があったが、転勤されて久しい。河川敷内は野球場だがプレーする者はいない。下流には戸田橋がある筈だが見えない。右下には中小企業の工場地帯となり、そろそろ荒川土手を降りようと、坂道を下る。

 舟渡大橋 工場街の間を抜けてバス通りを左折、右折し坂を上がると新河岸川であったが、舟渡大橋の一本手前の道と気付くも戻る程ではない。左岸を下ると、大橋が正面で、カメラを出し高く大きな橋へ向けシャッターを切った。この橋は下が自転車と徒歩用で、上が車用の二階構造でそれで大橋なのだろう。私は下を歩いて、右岸へ出た。三田線西台駅は近いが、歩き足りず、右岸を下り続ける。

 志村橋から蓮根駅へ 橋が見え志村橋かなと思ったが、規模が小さく手前の蓮根橋であった。多分今回のこの部分は初めて歩く地であろう。橋を越すと志村橋が見え、大型車も渡っている。中山道に至り、左手先は荒川に架かる戸田橋である。バス停があり時刻表を見るも合わず、三田線蓮根駅へのコースを採る。稲荷神社へ寄ろうとしたら、私有地と守衛さんに拒まれた。途中のコンビニでホットコーヒーを求め緑地のベンチで休憩。蓮根駅へ歩いて、帰途に就いた。先ほど、バス通りへ出る付近にある霊園で、墓参りをした。(2025/10/16 K.K.1620)

◇日時 2025/10/15 ◇天候 曇り ◇歩行距離等 14000歩 10㎞                        「通過時間等」自宅9:05=早瀬橋9:20=早瀬の渡し水神宮9:30=荒川土手9:35=霊園10:15=舟渡大橋10:35=志村橋袂10:50=三田線蓮根駅11:28-自宅11:45

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「ワンゲル部に同行して登った八ケ岳赤岳」

 職場のワンゲル部が正月に亡くなられたIさんの追悼登山を八ケ岳で行うと聞き、同行をお願いし、参加する。Iさんは、職場の先輩で、ワンゲル部で活躍され、中でも八ケ岳を愛し40数回登られたという。現役のまま亡くなられた方。小生が山歩きを始めたと知り、“最近行っている”などと話しかけてくれたのが思い出される。
 新宿から茅野までスーパーあずさを利用。茅野駅からTさんの車で、登山口の美濃戸山荘まで入る。Tさんは現在では諏訪市にお住まいだが元職員で、在庁時代にIさんとワンゲル部で一緒に活躍されたとは聞いていたが、同部創設の発起人メンバーであったと後で知る。本山行に現地参加。

 行者小屋泊 美濃戸山荘で昼食後、Yさん、Tさんと先行する。本日は行者小屋まで約2時間の行程。Yさんは山のヴェテランで、冬季3月に同じ八ツの赤岳で追悼登山を済ませたという。休憩を取りながら、南沢コースをゆっくりと上る。林の中の沢を右に左に渡り返す沢沿いの緩やかな上りの道。雲が出始め、先行きの天候が心配となる。Iさんはワンゲル部では雨男としても有名であったとのこと。途中行程半ばの地点で後続グループに追いつかれ、その後は一緒に行動。沢と別れ、林を抜けて、流れのない河原を渡ったところが行者小屋。ワンゲル部員と一緒に夕食。チラシ寿司とTさん差入れの馬刺を戴く。皆でIさんを偲んだ後、9時前に消灯。

 悪天候の2日目 3時30分起床。天候回復せず霧が降りている。雑煮での朝食後に出発。小生は赤岳山頂(2,899m)ピストン組に入れて貰う。Yさんもピストン組。他の方は縦走だ。林を抜けると早速急登が始まり、続いて直登の階段となる。調子が出る前の急坂は辛い。トップと2番目のO夫人が速いのでぜいぜいしながら懸命に追う。彼女は昨夜の自己紹介では確か初めての登山と話していたと思ったが、年齢の差だろう。階段を上り切るとガレ場のトラバースとなる。風が強く、霧が下から吹き上げ、雨が降らないだけ増しの状態。阿弥陀岳への分岐点を左に折れると程なく岩場となり、山頂は近いという。天候が良ければ展望が抜群の筈だとYさん始め皆が残念がる。濡れた岩場を手も使って慎重に上る。岩場の上りは奥穂高岳(94.8.7)以来久しぶり。O夫人の“頂上だ!”の声に、“もう”と思いながらもホッとする。

 山頂で追悼後無事下山 山頂で、皆で線香を焚き黙祷し、改めてIさんの御冥福を祈る。山頂小屋で休憩をした後、下山。縦走組も悪天候で断念。Yさんのリードとアドヴァイスで、岩場の下りを切り抜ける。上りに苦労した階段は下りの方が少しは楽。往きには気付かなかったイワカガミなどの高山植物も目に付く。結局、行者小屋、赤岳山頂間を文三郎尾根という田舎の親父と同名の尾根道を伝い、上り1時間30分、下り1時間10分で往復した。悪天候時の登山は安達太良山(94.6.19)、両神山(95.4.30)以来の経験。でもワンゲル部のお陰で不安もなく、無事登頂し下山することができた。

 行者小屋で休憩後、たまへの水を汲み、昨日同様南沢を下る。皆のペースが速く、最後は離されたが約1時間40分で美濃戸山荘に到着。コースタイム通りなので、小生が殊更遅いのではないだろう。昼食にそばを戴いた後、解散。Tさんに茅野駅まで送って貰い、スーパーあずさで帰京。下界は快晴、残念という外はない。(97/7/5,6 86/100)

追 記 赤岳山頂を往復した思い出しかない。経験もない上に悪天候で、余裕がなかった。その後八ヶ岳の天狗岳に登り赤岳を眺め、急峻な山容に良く登れたなあと自分ながら感心したことがある(98.09.20)。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「桜は散っていた四月半ばの扇山」

 JR中央本線高尾駅に集合して扇山を目指す。今回はHさんに、Nさん、Dさんと一緒。やや寒いが、天気は快晴で、絶好のハイキング日和。中央本線鳥沢駅(山梨県大月市)で下車して、早速歩き始める。同駅は昨年高畑山に登った時も降りた駅で1年振り。

 梨の木平から山道 駅から登山口梨の木平までは、高速道路の下を通り、住宅街を抜けて、ゴルフ場側の舗装道路を進む道。コースタイム通り50分を要する。周囲の木々はようやく芽吹いた状態で新緑には遠い。梨の木平からは山道となる。最初は緩やかな上りの道で、小生が先頭で登り始める。石や根がなく歩き易い山道が続くが、林の中で展望はない。ハイカーが多く、前のグループと同じペースで歩こうとしたが、どうも少し速いようだ。水場のある沢に着きしばし休憩。地図上の水呑杉と思ったら、未だその下であることを後で気付く。

 急登そして山頂 ここから急登となる。すぐ上の左側に水呑杉を見る。左右にジグザグの坂を繰り返して高度を稼ぐがなかなか尾根が見えない。たまらず休憩を宣言して一息入れる。Dさんが、もうすぐコルに出て、そこから頂上までは緩やかな道と地図を読んでくれた。それに期待して更に葛篭折れを数回繰り返すと大久保のコルに到着。
 すぐ扇山頂上(1,137m)で、周りが広場になっていて既に大勢のハイカーが休んでいた。南側の展望を楽しみながら昼食を取る。倉岳山は真向かい。その先が道志や丹沢の山々で、一段高いのが蛭ヶ岳と教えて貰う。途中で小生の水筒から水が漏れたのに気付くのが遅く、青空の下で濡れたシャツ等を乾かす。

 四方津駅へ下山 頂上で記念撮影後、四方津駅に向けて下山開始。歩き易い道で順調に下る。途中神社で休憩し、その裏を梯子で降りると不動の滝。一筋の水が滝となって落ちている。山道を抜けて畑に出たところが君恋温泉。大勢の下山客がビールを飲んでいるのが覗けた。同温泉のキャッチフレーズ通り、ここで雲の中に富士山を見付ける。
 ここから車道歩きとなる。すぐの集落が旧甲州街道犬目宿。中央高速道路の上を渡り、犬目を通過して大野貯水池で休憩。期待した桜はとうに散り、その下で宴会だけのグループがちらほら。結局、頂上から2時間30分を要して四方津駅に到着。その内車道歩きが3分の2で、うんざり感。途中で鴬の声を聞いたのや庭先の花がせめてもの慰め。
 電車はハイカー等で混合い座れず、高尾駅で乗り換える。途中で同行者と別れ、18時すぎには高島平に着き早めの帰宅となった。皆さんありがとうございました。(97/4/12 85/100)                        

追記 扇山は、扇を広げたような山容からのネーミングという(前掲写真はヤマケイオンラインより)。日本百低山(同書218頁)や日本百低名山(同書148頁)に選ばれている。隣の百蔵山は登ったが(13.7.24)、奥の権現山はチャンスがなかった。中央本線車窓からも眺められ、そんなことを思い出すときがある。

JR飯田線に乗り天竜峡を往復する

 車窓から眺める風景は、伊那谷とは思えない。東の南ア赤石山脈や西の木曾山脈は遠く、平地を走っている。真ん中を流れている筈の天竜川はもう見えない。私は、飯田線は峡谷を北から南へ走る路線と思っていた。木曽谷に比較し狭い谷間と想像していた。それが外れ、停車を繰り返しながら、田園地帯を飯田から天竜峡を目指している。

 辰野から飯田線 本日は、Sさんの車に便乗し、岡谷駅に6時頃着き天竜峡行き一番電車に乗った。Sさん、私の飯田線乗り鉄願望を覚えていてくれて、長野行きの際誘って頂いた。通学列車は時刻通り発車し、辰野駅から飯田線で、JR東海である。今回は天竜峡駅往復で、89㎞45駅とあり、各駅停車を繰り返しながら伊那盆地を走り、谷ではない。実は豊橋駅から飯田線を乗り切ったことがあり(91.4.30,5.1)、もう30年以上も前で、何ら車窓風景は記憶にはない。知る駅名は少なく、知るのは伊那市や駒ケ根程度で、千畳敷を歩いた帰途に駒ケ根駅から飯田線で諏訪へ出た(02.10.18)筈と思い出した。駒ケ根駅周辺は市街地が広がっている。

 駅多く駅間短い 飯島駅を通過し、91年は当地に泊り、高遠城址を訪ねた。Yさんと一緒で、飯田沿線の野田城址や長篠戦場跡見学の後であった。飯田線は小さな駅が多く、そして駅間も短い。これは路線図を眺めて気付いていたが、本当にそうであった。そのためか上下交換の際、待ち時間が多く長めである。元善光寺駅を過ぎて飯田駅に着いた。

 飯田そして天竜峡 飯田市は伊那、南信の中心都市で、駅舎はそうでもないが市街地は広そうである。旧職場には飯田出身の同僚がいて、山仲間もいたが早世された。飯田市の郊外へ出ると左手に天竜川が姿を現し、大河らしい。そして、初めてのトンネルを抜け、当列車終点天竜峡駅に滑り込んだ。岡谷から3時間30分要した。
駅前が天竜峡で、姑射橋から眺めると渓谷は狭く深く、その間を滔滔と流れている。二度目だが初めてのよう。家内の弟が飯田に赴任していた時期があり、夏休みに天竜峡を案内して貰い、遊覧船も楽しんだがもっと下流だったと思う。子供が未だ小学生の頃か。豊橋駅迄の全線は195㎞と遠いし、また長野県は広く、天竜峡駅から愛知県境中井侍駅までも未だ約30㎞ある。天竜峡駅から岡谷行に乗ったが、客は私一人。復路は3時間であった。今回は半分弱で、飯田線乗り切りは、覚悟が必要と改めて感じた。(2025/10/16 K.K.1619)

◇日時 2025/10/1 ◇天候 曇り ◇交通費 5990円 ◇歩行距離等 9000歩 7㎞
「通過時間等」自宅3:00-JR岡谷駅6:36-同駒ケ根駅8:08-同飯田駅9:35-同天竜峡駅10:05/10:55-同岡谷駅13;55/14:41-同高尾駅18:48-同新宿駅19:47-三田線巣鴨駅20:07-自宅20:40

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「GWに仲間と歩いた高畑山、倉岳山」

 ゴールデンウィークの山歩きとして、JR中央本線沿線に位置する道志山系高畑山、倉岳山を選ぶ。中高年向きで、都心から近く、しかもアプローチにバスを使用しないコースであることが主な理由。

 中央本線沿線の低山 コース全体は比較的良い山道で、中央本線鳥沢駅から要所に標識もあり、快晴無風の新緑の中、鴬などの鳥の声を聞き、また、道端に咲いたすみれや山吹の花を愛でながら、他のハイカーも少なく、静かな山歩きが楽しむ。しかし、高畑山、倉岳山の頂上近くは、いずれも急登、急降下で、上りは喘ぎながら、下りは慎重に通過した。また、山腹に付けられた道は狭く崩れている所もあり、月尾根沢の下りは谷間の狭い道であった。全行程約6時間を要し、上り下りは厳しい箇所もあり、ハイキングとしてはややきつい部類だろう。

 富士山展望 高畑山(981m)からの富士山の展望は抜群で、正面にばっちりと銭湯で見るような富士が見え、それまでの上りの辛さは一瞬に飛んでしまう程の眺め。また、遠く山越しに南アルプスを捉えることができ、未だ残雪が多いように見えた。下りの谷間の途中に、水場がありいつものように小生はタマに水を汲み、樹齢900年という栃の大木を見付けしばし見物。そして、梁川駅手前で渡った橋から見た桂川は千尋の峡谷のようであった。昼食は、富士山を眺めながら高畑山山頂で取る。女性はそばも持参。鳥沢駅前のコンビニで仕入れたという。山頂での昼食にそばとはなんともユニーク。

 一緒に歩いた仲間達 遅れたEさん夫妻とは倉岳山(990m)山頂で出会い、その後一緒に下る。 
 Aさんは、鳥の声が聞こえる新緑の山が一番好きと言いつつ、上りもきつい表情はなく、終始元気に踏破された。日頃、皇居一周で鍛えている証拠であろう。今回もお母さんが作られたという茄で卵を戴いた。
 Bさんは、16年程前このコースを歩かれたそうで、その時のメモを見ながら、ゆっくりとしたペースで先頭を歩き、展望の利く尾根などでは山々を案内しながら、楽々と歩き通された。
 Cさんは、高畑山山頂下の急登付近からばて始め、彼女はハイキングではなくて山登りだと嘆く。最後の下りでは足をひねってしまったが大丈夫の様子。日頃バレーボールをしているとは言え、約20年振りの山歩きではやむを得ないであろう。
 Dさんは、さすがワンゲル部OGで、きついとは言いながらも、ばてた様子も見せず完歩する。日頃運動しているとは聞いていないが、経験の賜物か。昨日急遽求めたというトレッキングシューズも足に合い、支障なかったよう。 
 Eさん夫妻は、二人は知られたワンゲル夫婦。バードウオッチングなどを楽しみながら最後尾を下り、途中から長野の実家へ向かわれた。
 小生は、水1.5リットルなどを持ったためかザックが少々重かったが、高畑山までは普通に登る。倉岳山手前の急登でバテて仕舞い、遅れた者を待つ振りをして、休憩を取る始末。Bさんのように一定のペースでの上り下りはなかなかできず、経験の差は歴然。全体としては、山頂付近はややきつかったが、新緑の山歩きを十分に楽しみ、小生には丁度良いコースであった。皆さん、お疲れ様でした。(96/5/3  84/100)

追記 我がハイキング仲間と最初の山歩きであった。その後、500回石老山、700回高尾山、1000回大高取山でも同行して頂いた。高畑山は日本百低山であった(同書214頁)。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「岩殿山に登り城跡を巡り、猿橋を見学する」

 今回は、Y君、U君と山梨県大月市の岩殿城跡のある岩殿山ハイキングコースと猿橋を含めたハイクを計画。中央線J R高尾駅に集合し、同大月駅で下車して歩き始め、厳冬の快晴下であったが、風がなく、寒さは特に感じない。

 取付きから急登 最初の取り付きから急登の連続。しかも滑りやすく、木や枝に掴まり、喘ぎながら上る。稚児落としからの尾根伝いでは、真っ白で大きな富士山が隠れては見え、二月の冷気の中で見る冬の富士山は見事という外はない。因みに岩殿山からの富士は秀麗富岳12景に選ばれている。

 岩壁そして鎖場 稚児落としは、絶壁がカーブ状に連なっており、高所恐怖症の小生にはとても怖くて覗くことが出来なかったが、反対側から見た対面の岩壁は巨大で、底は深かった。兜岩には、北アルプスに匹敵するような鎖場が二箇所もあった。
 岩殿山自体は、小生にとっては二度目であり、峻険な山で、手前の天神山から見た様は岩峰のようであった。今回のコースは、大手口のあった筑坂峠を経て、岩殿城の揚戸跡のすぐ下で、大月から直登する階段と合流。

 山頂を越し猿橋へ 山頂(634m)の城跡で昼食後、馬洗い他、本丸跡を見て、岩殿集落へ下山。ガイドブックではファミリー向きとあったが、結構厳しく変化のあるコースといえよう。歩行中出会ったハイカーも二パーティのみで、静かな真冬の山歩きが楽しめた。また、日本三大奇橋の一つと言われる猿橋を初めて見学し、先人の知恵に感服した。
 Y君は、下山後そのまま諏訪へ旅行するとかで、とても重いザックを背負いゆっくりとしたベースで歩き通し、彼も段々と山歩きに慣れてきたようだ。
 U君は、中世の城郭に興味があるというので初めて誘う。急拠前日に求めたというトレッキングシューズで、淡々と付いてきた。やっぱり若いということか。でも、城跡巡りで、これだけ歩かされるとは思っていなかったであろう。
 小生にとっては、久しぶりの山歩きらしい山歩き。歩き通したが、特に上りは早く楽になりたいため、一気に登ろうとする悪い癖がまた出て、ペースが掴めず、猿橋迄の道路歩きでは疲れてしまった。
 JR猿橋駅で諏訪へ行くY君と別れ、車中で、U君と駅前で仕入れた地酒と漬物で乾杯。ご高尾、新宿を経由して、18時過ぎに帰宅。タマに、猿橋の土産屋で汲んで貰った名水をやるもちょっとなめただけで、関心示さず残念。(96/2/3 83/100)

追記 岩殿山は、中央本線大月駅前に大きく聳える山、山城跡である。駅からのコースが一般であるが、左奥から入山したら、最初から厳しいコースであった。日本百低名山である(同書67頁)。岩殿山城は、戦国期の1582(天正10)年武田勝頼が織田徳川軍の甲斐侵攻で岩殿山城へ落ち延びようとした途中、城主小山田信茂が裏切り、勝頼は手前の田野で自害し武田家は滅亡したという。

伊豆城ケ崎海岸を再訪する

 弟を伊豆の城ケ崎海岸へ案内することになった。前夜伊東温泉に泊まり、翌朝城ケ崎へ、である。伊東駅前8時溌のバスに乗るべく、宿泊先を出たが、15分の予定が倍近くを要して、バスを捕まえた。城ケ崎海岸は、私は6年振りで(19.2.24)、今回は同じコースの予定。

 バス停からぼら納屋へ 海洋公園行のバスを城ケ崎口で下車し、歩き始める。ようやく前回の記憶が蘇り、海岸へ向け下り坂である。左手が海岸で遊歩道もあるが眺めはなく、今回はそのまま下り続ける。坂下に嘗てのぼら漁用の納屋、現食事処があり、目の前は海岸で相模灘であろう。波静かである。

 城ケ崎を歩く いよいよハイキングコースへ突入。私が前で、弟は後ろ。坂の階段は新しく、高さ幅は我々向き。タブの木やクロマツが続く樹林帯で、小さな岬、狭い入江を見ながら進む。幕末黒船用に韮崎の代官江川太郎左衛門が築いた砲台跡の案内があり、記憶にあった。時々林が切れると荒々しい岩礁と岬が覗け、波音も大きくなった。断崖の海岸は、大室山噴火で流れ出た溶岩という。あの山(580m)の仕業とは信じがたいが、噴火口直径100mと大きかった(20.2.2)。コースも大きく上下し、城ケ崎海岸らしくなった。今回私は、ストックを持参し使用している。急坂を上がると吊り橋であった。洋上の島は大島だろう。

 門脇吊り橋 一息付いて、弟を待つ。そしたら左手に、“城ケ崎ブルース”の歌碑があった。前回気が付かなかった。ロス・プリネスの歌唱だが、若手もカバーしている。・・・ふたりの恋の城ヶ崎 咲けよ匂えよ湯の花すみれ あしたのことは 言わないで・・と唄い、3番には、天城連山東端の遠笠山もでてくる。二人で吊り橋を渡り、下を覗くと23mは高い。渡り切ると門脇岬で、同灯台。吊り橋にも思い出がある。私の中学の恩師と同名で、私の記録を読まれた先生は私にぜひ訪ねたいとおっしゃったが亡くなられた。その後奥様にお会いする機会があり尋ねたら、首を横に振られた。
ここでコースを出て海岸を離れ、駐車場から大通りへ出る。私の記憶ではコースは展望のない林の中の小径で最後は長い急坂でこれを避けた。別荘地帯の道路歩きをして、駐車場を回り込むと海洋公園入口で休憩。30分後のバスで伊豆高原駅へ。伊豆急行で熱海駅へ出て、帰途に就いた。弟に御馳走になった鯖寿司弁当はすきっ腹に美味であった。(2025/10/4 K.K.1618)

◇日時 2025/9/25 ◇天候 晴 ◇交通費 3420円 ◇資料「伊東城ケ崎自然研究路ガイド」◇歩行距離等 12000歩 9㎞
「通過時間等」宿泊先7:40=JR伊東駅.8:00-城ケ崎口8:35=ぼら納屋8;45=門脇吊り橋9;20=海洋公園10:35-伊豆急伊豆高原駅11:02-JR熱海駅12:06-同横浜駅13:48-三田線巣鴨駅14:43-自宅15:15

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「大菩薩嶺に登り、景徳院で勝頼を思う」

 今回は、小生の当番で、前回の奥穂高岳に懲りて、タクシーを利用した中高年向きのハイキングと百名山と温泉を組み合わせたコースを選定。同行者と新宿駅で待ち合わせ、大月駅で乗り換えて塩山駅で下車。タクシーで柳沢峠へ向かう。峠付近は紅葉はまだ色付き初めで、これからがシーズン入りの様子。峠の売店で軽く食事をして水を貰い出発。

 柳沢峠から 秋のぶな林の中の小径を、落ち葉を踏みしめながら進む。他に登山者は見当たらず、静寂の中を黙々と歩く。最近歩いた形跡もなさそうだ。苔むした古木、岩石が随所に見受けられ、正に深山の雰囲気十分。冷気の中にすがすがしい空気を感じる。途中、道に迷いそうになったが無事六本木峠に到着して、小憩。時々、林が切れて、左側に奥秩父の山々が見える。歩き始めて一時間、きのこ採りの人に出会う。天庭峠、寺尾峠と通過。高度が上がるに従い、紅葉の濃さが増してきれいだ。林を抜け出して草原に着く。丸川峠で、小屋があり、二、三組みの登山者が休んでいた。

 丸川峠から山頂へ 我々も休憩後、いよいよ大菩薩嶺の頂上を目指して、ススキと隈笹の中の急坂を上ると、またぶな林が深い。下りの登山者が多くなる。同行者、湿った丸木橋で足が滑って尻を打つ。しばらく休憩。大事には至らず、予定通り頂上(2,057m)に着く。案内書どおり林の中で展望はない。記念写真を撮り、昼食後早めに下山開始。

 大菩薩峠 直ぐ展望が開けて、雷岩。回り一面がススキと隈笹、しかし残念ながら富士や南アルプスは見えない。賽の河原を通過して、大菩薩峠到着。大勢の登山客が休んでいる。ここからは、下る一方で、広い山道。約30分で上日川峠の福ちゃん荘前に着く。既に、朝予約したタクシーが待っていた。

 嵯峨塩温泉泊 くねくねした山道を下って、嵯峨塩温泉到着。30分を要した。やはり歩くのは無理だった。嵯峨塩温泉は山中の鉱泉宿というよりは、立派な温泉旅館。同行者、靴ずれで踵の上の皮が大きく剥けている。早速、温泉で汗を流し、麦酒で乾杯。
 翌朝、朝風呂を浴びた後、谷川付近を散歩。同行者の足の様子が良いようなので、今日も歩くことにする。山宿らしい山菜など盛たくさんの朝食を戴いた後に、出発。山に囲まれた谷川沿いの舗装道路を延々と下る。途中、甲斐武田家にも縁があるという栖雲寺を見学。古寺で、石庭が珍しい。予定した竜門峡の遊歩道が通行禁止で、再び舗装道路を下る。          

 景徳院に参拝 大和村田野の景徳院に着く。田野は、戦国時代織田、徳川連合軍に追われた武田勝頼が自刃した地だ。勝頼の墓がある。墓参りを済ませ、再び歩き始め、朝出発後、2時間40分を要して、甲斐大和駅に到着。同駅から鈍行に乗り、立川で乗り換え、新宿駅を経由して15時に自宅到着。今回も、無事帰還。
 今回は、選定どおり、中高年向きのハイキングコースで、小生にはちょうど良かった。ぶな林、草原、ちょっとした急坂、岩場もあり、結構楽しめた。天気にも恵まれたが、富士山、南アルプスが見えなかったのが残念だ。紅葉には少し早かったが、頂上付近はまあまあの色付きできれいだった。(94/10/15,16  82/100)

追記 大菩薩嶺は2000mを超す百名山と思うが、ハイキングの延長で気軽に登れた。それにしても往復タクシーを利用し、そして温泉旅館に泊まり、贅沢な山歩きであった。その後、大菩薩峠から富士の写真を撮りたい弟と出かけたことがあったが、天候不順で、途中で断念したことがあった(10.5.29)。コースを変更し笹子峠で矢立杉を見上げた。

JR湘南新宿ラインで熱海から伊東へ

 年一の弟との行く先は、今年は伊豆の城ヶ崎海岸である。弟は未訪と喜んでくれた。私は歩いたことがあり、案内しようと思う。伊東に宿泊先を確保し、弟とは小田原駅で待ち合わせた。私は池袋駅へ出て、湘南新宿ラインで横浜へ行き、東海道本線乗車の予定である。

 湘南新宿ライン乗車 今回は池袋駅から湘南新宿ラインに乗った。名前は知っていたが1,2度乗った程度だが、横浜駅やその先へは速い。私は東京駅や新橋駅から東海道本線を利用していたが、この前湘南新宿ラインに乗ったら大分時間が短縮された。今回は迷わず、我が家から池袋駅へ向う。快速電車は、新宿、渋谷と山手線を走り、大崎の先から別路線に入り、貨物線らしい。武蔵小杉、横浜、そして戸塚駅で、東海道本線に乗り換えた。路線検索に従った。

 戸塚から小田原へ 戸塚は、箱根駅伝2区の中継所があり、車窓からコースの戸塚跨線橋が見えた。現在は最長のエース区間で難所権太坂があり、越した先で東海道本線を渡り中継所手前は最後の急坂で、一度歩いた(10.12.9)。大船を過ぎて湘南地方を走っている。茅ヶ崎は相模線、国府津は御殿場線への乗換駅で、御殿場線を乗り切り国府津へ出たことがあった(18.12.17)。平塚付近で相模川を渡る。馬入川とも呼ばれ、これが牛なら牛乳川だねと修学旅行のバスガイドさんが説明し笑いを誘った。二宮では駅前の愛宕山に登り、満開の菜の花越しに富士を探したことがあった(13.2.28)。あの時も弟と一緒だったと思う。

 相模湾沿いに熱海へ そして、小田原駅に着き、弟と一緒になり、次の熱海行きに乗車。平塚在の弟の孫は小田原の高校に通っているという。根府川で海岸線を走り、列車の転落事故を思い出した。スマホ検索したら関東大震災の地滑りで生じた大惨事と知った。根府川駅前に慰霊碑があったと思う。真鶴半島を左手に見たら湯河原で、幕山に登り相模湾を眺めたことがあった(06.12.3)。     

 伊東駅着 熱海駅で少し待って、伊東行きに乗る。5駅程で、手前駅の右手峠に、童謡“ミカンの花咲く丘の歌碑”があり訪ねたことがあった(10.6.4)。子供の頃川田三姉妹が唄って人気があった。伊東駅で城ヶ崎海岸の情報を得て、宿泊先へ。久しぶりに温泉に入り、二人で夕食を楽しんだ。(2025/10/4 K.K.1617)

◇日時 2025/9/24 ◇天候 曇り ◇交通費 1620円 ◇歩行距離等 5000歩 4㎞
「通過時間等」自宅11:40-JR巣鴨駅12:13-池袋駅12:24-同戸塚駅13:34-同小田原駅13:58/14:28-同熱海駅15:15-同伊東駅15:40=宿泊先16:10

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「厳冬の暁に三ツ峠山から霊峰富士を仰ぐ」

 友人が登山を再開したといぅので、小生も連れて行ってくれと頼んでいた。小生の希望で三ツ峠山を選んだ。小生にとっては、91年 8 月の自馬以来の登山である。宿泊先の小屋に電話で確認をしたところ、山頂付近は雪が残っているとの情報で、ヤッケ、アイゼン等を用意した。また、大学時代ワンゲル部で活躍したM君に同行を依頼し、同君は快く引き受けてくれた。

 富士急三ツ峠から 新宿駅で待ち合わせ、大月駅で富士急に乗り換え、登山口三ツ峠駅で下車し出発。M君に歩くペースが速すぎると言われる。達磨石で休憩。ヒーターで煎れたコーヒーを戴く。
 達磨石からは本格的な上り。所々雪が凍結して危険な個所があり、慎重に上がる。途中、林が切れた地点で富士山が見えた。見事だ。八十八大師を通過して、ようやく林を抜け出すと巻道となり、この辺りから雪が多くなる。雪の中に付けられた一本道を進む。右に巻いたところで、小屋が正面に見えた。すぐ右上は屏風岩の岩壁で、ロッククラィマ-が取り付いていた。雪が深くなって小屋への坂道に手間取り、ようやく到着。小屋付近は雪一色で、積雪lm以上はあろう。正に冬山模様。雪に囲まれた子供の頃の山形の冬を思い出す。

 三ツ峠山山頂へ ザックを置いて山頂を目指す。雪の道を,慎重に上って、三ツ峠山の頂上[1,786m] 。雲で、冨士は僅か裾野が見えるのみ。小屋は個室でこたつ付き。麦酒を飲もうとしたが、M君が外へ出たまま帰って来ない。後に気が付いたのだが明日の下山ルートを確認しに行っていたのだ。流石で、脱帽である。明朝日の出と富士を見るため、早めに就寝。

 大富士の秀峰に出合う 翌朝4 時30分頃に起きて、日の出を見るため防寒用ヤッケを着て外へ出る。寒い、手がかじかんでなかなか靴紐が結べず、アイゼンが履けない。後で測ったら外は零下 15 度だったという。白み始めた空の正面に、富士が見える。正面に、大きく、しかもくっきりと見える。こんな見事な富士は初めてだ。来て良かった。             やがて東の空に太陽が見える。多くの人が小屋から出て歓声を上げ、シャッターを切っている。西の空には月が残っている。東に太陽、西に月という珍しい光景を見た。また、展望が良く、北西には南アルプス、八ヶ岳、奥秩父の山々がくっきり見えた。

 ロープウェイで下山 朝食後、下山開始。軽登山靴にアイゼンがうまく装着出来ず苦労する。時々M君が手伝ってくれた。雪の中に僅かに残った道跡を辿って進む。ストックを使用して懸命に下る。前日冬山を心配したY先輩のアドヴァイスで、M君が用意してくれたものだ。ようやく、雪道を脱した地点で、左手に富士、眼下に川口湖が見えた。
 天上山のロープウェイ駅に到着して、靴の泥を洗い、持参した赤飯を戴く。ロープウェイで下山後、富士急河口湖駅に到着。小屋で一緒だった人に会う。我々が下山する時は、確かストーブのそばで酒を飲んでいた人のようだが、尋ねたら別ルートで下山し途中からタクシーを利用したという、納得。河口湖駅から大月駅を経由し国分寺駅で下車して、反省会をした。 (94/2/26,27 80/100)

追記 私の最初の山が三ツ峠山であった。職場の友人3人に同行して貰った。厳冬期で山頂下付近は雪が深かった。翌朝の払暁時大富士を正面に眺めて、昨日の苦労は吹っ飛んでしまった。これが私にはプラスに働いて、その後山歩き、里歩きを趣味としてしまった。現在31年経過し、1600回を歩いているが、残念ながら傘寿となって山歩きは最近0である。

竹芝桟橋からゆりかもめ線で東京湾を眺める

 机上に竹芝桟橋の案内を見付け(「我がまち再発見・東京浜松町編」25.6.6讀賣夕刊)、海、東京湾を眺めたいと思った。最近の乗り鉄も山間の路線で、先日銚子電鉄に乗ったが海から離れて走り見えなかった。ゆりかもめ線が走り、東京湾を上から眺めるのも良いだろう。

 竹芝桟橋へ JR浜松町駅が最寄り駅だが、大江戸線大門駅も近いと知り、私は春日駅で大江戸線に乗り換え大門駅に降りると、浜松町駅は近く、直ぐ東海道線ガード下を潜り、竹芝桟橋へ歩いた。大島三原山行き以来(15.3.16)の竹芝桟橋で、記憶が薄い。正面には大きな汽船が係留中で、伊豆大島行きであろうか。先ほど大きなキャリーバックを引いた若者たちが追い越して行ったが、乗船客か。待合室からアンテナショップを覗く。クサヤがあったが好きではない。右手へ歩くと、小さな船着き場があり、その先が浜離宮庭園であった。近くのホテルで、我が故郷会のパーティがあり、2,3度出席したが、その建物は見当たらない。

 ゆりかもめ線に乗車 頭上をモノレールゆりかもめ線が走り、竹芝駅へ上がって乗車。新橋駅始発で、既に混み合いインバウンド客も多い。ループ状に巻いてレインボーブリッジを渡り始めた。東京湾お台場地区に架かる800mの吊り橋。ゆりかもめ線の外、車道や遊歩道もあり、嘗ては徒歩で渡ったこと(16.3.17)もある。お台場を右下に見て、フジテレビ等のビル群を通過。いつものハイク仲間とお台場公園を歩いたのは一昨年であった(23.3.19)。

 宗谷を眺める 国際展示場駅で新橋駅行きに乗り、窓際に席を確保し、湾を眺めた。そうしたら眼下に宗谷があった。南極観測船で、私が小学6年の1956年頃から国際観測に南極で活躍した船で、氷に阻まれソ連の砕氷艦に救出されたことや、樺太犬タロジロで話題になった。カメラに収めたがどうだろう。お台場を過ぎて対岸に漁船の船着き場を見付けて、またシャッターを切った。竹芝駅を過ぎ新橋駅に着き、内幸町駅へ歩くのを避け、地下の都営浅草線新橋駅に下った。東日本橋駅で都営新宿線馬喰横山駅、神保町駅で三田線に乗り換えたが、思ったより早く帰宅できた。(2025/9/26 K.K.1616)

◇日時 2025/9/20 ◇天候 曇り ◇資料 「我がまち再発見・東京浜松町編」25.6.6讀賣夕刊 ◇交通費 シルバーパス+190円 ◇歩行距離等 6000歩 5㎞
「通過時間等」自宅8:40-大江戸線春日駅9:24-同大門駅9:55=竹芝桟橋10:15=ゆりかもめ線竹芝駅10:36-同国際展示場駅10:56-都営浅草線新橋駅11:30-都営新宿線馬喰横山町11:41-三田線神保町駅11:50-自宅12:30

私が登った百の名山&低山=関東編=「大野山に登り大富士を眺める」

 大野山に登った。丹沢山系端の南西にある低山(723m)だが富士展望の山として知られる。厚木在の読者Kさんからも、良かったと聞いた。手許のガイドの多くに掲載され、初心者向けの山とある。弟と同行した。

 変化に富んだ山道を上がる 大野山は小田急線新松田駅からバス。予想に反しバスはガラガラ。途中、山北駅から歩いているハイカーが見えた。登山口に降りスタート。標識に従い集落鍛冶屋敷へ入り、直ぐ急な坂である。

 旧共和小学校前へ上がると、正面に樹林越しに富士が見え、2人は早速カメラを出した。グランドには大勢の人出がありゲートボール大会のようだ。市間分岐を左へ行き大野山への山道となる。急坂、ヤセた尾根道、小さな岩場とあり中々の登山道。初心者向けとあったから気軽に考えていたが、そうでもない。肩幅程度の長いトラバース状の道となる。途中休憩を取り、水を補給した。林の間から左手先に頂上付近が覗け、そう遠くないことを知る。

 山頂から大富士を 深い林を抜けると、一面カヤトの原野で、山頂一帯は高原牧場という。登山道はその端を一直線に上がる木段。休みを入れながら一歩一歩とこなす。弟も苦戦のようで、間が空いてしまった。
 上り切り肩へ出ると、目の前に丹沢の山々が広がった。右端は山容から大山、そして塔ノ岳、丹沢山だろう。晴天下、秋色を帯びた山々は美しく、暫し展望を楽しむ。弟も追い付いて、牧場用舗道を山頂へ。犬くびり地点には駐車場もあり、車を降りた男女がスタスタと先行する後を、疲れた脚で最後の急坂を上がった。
 直ぐ先に大きな富士山があり、山頂広場では多くのハイカーが眺めている。箱根の山から見る富士と同じである。我々もザックを置いて、雲の切れるのを待ちながら、富士にカメラを向けた。弟は場所やアングルを選びながら、シャッターを切っている。

 遠い谷峨駅 昼食後、御殿場線谷峨駅へ向け下山開始。70分とあり、近い。ススキ原の南斜面を、ジグザグを繰り返しながら高度を下げる。鹿除けフェンスから舗道へ出て、林の中を下り続けて頼朝桜。現木は数代経ていることは疑いない。集落を抜けると左右へ振れる下りの大曲が連続する車道。東名高速の下で、時計を見ると70分は過ぎたが、駅手前の酒匂川も見えない。我々の歩きは早くないことは確かだが、そう遅いとも思っていない。川面が見え出し、傍の紅葉が深紅で綺麗だ。橋を渡り田圃から国道246号へ上がるとようやく谷峨駅で、100分近く経過していた。大野山は私には久しぶりの山歩きらしいハイキング先であった。(2016/11/13 80/100)            

追 伸 展望の良い山で、富士の外、手前からは丹沢山塊の高峰が眺められた。当山は、丹沢の南西の端で、アクセスが良くない。御殿場線沿線で、下山先は谷峨駅であった。その後御殿場線に乗った折、谷峨駅付近では思い出すが、山は見えないが酒匂川の急流は相変わらず速い。

川越、高麗川から八高北線で奥武蔵を走る

 夏は乗り鉄にしようと路線を近郊に選んでいた。未乗車路線はなく、そんな中、大宮駅からJR川越線、高麗川駅から同八高北線で寄居駅へ行き、復路は東上線も利用可能である。いずれも乗ったことがあるが大分前で、ご無沙汰している。特に八高北線は、私のホームグランドであった奥武蔵の山間を通り懐かしいだろう。

 川越線で高麗川へ 埼京線浮間舟渡駅から大宮駅へ出た。武蔵浦和駅迄は時々乗っているがその先は久しぶり。途中から川越行きに乗り、川越線へ入った。直ぐ日進駅で、我がハイク友Kさんのお宅前通過だが、確かめられなかった。荒川を渡り川越駅着。ここからは乗り換えだが待ち時間が長い。路線検索で分かっていたが来てしまった。高麗川経由の八王子行きに乗車。市街地を出ると田園地帯となり、水田は黄色に染まり始めている。武蔵高萩駅を過ぎて、杉並木を探した。日光東照宮の火の番八王子千人同心が往来した日光街道脇往還で、歩いたことがある(02.5.4)。高麗川駅でも待ち時間があり大分待った。

 奥武蔵越生駅、小川町駅 八高北線は高崎行きで、1,2度乗ったことがあるが駅名も頼りない。山間に入りいよいよ奥武蔵だろうが大分走って毛呂駅であった。私は東武東上線、越生線を利用していたので、方向が違う。若い頃歩いた鎌北湖や一本杉峠は左手奥だろう。そして越生駅に滑り込んだ。1000回記念に歩いた大高取山はここからスタートしゴールした。孫達も一緒でもう10年前のことで(15.10.25)、上の孫は今年から社会人になった。                         
車窓左手を眺めている。都幾川出身の読者YKさんの実家があり、栗拾いに来たことがあった。あれかなと思っていたら明覚駅を通過し、山坂を下り小川町駅に着いた。手前右手の低山が900回となった仙元山であった(14.5.25)。駅裏の校舎がYKさんの母校であったと思う。

 山を越し、川を渡り寄居駅へ 我が乗り鉄も終盤であるが、寄居駅まで何駅か思い出せない。次の竹沢駅は知っていたが、折原駅は忘れていた。竹沢駅から金勝山を左に巻いたのが八高北線で、右が東武東上線だと思っていたがほぼ直線的に走ったようである。車山に登り鉢形城址へ歩いた時(14.12.27)折原駅がスタート駅であった。山坂を下り、鉢形城址を右手に見て、荒川を渡って寄居駅であった。待合室で昼食を取り、高麗川行きを待った。(2025/9/19 K.K.1615)

◇日時 2025/9/13 ◇天候 曇り ◇交通費 1520円 ◇歩行距離等 5000歩 4㎞                        「通過時間等」自宅8:40-JR浮間舟渡駅9:25-同川越駅10:37-同高麗川駅11:32-同寄居駅12:44-同高麗川駅13:54-同川越駅14:25-同赤羽駅14:58-三田線志村坂上駅15:18-自宅15:40

私が登った百の名山&低山=関東編=「ロングコースと険路に難渋した箱根明星ヶ岳」

 久しぶりの本格的な山歩きであった。山麓明神平から歩き出して箱根湯本駅に着いた時は5時間を過ぎていた。急登あり、尾根歩きあり、そして急降下もあり、最後の下りは荒れた道であった。終盤は同行のKさん共々、膝をがくがくさせながら下山先阿弥陀寺を目指した。

 急坂から尾根道へ 箱根明神平宿泊先から登山口へ向かうも間違えたらしく探しあぐね、近所の方に教えて貰い、藪を抜けて登山道へ合流した。岩がごろごろする急坂を霜を踏みつけながら一歩一歩上がり続ける。歩き難い程ではないが箱根火山特有の登山道だろう。2,3度小憩を繰り返したが、45分程で鞍部へ飛び出した。ここからは明神岳を背にして尾根歩き。晴天の下、右手には神山や早雲山の箱根の山が一望だ。今朝ベランダから眺めた風景と同じで、うっすらと雪化粧している。若いKさんが先行して私が後を追うのはいつもの展開だ。
 尾根筋は一転した歩きやすい緩やかなアップダウンのある道。時々は竹藪の間を通過する。“ドーン”と音が聞こえる。“雷かな”とKさん、“いや自衛隊が撃つ大砲だろう”と私。御殿場の演習場が近いはず。子供の頃故郷に駐留した米軍演習見聞の経験があった。明星ヶ岳(924m)に到着。山頂とは程遠い平地に三角点と社だけ。ザックを降ろして社に参拝し、記念撮影。展望はなく、資料に従い休憩は少し下った先とした。

 遠い塔ノ峰 ここからが次のポイント塔ノ峰迄距離もあり、しかも難コースであった。尾根道が終わり、急降下する。雨で流れて山道がハッキリしないし、階段も役に立たない。横に成りながらどうにか下り切った。突然林道へ出て、登山道が不明。マップを出して読み林道を進むと先に塔ノ峰への案内が見付かった。また急登、疲れた脚には辛いが懸命に進む。左手が開けて、雪に染まった連山が見えた。またKさんが“あの山は”と、私は“多分丹沢の山だろう”と応答。最右手の山の形に大山を見たからだ。

 悪路を下る 塔ノ峰(566m)で最後の休憩。もうすぐ下山と高を括っていたが、気を抜けない荒れた急な下りが続く。慎重に歩いて下りた先が阿弥陀寺境内であった。あじさい寺として有名。軽く参拝し、未だ芽も出していない紫陽花の木のある参道から杉並木の下を、直接湯本駅へ下る。意外に近くて登山鉄道利用を止めたのは正解であった。ロマンスカーを予約し土産と弁当を求め、遅い昼食は車中とした。Kさん有り難うございました。お陰様で、無事明星ヶ岳に登ることが出来ました。また同行をお願いします。小田急車窓から眺めた大山や鍋割山も是非歩きましょう。(2012/03/12 79/100)

追 記 箱根の山は本山と金時山のみとなってしまった。箱根火山の外輪山東方の山である。ハイキングには東海道箱根八里や杉並木から芦ノ湖畔等と大分歩いたのだが。隣の明神ヶ岳は是非と思っていたが実現できなかった。本山では、最後の下りが急な上、悪路であったことを思い出した。