今回は、Y君、U君と山梨県大月市の岩殿城跡のある岩殿山ハイキングコースと猿橋を含めたハイクを計画。中央線J R高尾駅に集合し、同大月駅で下車して歩き始め、厳冬の快晴下であったが、風がなく、寒さは特に感じない。
取付きから急登 最初の取り付きから急登の連続。しかも滑りやすく、木や枝に掴まり、喘ぎながら上る。稚児落としからの尾根伝いでは、真っ白で大きな富士山が隠れては見え、二月の冷気の中で見る冬の富士山は見事という外はない。因みに岩殿山からの富士は秀麗富岳12景に選ばれている。
岩壁そして鎖場 稚児落としは、絶壁がカーブ状に連なっており、高所恐怖症の小生にはとても怖くて覗くことが出来なかったが、反対側から見た対面の岩壁は巨大で、底は深かった。兜岩には、北アルプスに匹敵するような鎖場が二箇所もあった。
岩殿山自体は、小生にとっては二度目であり、峻険な山で、手前の天神山から見た様は岩峰のようであった。今回のコースは、大手口のあった筑坂峠を経て、岩殿城の揚戸跡のすぐ下で、大月から直登する階段と合流。
山頂を越し猿橋へ 山頂(634m)の城跡で昼食後、馬洗い他、本丸跡を見て、岩殿集落へ下山。ガイドブックではファミリー向きとあったが、結構厳しく変化のあるコースといえよう。歩行中出会ったハイカーも二パーティのみで、静かな真冬の山歩きが楽しめた。また、日本三大奇橋の一つと言われる猿橋を初めて見学し、先人の知恵に感服した。
Y君は、下山後そのまま諏訪へ旅行するとかで、とても重いザックを背負いゆっくりとしたベースで歩き通し、彼も段々と山歩きに慣れてきたようだ。
U君は、中世の城郭に興味があるというので初めて誘う。急拠前日に求めたというトレッキングシューズで、淡々と付いてきた。やっぱり若いということか。でも、城跡巡りで、これだけ歩かされるとは思っていなかったであろう。
小生にとっては、久しぶりの山歩きらしい山歩き。歩き通したが、特に上りは早く楽になりたいため、一気に登ろうとする悪い癖がまた出て、ペースが掴めず、猿橋迄の道路歩きでは疲れてしまった。
JR猿橋駅で諏訪へ行くY君と別れ、車中で、U君と駅前で仕入れた地酒と漬物で乾杯。ご高尾、新宿を経由して、18時過ぎに帰宅。タマに、猿橋の土産屋で汲んで貰った名水をやるもちょっとなめただけで、関心示さず残念。(96/2/3 83/100)
追記 岩殿山は、中央本線大月駅前に大きく聳える山、山城跡である。駅からのコースが一般であるが、左奥から入山したら、最初から厳しいコースであった。日本百低名山である(同書67頁)。岩殿山城は、戦国期の1582(天正10)年武田勝頼が織田徳川軍の甲斐侵攻で岩殿山城へ落ち延びようとした途中、城主小山田信茂が裏切り、勝頼は手前の田野で自害し武田家は滅亡したという。





















































