歴史的遺産や遺構を見学する度、万里の長城を築いた秦の始皇帝始め中国王朝に絶大な権力を感じていた。莫大な費用を投じ、周囲の農民を根刮ぎ動員した上に、永年掛けてあれだけの城壁をとてつもない長距離(2,500km以上)に渡って築づいた。土木技術や機具がない時代である。それだけ北の異民族の侵入が脅威であったことには想像に難くはない。我が国中世時代の山城でも同じことが言えるが、規模や工事期間、稼働人数、費用等は物の数ではない。
北京から万里の長城へ 本日は、念願叶って万里の長城ハイキングに向かっている。若い同僚2人が一緒。北京市内は高速道路を走り、郊外に出て農村地帯から山間地域へと入った。出発して約2時間を過ぎて、山の上に長城らしき建物を見る。ガイドがもうすぐ到着と伝えた。出発地は金山嶺、北京近郊では八達嶺と並んで城壁が遺り有名地らしい。車を降りると閑散とした中に、土産店ではストックを売り込んでいる。西洋人の後に付いて出発。
長城を歩く コースを左折して長城に上がる。目の前に石造りの城壁や建物が現れた。先には尾根伝いに長城が遙か遠方へと続いている。長城は幅4m程度で連続し、300m置き程度に建物が設けられている。望楼だろう。壁の高さは5,6mのようだ。騎兵の敵はよじ登れなかったのであろうか。長城上を歩哨兵や伝令が馬を使って走ったと想像していたが、どうだろう。
我が一行3人はガイドの先導で長城を歩き始める。周囲は山また山。晩秋色一色だ。歩き難くはないが、現地案内人(追山と呼ばれる。)が屯していて付いて回りうっとうしい位。擦れ違う観光客は少なくない。天候は良く半袖姿もいる。明代築城時のものの外、現在では観光用に修復しているらしい。JTB提供煉瓦と表示された地点もあった。途中の建物は広く、中には売店があり土産品や飲み物も揃えていた。30分歩いて休憩。ガイドが、ここから下って先の長城へ出るルートがあるとそれを薦める。隣を歩く婦人ガイドの息使いが荒いのには気付いていた。先へ目をやると前方に続く長城の道は頂へと急坂である。同行の二人も同意した。
一旦長城を出る 山間の細い道を時々は長城を見上げながら進む。廃屋を過ぎ鶏を飼う農家前を通過して、また長城へと戻った。司馬台地区の長城は急で、尾根筋が上下してうねっている。しかも深い谷を挟んでいる。隣の観光用階段を急降下し、吊り橋を渡ってまた階段を上がる。建物屋上で昼食。谷を渡る風が冷たい。前後に連なる長城城壁が遙か先まで見通せる。先程先行していた西洋人一行が追い付いてきた。直ぐ先でガイドに案内されて、長城から離れた。
長城ハイキングには慎重に準備した。寒さ対策をしたが、予想外の快晴でマフラーや手袋も不要であった。急坂や危険箇所を想定した。しかし出会わなかった。エスケープルートが功を奏したのかもしれない。(07/11/8 134)
コメント 万里の長城を訪ね、歩いたがほんの一部である。実際に見て、その長さや壁の高さ、道の広さ大きさに圧倒された。一見は百聞にしかずであった。それに北京より意外に近かった。それだけ匈奴や北の異民族の侵入が脅威であったことが窺える。中国大国を象徴した遺産であった。




























































