旧中山道から都電、京成電鉄で御徒町へ

 8月に入り、暑さが増し出掛ける気分にはならず、前回から1月過ぎようとしている。前月はこれまでで一番暑い7月となったという。そんな中、また安近短コースを無理やり探した。新板橋駅から旧中山道を歩き、庚申塚駅から都電で三ノ輪橋へ行き戻って、舎人ライナーで日暮里へ出ようかと思う。ミニ乗り鉄で暑さはなんとか凌げよう。

 旧街道から 三田線新板橋駅から旧中山道へ歩き出したら、雨が落ちていて傘を出した。JR板橋駅手前から旧中山道へ入り、埼京線踏切を渡る。板橋宿手前である。1、2度歩いたことがあり、右手にある近藤勇の墓に寄る。1868(慶応4)年流山で新政府軍に捕まり、その本陣があった板橋で処刑されて墓があり、同じ新選組の永倉新八達が建てたとある。旧中山道へ戻るが、それらしい建物も雰囲気もない。北区滝野川で、明治期に亀の子束子を考案した西尾商店があった。調べると、この束子は実用新案と特許で二重に長く保護された珍しい製品となった(工業所有権制度百年史上巻316頁)。

 荒川線三ノ輪橋へ 庚申塚駅に着き、都電に乗車。本日は混み合い、家族連れが目立つ。電車のヘッドに日の丸を掲げているが本日山の日で祝日であった。王子駅前、熊野前から荒川区を走り、終点三ノ輪橋に着いた。駅周辺を歩こうと日光街道へ出る。確か対馬藩下屋敷跡の案内があったと思うが見付からない。アーケード商店街ジョイフル三ノ輪を通り抜ける。昭和の繁華街も閉めた店鋪もあり、往年の活気は窺えない。

 京成電鉄に乗る 荒川一中前駅から都電に乗車。予定を変更し、町屋駅前から京成電鉄に乗り、京成上野駅へ出ようと思う。日暮里駅から先は多分初乗車。小雨の中移動し京成電鉄に乗り換えた。日暮里駅からは長いトンネルを通過。ここに博物館動物園前駅があったが、2004年に廃止されたという。都内では新設駅はあるが廃止は稀有だと思う。終点に着き、改札を出ると大江戸線上野御徒町駅の地下ルートの案内があり、雨は避けられた。300m程歩いて上野御徒町駅。春日駅で三田線に乗り、志村坂上で地上へ出たら、空は明るく、雨は上がっていた。(2025/8/14 K.K.1612)

◇日時 2025/8/11 ◇天候 小雨 ◇交通費 170円 ◇歩行距離等 8000歩 5㎞                        「通過時間等」自宅8:40-三田線新板橋駅9:00=荒川線庚申塚駅9:30-同三ノ輪橋駅10:10=荒川一中前駅10:30-京成町屋駅10:48-同京成上野駅/11:00=大江戸線上野御徒町11:10-三田線新春日駅11:28-自宅11:55

私が登った百の名山&低山=関東編=「箱根手前の金時山から足柄城跡へ」

 バスで乙女峠へ 二、三年前から足柄峠にある足柄城跡(神奈川県南足柄市)を訪ねたいと思っていて、今回金時山の登頂後に寄る計画を立てる。新宿から高速バス利用のルートを知りそのルートを採る。バスは満員で大半が金時山の登山客のよう。乙女峠のバス停で降車して、歩き始める。少量ではあるが雪が残っているところがある。予想していなかったことで、本当に山の状態は分からない。甘く見てはいけないと思う。三月の石老山の時、Hさんがアイゼンとオーバースボンを用意しておられたが、ベテランの用意周到さを思い出し、改めて脱帽である。見習わなくてはいけない、と誓う。すぐ乙女峠。

 山容は猪鼻か 小休憩後出発。滑り易い赤土に階段が付けられた道を登る。長尾山を越えたところから、次の上りが心配な程、ぐんぐん下る。右前方に金時山が見え始める。再び上りとなり、鎖場らしき所を通過して、歩き易い尾根道を進む。金時山が正面の位置に見えるようになる。山の形が猪の鼻に似ていると言うが、鼻が立った状態なのだろうか。右側に展望が開けて湖は芦ノ湖で、蒸気が立っているのは大涌谷か。ゴルフ場が目に付く。最後の急登となり、遭難碑のレリ-フがはめ込まれた岩があった。この程度の山では珍しいのではないだろうか。難無くこなして頂上[1,212M]に出る。既に10人程の登山客が休んでいた。

 金時娘の山小屋 頂上は意外に広く、小屋が二軒ある。その一つが有名な金時娘のもの。同小屋は客で混雑していた。いつかテレビで見たようになじみの客が多いのだろう。彼女が新田次郎の小説「強力伝」のモデルの娘であったことを、小屋の案内板で知る。雲が多く、富士山は裾野のみで遠望はないが、箱根の主峰神山が正面に見える。
 雨が来そうなので早目に、足柄峠に向けて下山開始。すぐ急降下で、はしごの連続。立った猪の鼻を下っている格好。はしごはてすりのあるステンレス製。山のはしごとしては立派なもので、降り易い。上りのハイカ-が多く、待つことがしばしば。小さいが浮き石があり、慎重に下る。約25分で下り切り、広い尾根道に出る。途中、丸鉢山で休憩。そこに猪鼻砦跡の標柱があった。説明によると、丸鉢山が猪鼻の先に当たると言う。どうも、金時山は鼻が立った状態と見た先の見方は違うらしい。

 足柄峠・城跡 尾根道を歩き通して、足柄峠・城跡に着く。例の豊臣秀吉の小田原攻めの時は戦わず空け渡したらしい。一の郭から五の郭までを歩き回る。空壕や土塁で仕切られた郭跡が良く残っている。当時の井戸の跡もあり、珍しい。物見台と言われる場所から金時山を見たら、同山は猪の頭で丸鉢山が鼻先に見えた。
 その後、聖天堂に参拝し、関所跡を見て、明神郭跡を探したが探しあぐね、地蔵堂へ下る。下りの道は、新羅三郎義光、源来光、徳川家康なども通った古道という。時々舗装道路と交差するのが残念だ。地蔵堂に着き、バス時間を確かめ、夕日の滝を往復する。途中、道端に五、六頭分の猪の毛皮が干してあった。地蔵堂で休憩後、お土産に菜の花などの野菜を求め、バスで小田急新松田駅に出る。予定より早目に帰宅できた。(95/4/2 73/100)

追 記 箱根金時山は、日本三百名や日本百低名山(同書113頁)、日本百低名山(同書230頁)登載の山である。しかし、当時は城址巡りが主で、足柄城址に力点があったと思う。道路に干してある猪の毛皮が生々しかった。15年後金時山に再登した(10.5.15)が記憶と違っていた。この時は仙石原へと下山した。

大江戸線で光が丘公園へ

 7月に入り連日暑い日が続いている。里歩きも困難な時期であるが、そんな中暑さを避けるコースを探した。辿り着いたのが、板橋区境にある練馬の光が丘公園。園内の北半分程は森林に覆われている。その中には太陽が届かず、なんとか歩けるだろう。武蔵野の面影の期待もある。大江戸線光が丘駅から近く、安近凉だろう。

 大江戸線で光が丘へ 春日駅で三田線から大江戸線に乗り換え、都庁前で光が丘行きに乗り継いだ。光が丘駅は初めてではないが、大きな駅で地上へ出るのに戸惑い、方向を確かめ公園へと歩いたが正面にはビルが並び、地図版で一本左の通りを行くと、公園に突き当り、入口を見付け入園。当園は2,3度歩いているが、いつもは板橋成増側からで、風景が一致しない。ようやく案内所があり、園内マップを貰い、見当が突き始めた。

 期待通りの散策路 裏手へ回り西側の遊歩道をスタート。予想通り、樹林帯の道で、左右は樹々が繁り涼しそう。霧雨が落ちている。時々散策者が交差するだけ。くすの木広場で右折し林の中を歩き続ける。北口で内部へ入り、休憩所を経て、ゆりの木広場へ。自販機で冷たい缶コーヒーを求め一息入れた。咲く花はキバナコスモスか。霧雨はやんだが暑さは感じない。歩行中の桜並木はジョギングコースで距離表示があり、時々ランナーの外自転車も通る。車の通行はなく安全だ。バーベキュー広場の先がちびっこ広場。正面先に赤塚口が見えは始め、東門だろう。

 深い森の中 ここで左折し、自然保存ゾーンとあり、森の中である。時々ジョガーや散策者と交わる程度で、自然を楽しみ、味わっている感じで、夏とは思えない。次は北口であったが、先ほど内部に進入した地ではなく通り越し、そこまで歩くことにした。スマホで調べると約5㎞を歩いたに過ぎない。往路で確かめた公園口に着いて、光が丘公園を出た。そこは光が丘高校口で、初めての地であった。折よく直ぐ成増行きバスが来て、乗車。北口前を通って成増に着き、同駅で買い物し帰宅した。調べると、光が丘公園はいずれも晩秋で銀杏並木散策であった(21.11.12他)。(2025/8/5 K.K.1611)

◇日時 2025/7/11 ◇天候 曇り ◇交通費 シルバーパス ◇歩行距離等 9000歩 7㎞
「通過時間等」自宅8:45-大江戸線春日駅9:30-同都庁前駅9:47-同光が丘駅10:20=光が丘公園10:30/11:35=光が丘高校前バス停11:38-成増駅12:00-自宅12:25

私が登った百の名山&低山=関東編=「ヤビツ峠から大山に登り日向薬師に下る」

 天気予報通り、天気は明け方は良くなかったが、太陽が昇るに従い段々良くなりハイキング日和。小田急秦野駅に8時10分着。

 ヤビツ峠から上る バス停はハイカーの群れで一杯。既に、S夫妻、STさんがバス停に並んでいた。臨時バスでヤビツ峠へ。峠で準備を整えたが、飲料水がない。諦めて出発。ハイカーの大半が丹沢コースで、大山コースは我々のほか一、二組。急登でつらい。鴬の鳴き声がしきり。

 展望の良い山頂 尾根道は眺望が良く、相模湾が一望、大島も見える。山の方も、丹沢山系のみならず、富士の秀峰が目前に迫る。未だ上半分程が雪で覆われている。小憩を取りながらも約1 時間程で下社への分かれ道に到着、先ずは順調。程なく、頂上の奥社に着く。頂上は1,252m。360度ではないが眺めが良く、湘南海岸が眼下に広がる。例によって、麦酒で乾杯した後、朝食が早かったので、おにぎりを食べる。S夫妻が奥社で人手した御神水で作ったカップラーメンも戴く。

 下社へ 11時すぎ、下社に向かって下山開始。岩石の多い道で、下りといえどもなかなか厳しい。頂上へ向かう上りのハイカーが多く、時々道を空けて待つ。STさんは順調に下り、先で待って一服していることが多い。冨士見台から見た富士山も素晴らしい。下社への下りは長く、しかも急坂であり、ヤビツ峠迄バスで上がった本日のルートはべターな選択のようだ。

 日向薬師へ下山 下社の茶店で一休みした後、当初のルートを変更して日向薬師へ向かう。途中、二重ノ滝あり。Hさんが20年前に沢登りをしたところという。見晴台で尾根に出て、小憩の後、なだらかな尾根道を下る。九十九曲がりの急坂を経て、キャンプ場に14時すぎに到着。水場があったので、残りの食事をする。若者が多数キャンプを楽しんでいた。
 キャンプ場からは舖装道路。マス釣り場があり、そばではバーベキューをやっていた。途中、大友皇子の墓を見学して、日向薬師バス停着。ジャストバスが到着。日向薬師の見学を省略。小生は足が痛かったので助かった感じ。SKさんは残念がった。
 小田急伊勢原に出て、新宿を経由して高島平に戻り、l8時30分頃帰宅。途中、小田急登戸でHさん、同代々木上原でS夫妻、同新宿でSTさんとそれぞれ別れる。お疲れ様でした。(94/5/21 72/100)

追記 丹沢の大山は人気の山である。アクセスや標高なども初心者にも丁度良い。私も山歩き初心者の頃の外、その後も数回登っている(97.10.11他)。本記録山行メンパーは懐かしい方々である。確か頂きで食事中、鹿二頭が近づいて来て、食べ物をねだったと思う。一昨年、下社から南麓を下って難渋し(23.5.31)、最後の山歩きとした。 大山は、日本300名山に選ばれ、また日本百低山(同書222頁)や日本百低名山(同書138頁)でもある。

総武線で銚子へ行き銚子電鉄に乗る

 JR東日本大人の休日俱楽部パスの行き先は、千葉の銚子とし、銚子電鉄で外川駅を往復したい。調べると片道約20分で、短い路線と知る。往路は総武線、復路は成田線を利用し、久しぶりの両線乗車である。銚子、佐原間は30年振り2度目であろうか。

 特急で銚子へ 総武線は錦糸町駅から特急とし、水道橋駅をスタート。これまでは山手線で秋葉原駅からだが、近いと知った。総武線鈍行に乗り、錦糸町駅で特急しおさい3号に乗り換えた。船橋駅、千葉駅を通過し佐倉駅となり、車窓からミスターの母校佐倉高校を探したが見えなかった。電車は右折し成東駅から犬吠埼へと走った。小さな駅にも停車して、銚子に滑り込んだ。

 銚子、外川間を往復 銚子電鉄は同じホームの先でそのまま歩いて、2両の小さな電鉄を待った。当線は、屛風ヶ浦や犬吠埼灯台見物の際乗ったが、乗り切ったことはなく、本日は銚子駅から終点外川駅を往復する。一日乗車券を求めると、10駅6.4㎞の路線。銚子駅の左手は、醬油メーカーの工場のようだ。短い駅間で停車を繰り返しながら、進む。街中から君ヶ浜駅、犬吠駅を過ぎ、20分程で外川駅であった。

 折り返しだが時間がなく、駅外へ出られない儘、銚子行きとなった。犬吠駅付近で右手に灯台を探したら、屋根上に白い頭が見えたが、本物か少し疑った。私が灯台を訪ねたのはもう10年以上前(12.2.12)のこと。銚子駅で時間があり、ご当地名物ぬれ煎餅を求めた。昼食用で好物である。駅前へ出ると椰子の木や棕櫚の樹があり、黒潮で温暖の地なのだろう。

 銚子から成田へ 成田線に乗車。次の松岸駅で成田方面へとなった。記憶では、飯岡開催のかぼちゃ会出席の折、家内と佐原から向かう時松岸駅で乗り換えた(96.4.6)のが当線の最初で最後であろう。右手奥が大利根川で見え隠れし、笹川駅を通る。演歌 “大利根無情”があり、当地旭出身の歌手椎名佐千子がカバーし聴いている。幕末の大利根河原の決闘の唄である。佐原駅から成田駅へ出て、空港線に乗り換えた。当線も未乗車で、今度回った。本日大手町で17時開催の会合があり、成田エクスプレスに乗車し東京駅から歩いてそう遅れないで、出席出来た。(2025/7/23 K.K. 1610)

◇日時 2025/6/27 ◇天候 晴 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス+700円 ◇歩行距離等 8000歩 6㎞
「通過時間等」自宅9:00-JR水道橋駅9:48-同錦糸町駅10:17-銚子電鉄銚子駅12:20-同外川駅12:45-JR銚子駅14:05-同成田駅15:31-同空港第二ビル駅15:48-同東京駅17:05=大手町17:15/20:20-自宅21:10

私が登った百の名山&低山=関東編=「奥多摩高水三山に登る」

 12月に入り、今年もハイク友との忘年山歩きの時期になり、メールを交換し奥多摩高水三山に決まった。アクセスも良く手頃な山だが、以前に難渋したことを思い出した(99.10.17)。大分前だが二度歩き、御嶽駅への最後の下りで急降下が続く。下りが苦手な上、最近平地歩きのみで心配だが、ゆっくりと時間を掛ければ何とかなるだろうと出掛けた。

 20年振りの高水山 JR立川駅にKさんと待ち合わせ、青梅線軍畑駅に降りた。山間の駅には客も無く、我々だけスタート。広い舗道へ出て山へ向け緩い坂道を歩き、平瀬集落で左折し、二つの寺前を過ぎると登山口であった。前回は20年前(99.10.17)で、先程来記憶にない風景ばかり。
 堰堤脇の急な石段を過ぎ、いよいよ山道へ入る。沢沿いの小径から山腹のススキ原の道になり、急登で、足が時々止まり、Kさんとは少し開く。いつものことで、彼は振り返り、待ってくれる。肩へと上がり小憩。
 杉林の中を行く。薄暗い林の中はうっすらと記憶にある。そろそろ頂上が近いと思い始めたが、道標は7から8合目だ。坂道から緩やかな道になり、常福院下へ着いた。山頂下の無住職の寺。参拝し、裏へ回り最後の急坂をこなし高水山(759m)であった。コースタイム90分の処120分、こんなもんだろう。山頂手前で、奥多摩の山々が見え、高い二山は大岳山と御前山と見当を付けた。

 巻道へ 次の岩茸石山へ向け、山頂を下り鞍部へ出る。葉を落とした雑木林の中で、初冬である。山下へ着き、私は最後の下りに備え巻道を採り、若く元気なKさんへ登頂を促したが、彼も私と同じ巻道へ。登山口来、ハイカーには出会わなかったが、なんと上りの外人女性に擦れ違う。既に午後になり、しかも単身で、ビックリ。
 惣岳山へ歩き続けるが、道が荒れているようだ。また山頂下になり、私は巻道だが、Kさんはここでは山頂へ。山頂下を巻いて反対側の真名井天神社へ出て、清水を覗いたが枯れていた。丁度、高齢者グループ一行に次いで、Kさんも山を下りて来て、また一緒に下る。

 何とか下山 いよいよ、最後の下りのコース。休憩中の先行グループを一度は追い抜いたが、直ぐ彼らが先に下り、見えなくなってしまった。木々の間に集落は見えず、交通騒音も聞こえず山は深い。沢井駅への分岐を過ぎると問題の下りであった。急な下りが連続する上に、小刻みに曲がりくね、岩や木の根が露出し、歩き難いこと甚だしい。ストックに縋り、一歩一歩下り、Kさんを追わない。長いと思ったが20分程で下山口へ着き、前にKさんが見えた。
 久しぶりの山歩きだったが、二度も巻道しなんとか歩き切り、Kさんに迷惑を掛けないでホッとした。これ以上の山は難しいだろう。帰途に武蔵浦和駅で、軽く反省会をした。Kさん有り難うございました。(2018/12/19 71 /100)

追記 確か高水三山は三度目と思う。高水山へはそうではなかったが、下山路の最後は大変であった。棒ノ嶺からの下山コースと同じ道で、経験していたが難渋した。最初は20代の頃、仲間とのハイキングで、上りと同じコースを下ったと思う。御岳山に次ぐ人気の山であった。

会津若松から会津坂下を巡る

 大人の休日俱楽部パス2日目は会津若松である。会津若松城跡は2度(14.12.6他)訪ねたが戊辰戦争の史跡等は記録していない。これまでは只見線や磐越西線乗り鉄の際は乗り換えているが、市内は歩いていない。今回は飯盛山から滝沢本陣を巡り、会津坂下へと予定している。只見線利用だが過疎ダイヤである。

 飯盛山、滝沢本陣 朝、駅前から飯盛山を目指した。フロントでは坂道で時間を要すると言われたが、その通りで、40分程で山下に着き、急で長い石段は隣のエスカレータを利用。白虎隊墓地は二度目(96.2.11)で少し記憶があった。直ぐ多数の修学旅行生がやって来たが、その間を一回り。端へ出て、市内の先に若松城を探したが見当たらない。落城を誤認し自刃したとされているが異説もあるらしい。約300人の隊士中19名である。軽く手を合わせ、カメラに収めた。小さな墓石であった。                      山麓を下るとさざえ堂、そして洞窟堰があり、戸ノ口原で敗戦し白虎隊が引き上げた堰と思い出した。また下って滝沢本陣があった。藩主用休憩所で、重文指定という。受付がなく、弾痕や刀傷は確かめられなかった。市内へ戻り、バスターミナルで、会津坂下行きバスを待った。

 バスで会津坂下へ 会津坂下は、若松の西方で奥会津の入口である。調べると春日八郎の出身地で思い出館があると分かった。作曲家猪俣公章や版画家斎藤清、そしてオリンピアンバスケの江川嘉孝の出身地と知った。バスは市内から西若松駅付近で只見線を渡り、郊外へ出たが坂下は、近くはなかった。町役場前先のバス停で降して貰い、左手先へと教えられた通り歩いたが田舎の道は遠かった。約1時間も歩いて、田圃の中に思い出館はあった。

 春日八郎思い出館 春日八郎一色でレコードやピアノ迄展示してある。彼は上京後音楽学校で学んだと略歴にあり、あの美声はその所為だろうか。“赤いランプの終列車”、“お富さん”、そして“別れの一本杉”である。小学生の頃ラジオから流れ聞いていた。別れの一本杉を唄い切った同級生がいた。表には、その歌碑と杉の木、お地蔵さんもあり、カメラに収めた。管理人やその知人と談笑していたら、会津坂下駅へ車で送って貰うことになり、有難くお願いした。駅前にも春日八郎像と赤いランプの終列車の歌碑があった。13時46分発の会津若松行きに乗って、二日目を終えた。地酒は唐橋ユミアナ実家の会津誉とした。(2025/7/16K.K. 1609)

◇日時 2025/6/25 ◇天候 晴 ◇資料 会津若松案内図 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス+910円 ◇歩行距離等 19000歩 14㎞                       「通過時間等」宿泊先8:00=飯盛山8:50=滝沢本陣9:10=バスターミナル10:30-会津坂下バス停10:50=春日八郎思い出館11:50/12:50-JR会津坂下駅13:46-同会津若松駅15:30-同郡山駅17:06-上野駅18:25-三田線巣鴨駅18:40-自宅19:20

私が登った百の名山&低山=関東編=「霧で展望ゼロであった50年振りの大島三原山」

 午前6時前に、港内停泊後大島岡田港へ上陸した。暗いのは明け方の所為だけではなく、雲が低く天候が良くないためでもあるようだ。三原山温泉ホテル行きのバスに乗り、終点から歩くことになった。市街地を出て、樹木に覆われた溶岩台地の密林帯をバスは走った。

 大島三原山は50年振り 本日は、ハイク友Kさんの希望で三原山である。私も、候補先の一つであり二つ返事で応じた。大島は初めてではなく、大学1年時体育授業の一環で、三原山に登り砂漠のような火山灰の地を歩いた。50年前1965年のことであった。
前夜22時竹芝桟橋を出航し、夜行の船中泊も椅子席で心配であったが、無事大島岡田港に着いた。雨が降らないように祈るだけだ。2人とも雨具は準備している。

 霧の中出発 ホテルで道順を調べ、霧の中を6時30分に出発。中年ハイカー2人が先行した。車道を歩くが早朝のためか車は一台も見掛けない。道端には展望台があるも、展望処か霧が深く視界が10m位。50分で、登山口に着いた。売店等は開店前で無人、一人の男性登山者が休憩所も閉鎖中と教えてくれた。我々も素通りする他なく、登山道に入る。道の両側に溶岩の塊が見え始め、シェルターがある。2人は、その中で立ちながら朝食。

 展望ゼロの山頂 風も出始め、帽子が飛ばないようにマフラーで押さえた。登山道は傾斜を増し、一歩一歩確実に上がり続け、最後の急坂を上がり切ると山頂遊歩道。火口を一周するようだ。しかし、天候回復の兆しも無く、濃い霧が立ち込め、海抜700m位の高地だろうが、振り向いても展望はなく、期待の海原は一切見えない。Kさんの主導で、火口一周コースに入るが、直ぐ諦める。中心に見えるはずの肝心の噴火口が分からないのだ。

 温泉入浴断られる 私は、少し遊歩道を進み途中から先程の温泉ホテルへ下るコースを提案。霧の中、同じような溶岩地帯で、分岐点を見失うことの無いように、2人で注意しながら歩く。火口遊歩道から温泉ホテルへの分岐は直ぐで、標識を確かめ左折し下った。少し雨が落ちて来て、Kさん傘を出すが、風もあり雨具着用を薦める。私のはレインコート型で、直ぐ羽織れる。一帯黒色の溶岩が転がり林立する地だが、切られた登山道は整備され歩きやすい。2人は軽口を交わしながら順調に下り続けて、また樹林帯となり、躑躅園を通過すると、先程のホテル横へ飛び出した。ロビーを借りて着替え、入浴を申し込むと、朝風呂は終わり入れないとつれない返事。歩きながら清掃中かなとの話しが出だが的中してしまった。

 くさやで一杯、出港を待つ バスで岡田港へ出て出港迄の間、あんこ姿の店員から土産を求め、昼食には地元食堂でラーメン。待合室に戻って、地産くさやを肴に酒盛り。清酒に合いKさん持参の紙パック酒が底着くと、ようやく連絡船サルヴィア丸乗船の時間となった。                              (2015/03/16,7 70/100) 

追記 二度目の大島三原山は、悪天候で火口を往復しだけだったと思う。頂上を踏んだかも記憶にない。三原神社は記憶にあり、無事下山して、くさやで酒を酌み交わしたのは覚えている。

北上川河畔を歩き北上夜曲歌碑を往復する

 JR東日本大人の休日俱楽部パスを入手した。遠出先は、岩手県北上市で、北上川河畔を歩き、展勝地の先に北上夜曲歌碑があり、訪ねようと思う。少し古いハイキング資料から見付けていた(山と渓谷社「駅からハイキング」40頁)。これまでも目に付いてはいたが、ようやくチャンスが巡って来た。復路には、宮城県陸羽東線小牛田駅、古川駅間を乗車したい。

 北上川へ 上野駅から乗った東北新幹線を仙台で乗り換えて、北上駅に着いた。構内案内所で、歌碑迄4㎞、途中の珊瑚橋迄バスがあると教えて貰った。西口から乗ったバスは、市内から東北新幹線の陸橋、そして北上川を渡り降車し、左岸の河原を下り始めた。右手が桜並木の展勝地であり、有名な花見の名所で、テレビで見たことがある。ちらちらと咲く朱い花は躑躅のようだ。本日は曇りで、暑くはないが、桜並木へ入り歩き続ける。ようやく出口に至り、レストハウスだが、一部閉鎖中のよう。

 北上夜曲と思い出 先の土手へ上がったら歌碑があった。意外に大きな横長のもの。“匂いやさしい白百合の 濡れているよなあの瞳・・・想い出すのは 北上河原の月の夜”と刻まれている。1961(昭和36)年レコード発売しヒットしたという。私には思い出がある。高校2年の小旅行の際、担任のS先生が、バスの中で自らマイクを握りこの歌を唄い、北上河原の部分を山形市内を流れる馬見ヶ崎川と替えたのだった。いかつい先生には不似合いであったが、拍手喝さいであったと思う。その先生も大分前にお亡くなりになった。個人的にもお世話になった。

 小牛田行きは断念 河原は広く往きとは別ルートで珊瑚橋へ戻り、駅へと歩く。この時期大河北上の流れは多く、川幅一杯に流れ下っている。歌碑から50分程で駅へ着いたが、予定した東北本線は5分前に行ってしまっていた。当駅は二度目で、北上線で横手駅へ出て山形へ帰郷したことがあった(18.7.1)。未だ14時で、陸羽東線小牛田駅へとスマホで路線検索をしたが、旨く乗り継ぎが繋がらない。新庄駅から小牛田駅迄が陸羽東線だが古川駅、小牛田駅間が未乗車で、今回埋めたいと予定するも、残念だが諦めようと東北新幹線に乗車し、郡山駅から会津若松駅へ向かった。明日の乗り鉄や訪問先である。(2025/7/9 K.K.1608)

◇日時 2025/6/24  ◇天候 晴  ◇資料 北上市内案内図  ◇交通費 大人の休日俱楽部パス+200円  ◇歩行距離等 14000歩 10㎞
「通過時間等」自宅8:10-JR上野駅9:14-同北上駅12:09=珊瑚橋バス停12:20=北上夜曲歌碑12:50=珊瑚橋13:35=JR北上駅14:30-同郡山駅16:15-会津若松駅17:30=宿泊先17:40

私が登った百の名山&低山=関東編=「孫怜と一緒に700号記念高尾山ハイクに参加する」

 旧友でもある本記録読者達に、700号達成記念ハイキングを催して戴いた。ハイク先は、高尾山と連絡があり、私は、小学3年の孫を連れて参加した。

 孫を先頭に登山開始 総勢11名は、午前10時京王線高尾山口駅前に集合。もの凄いハイカーの群。人気の山のバロメーターか。脚に故障のある方もいて、リフトやケーブルカーも予定したが、待ち時間が不明で、孫を先頭に1号路を上がる。倒木や崖崩れが見受けられ、先日の台風の爪痕にびっくりしながらも、行列をなす中を、ゆっくりと歩き続ける。
 途中、孫には、蛸杉や薬王院境内では天狗の像を教えたが、そう興味を示さない。山頂下からの最後の坂を凌いで、全員登頂(599m)。既に大勢の老若男女が昼食中。我々も食事の場所を探そうとしたが、結局は山頂広場の真ん中にそのまま座って、弁当やおにぎりを取り出した。記念にと、急遽売店から缶ビールを仕入れて乾杯。例によってご婦人方からは漬け物や果物、お八つまで回って来た。孫も、母親手製のおにぎりを頬張っている。彼は山頂からの富士山の姿を期待していたが、その方向には雲が出ていて、裾も見えない。
 下山は、稲荷山コースを下る。200回記念と同じコースとHさん。そう、旧職場辞職祝いを兼ねたハイキングもそうであった(2000.10.14)。メンバーも大半は共通している。我が孫の誕生前のこと。先程も、前回の昼食場所はT君の案内で山頂先の広場であったとの思い出話しが出た。

 下山後高尾の湯へ 展望台へと下りて、参加者全員で、記念撮影。これが逆光で失敗してしまった。新宿の高層ビルやもしかしたら筑波山をも孫と共に確かめるのを忘れてしまった。この辺りから、孫の歩き方が時々不自然になり、皆心配する。やはり疲れが出たのだろう。それでも一番前を下り続けて、登山口へとゴール。皆に、“よく頑張ったね”と言われて、本人も嬉しそう。本格的な山登りは始めての筈。脚を心配したメンバーも無事下山。土産店通りでは、孫は忘れずに高尾名物饅頭を買い、同居のおばあちゃんへのお土産という。駅前から送迎バスで、高尾の湯へ。様々な種類の湯を備えた大きな温泉で、孫と梯子湯を楽しむ。特に古代檜風呂が良かった。風呂上がりに、ビールや多摩の地酒でまた乾杯。山を上下しお腹が空いたか、孫はカツ丼に挑戦した。(2011/10/ 69/100)

追記 皆さん、この度は、山歩きのお付き合いの外、企画から当日の御世話まで、本当に有り難うございました。天候にもメンバーにも恵まれて、楽しいハイキングでした。今後ともよろしく御願い致します。孫も、元気に歩き通し温泉も楽しんだ。あれから14年、彼は、今年社会人となり、名古屋に赴任した。先日山歩き案内するから、名古屋へ来てとメールがあった。

旧友達と多摩川台公園紫陽花から田園調布へ

 旧友Sさんを中心とした我がグループで、多摩川台公園で紫陽花を鑑賞した後、田園都市駅前で、食事をすることになった。多摩川台公園は紫陽花が咲き、この時期2度訪ねている(22.6.10他)。今回は当地に住むTさんの案内で、あの長嶋さん推薦の焼鳥屋へとの話も出ている。大半は、私の本記録の読者で、昨年は我が板橋区で、植村冒険館見学の後、石神井川沿いを歩いた(24.9.8)。

 多摩川台公園 10時東横線多摩川駅集合で、私は三田線からそのまま約1時間で着いたが、直ぐ7人全員集まり、駅前の多摩川台公園下へ出ると、目の前に紫陽花が迫って来た。やや満開を過ぎたようにも見えるが、鑑賞には丁度良い頃だろう。縦横の遊歩道を選んで、私は臙脂の花へ近づいてカメラを向けた。
本日は日曜日で、人出は多い。左手先は多摩川だが、河川敷は広く流れは先のよう。園内は樹林が多くもう深緑で、暑くもなく爽やかで、梅雨の時期なのに雨の心配はない。広場の椅子で休憩し、持参の飲料水を飲む。女性軍はおしゃべりが始まり、元仲間の消息が中心で、この種集まりでは止むを得ないだろう。

 宝来公園へ Tさん、次は田園調布の宝来公園へという。仲間の一人がスマホで検索し、近いよと言いつつリードした。高級住宅街の一角に公園は見付かった。私は1度訪ねていて(14.5.23)、見覚えがあった。帰宅後調べると黄色の菖蒲を見に来たようで、小さな池の形を思い出した。公園を出て、住宅街を斜めに進むと、田園調布駅舎前へと続き、また駅前で小憩。                           

 田園調布高級住宅街 Tさん、長嶋邸が近く行こうと言い、高級邸宅へと案内。最近テレビで見たばかりで、私は軽く手を合わせ、大邸宅を眺めた。私は嘗てジャイアンツファンであったが長嶋監督就任には賛成ではなかった。広岡遊撃手とは正反対で監督向きではなく、就任1年目はリーグ最下位で、私の巨人離れを加速した。大選手であったことは間違いない。超素人の感想に過ぎない。        
 Tさんが予約してくれた駅先の中華料理で昼食。例の焼鳥屋は、日曜日は閉店という。残念。約1年振りの当会、生ビール等で乾杯し再会を祝った。いつも私は一人晩酌で、会話しながらの飲み会はテンションが上がったようで、生ビールをお代わりした。Tさんによれば多摩川台公園は花見の地でもあり、来春は土曜日に花見に来て、焼鳥屋に寄ろうということで、纏まった。駅へ戻り、私の方向は一人で、皆さんと別れ帰途に就いた。(2025/7/3 K.K.1607)

◇日時 2025/6/22 ◇天候 晴 ◇交通費 410円 ◇歩行距離等 8000歩 6㎞
「通過時間等」自宅8:25-東横線多摩川駅10:05=多摩川台公園10:10/10:55=宝来公園11:10=田園調布駅舎11:30=長嶋邸前11:40=昼食会12:00/13:30=東横線田園調布駅13:40-自宅14:50

私が登った百の名山&低山=関東編=「タフなコースに参った奥多摩・棒ノ嶺からの縦走」

 棒ノ嶺は遠い山であった。奥多摩の代表的な山であり、関東ふれあいの道「山草のみち」コースでもある。いつかはと思っていたが、健脚向きということで躊躇があり、一度は途中で断念したこともあった。ふれあいの道・東京都コースで最後となってしまい、今年目標の山とし、連休の一日を棒ノ嶺に当てた。棒の折山ともいうようだ。

 青梅線川井駅からバスで入山 長丁場に備えて早立ちした。ふれあいの道は奥多摩町上日向から御岳駅までの長いコースである。青梅線川井駅前から乗ったバスを上日向に降りて、棒ノ嶺を目指して出発。清東橋、百軒茶屋を経て奥茶屋を過ぎると登山道に入った。沢沿いのわさび畑の間をゆっくりと上る。沢を離れると杉林の中の階段となる。資料によれば500段あるという。最初の難関は思った程のことはなく上り切り、尾根に出た。程なく山頂下の急登となり小刻みなジグザグを繰り返す。大きな岩を3つ越すと頂が見えた。

 急登から頂上 棒ノ嶺頂上(969m)は広場となっており、既に多くのハイカーが休憩中。北東方面の展望が開け、先日登った伊豆ガ岳や子の権現(2000.4.23)等奥武蔵の山々が目の前である。残念ながら新宿の高層ビルまでは靄って見えない。菓子と水を補給して、ゴンジリ峠に下りる。道は一転して広い階段の道。上って来るハイカーは皆、端を歩いている。ふれあいの道階段の歩幅が合わないのだ。ゴンジリ峠からは名栗方面への道が分けて、峠から岩茸石まで往復する。実はふれあいの道・埼玉県1「水源のみち」を歩いた時、棒ノ嶺登頂は諦め中途の岩茸石で引き返したのだった(96.8.24)。「水源のみち」の歩き残した部分を今回補充しようというもの。意外に長い道のりと感じたが予定通り約40分で峠に戻った。

 岩茸石山へ 峠で一息入れて、岩茸石山へ向ける。尾根筋歩きは好調だ。やしおつつじは散り始めたがレンゲツツジはまだ蕾。林が切れて奥多摩の山が右手に現れ、一段高い山は大岳山と御前山であろう。足下に見える集落は今朝通った大丹波に違いない。縦走路は道が狭い上に小さなピークが多い。出会うハイカーも稀となる。次第に疲れが出始め、上りが辛くなった。黒山から1時間経過しても、名坂峠に出ない。堪らず休憩を取ると、木々の間から前方に岩茸石山が見え、もうすぐと気合いを入れ直す。さらにピークを一つ越して、名坂峠から岩茸石山に這い上がった。
 岩茸石山(793m)は高水三山に属し奥多摩の人気コースであり、小生も昨年登ったばかりである(99.10.17)。ベンチの一隅を借りて遅い昼食とした。

 御岳駅へ下山 御岳駅に向けて下山開始。惣岳山下に着き、巻き道を採ろうとしたが思い直して、山頂(756m)の青渭神社に参拝し小憩する。直下の岩場では最後の力を振り絞った。神社の彫刻を見学した後、他のハイカーと前後して下り、3時過ぎにコース終点御岳駅にゴール。駅は御岳山から帰る家族連れなどでごった返していた。(2000/5/5 68/100)

追記 後半はすっかりばててしまった。確かに縦走路はタフだったが、欲張った埼玉県1「水源のみち」岩茸石往復が余計だったのだろう。それでも関東ふれあいの道東京都「山草のみち」を歩き通したことになった。まだ若かったのである。特に、御山駅への下山路はその後の高水三山でも苦労した(2018.12.19)。

紫陽花を探し荒川線向原駅から白山神社へ

 6月になりあじさいの季節である。バラに続いてアジサイの花が咲き、色とりどりの大きな花が美しい。好きな花で、毎年鑑賞に出掛けている。ネット情報で、荒川線向原駅や大塚駅付近にも咲くと知った。我が家から近く、出掛けることにした。紫陽花の名所文京区の白山神社へのバスルートも調べた。ダメ押し先である。

 紫陽花は? 三田線西巣鴨駅から歩き荒川線新庚申塚駅で都電に乗ると、大塚駅、向原駅は近い。停留所を出て、辺りを見回したがあじさいはない。線路の反対側へ出てみたが見当たらない。小さな公園を覗いたがない。線路に沿い、アジサイを探しながら、大塚駅へ歩くが、さっぱり見当たらない。小路へ入ると僅かに咲いているのに出合い、カメラに収めた。私が見たネット情報はガセネタであったろうか。大塚駅前で、バスの待ち時間に天祖神社に寄り、参拝。境内に銀杏古木のご神木が二本あり、見上げた。案内によれば、東京空襲で焼けたが、生き残って現在も緑の葉が生茂り、健在である。

 紫陽花祭りの白山神社へ バスで文京区を走り、小石川植物園傍に降り、蓮華坂を上下し白山通りへ出て、白山神社参道へと歩く。商店街間の石段を上り境内へ入ると、人出があり、アジサイは咲き誇っている。文京区のあじさい祭り開催中で、出店も並んでいる。私は花を選びシャッターを切りながら、本殿前へ出て、参拝。今年当社近くの大学を卒業した孫が名古屋へ赴任し頑張っている。ご加護をお願いした。紫陽花を眺めながら、ゆっくりと境内を一回り。私は臙脂色の花が好きだが、紺色が多く、白も混じる。裏手の富士塚もあじさいに覆われ上ることも可能で、順番待ちしている。カメラに写して、境内を出た。三田線白山駅は近く、車内でカメラを再生したら、臙脂色の紫陽花もくすんで見えた。でも、都電向原駅付近での出合は失敗したが、白山神社でダメ押しとなり、ほぼ満足して帰宅した。(2025/6/29 K.K.1606)

◇日時 2025/6/12 ◇天候 晴 ◇資料 “都電神社マップ”◇歩行距離等 8000歩 6㎞「通過時間等」自宅8:30-都電荒川線新庚申塚駅9:10-同向原駅9:20=同大塚駅9:49-小石川植物園前バス停9:55=蓮華坂10:00=白山神社10:10=三田線白山駅10:35-自宅11:30

私が登った百の名山&低山=関東編=「奥多摩の名峰・三頭山に登りブナ林を歩く」

 今年の目標の山の一つである奥多摩・三頭山に登った。三頭山は、大岳山、御前山とともに奥多摩三山に属し、その中の最高峰で、山歩きガイドブックには必ず紹介されているポピュラーな山である。他の二山には既に登った(大岳山94.10.8,御前山94.11.19)ので、三頭山を目指していた。

 真夏にチャレンジ ガイドブックで調べると夏でも可とあり(浅野孝一「中高年の山のベストコース[東京周辺]」山と渓谷社,86頁)、それでも真夏の炎天下は避けようと思っていたら、丁度、本日曇りで涼しいとの予報を見て、勇んで出発した。同山は、奥多摩周遊道路ができるまでは、アプローチが長く簡単には登れない山で一部の山男にだけ知られていたが、最近は都民の森も出来、バスが直ぐ下まで乗り入れたため俗化してつまらなくなったとの声もあるようである。未だ僅かに残るブナの原生林に期待する。今回は、真夏対策として水500リットルボトル2本、スポーツ飲料500リットル1本、ヨーグルトそれに桃、雨に備えて雨具、傘、着替え一式をザックに入れた。

 鞘口峠から山頂へ 都民の森までバスで入り、歩き始める。8月の日曜日なのにハイカーは意外に少ない。天候のせいだけではないようだ。都民の森の中を過ぎると鞘口峠はすぐ。峠で一休みして、三頭山へ方向を採る。ブナ林に入ったようで、一抱えを超えるブナの木が目立ち始める。勾配がきつくなった尾根道でグループを追い抜く。鞘口峠から所要時間50分のところを約60分要して、三頭山・東峰(1527.5m)に登頂。
 小憩後一旦峠に下りて、上り返したところが三頭山・中央峰(1531m)。いずれの峰も残念ながら雲で展望はない。休んでいた老夫婦に記念のシャッターをお願いした。
 三頭山の由来は、三つの峰からなる山という説が有力であるが、先の峠が御堂峠でこれが三頭山になったとの説もあるようだ。

 西原峠経由し数馬の湯へ 遅くとも2時20分までに中ノ平バス停に下山し、数馬の湯に入り、3時12分発のバスに乗ろうとの読みで、西原峠へ向かう。同峠までのコースタイムは60分。この尾根道は笹尾根の下りで、春に歩いた浅間峠を越えて生藤山(98.4.18)から和田峠まで続いている道。ブナ林の中の階段を降り尾根道となるが、途中から岩の多い急降下が断続し、しかも朝方の雨で濡れているため、一歩一歩下る。予定時間が過ぎたが峠に着かない。靄が濃くなり標識を見逃さないように進む。約80分を要してようやく西原峠に着き、誰もいない寂しい峠で水を飲み、桃にかぶり付く。
 西原峠から中ノ平バス停までは、歩きやすい平な道から溝の中の道となり、林の中を抜けると集落に着き、コースタイム通り約60分で下る。往きのバスの中から見付けた桧原温泉センター数馬の湯に寄り入浴(800円)。汗を流して着替えた後、家に電話し無事下山したことを伝える。長男夫婦が来ているとのことで、「また山・・・」と呆れているだろうと想像する。
 上りは僅か1時間30分程なのに、下りに2時間30分も掛かってしまったが、真夏にもかかわらず暑さを感じず、ブナ林の中の山歩きは快適であった。曇りから雨模様の天候のお陰でもある。紅葉の時期にでももう一度訪ねたい山であり、その時は今回パスした三頭大滝に寄ろうと思う。                                   (98/8/9 67/100)

追記 奥多摩桧原村も最奥でバスを乗り継いで入山した。深山でブナ林が目に付いた。コースはそう難しくなく歩けたと思う。三頭山頂から西口峠へ笹尾根を歩き、麓へ下りて数馬の湯に入ったのは記憶に残る。笹尾根は山梨県境と知った。三頭山は日本三百名旦に選ばれている。

私が登った百の名山&低山=関東編=「陣馬山から栃谷温泉へ下り汗を流す」

 今回は、家内と二人で、陣馬山から奈良子峠を経て栃谷温泉(陣馬の湯)に下るコースを歩いた。都心から近い初心者向きの気軽なハイキングコースで、しかも温泉付きという家族連れや中高年にも喜ばれること打ってつけのコースである。

 陣馬高原下から和田峠へ 陣馬山への登り口の陣馬高原下までは、京王八王子駅から西東京バスで入る。JR八王子駅前も経由し50分程で着く。バス停から道はすぐ左右に分かれるが、和田峠に向かう右の道を採る。陣馬高原下から和田峠への道は、関東ふれあいの道・東京都コース2の終点、3の起点ともなっている。
 集落を過ぎると沢沿いの林道となる。和田峠を越えて相模湖方面に抜けるドライブコースとなっているようで、車の往来が結構ある。林の中の道も上りが急になり、葛篭折れを2,3度繰り返したら和田峠は近い。ゆっくり歩いても約1時間で峠に着く。

 陣馬山頂 峠には売店があり、休憩に丁度良い。売店の脇に設けられた階段を上る。階段の道は歩き難いが、一登り約20分で陣馬山である。山頂(857m)には馬の像が建てられ、その回りのテーブルで、いつも大勢のハイカーが休んでいる。売店もあり、トイレが新築された。昼食をしながら360度の展望が楽しめる。天候が良ければ、富士山、丹沢や奥秩父の山々から新宿の高層ビルまでも見えるという。因みに、陣馬(場)山は、戦国時代甲斐の信玄が陣を張った場所に由来しているようだ。

 奈良子峠を下る 陣馬山から栃谷温泉へ下るコースは、栃谷尾根コース(96/3/31)と奈良子峠からのコースがあるが、後者の方が距離的に近い。快適な尾根道を下るが、雨後などは滑りやすい。奈良子峠は小さな峠だから、右側の標識を見逃さないようにして歩く。約30分で同峠に到着すると、標識には「藤野駅、栃谷温泉」とある。最初は急な斜面をジグザグに下るが、すぐ尾根道となる。狭いがしっかりとした山道で、杉林の中、ぐんぐん高度を下げる。奈良子峠から約30分で、枯れた古木と峠の由来を記した標識に出会う。往時、麓の村から峠を越えて八王子まで炭を運んだ馬を繋いで休憩した楢の木とある。

 陣馬の湯へ ここから栃谷温泉はすぐ。右手に建物がちらちら見え始める。下山口の前にあるのが栃谷温泉「陣馬の湯・姫谷」、岩風呂と露天風呂があり入浴のみもできる。その先の「陣渓園」も入浴可。一汗流してビールを飲んでJR中央線藤野駅を目指す。神奈川県藤野町落合・陣馬山登山口バス停まで約30分、神奈中バスで駅まで約6分、歩いても約1時間程だ。
 天候は良くなかったが、歩き始めに小降りに会っただけ。運動不足の家内は、陣馬山への上りは小憩を取りながらゆっくりとしたペースで歩く。その後、尾根道、奈良子峠からはまあまあに下る。連休なのに雨模様のためハイカーは少なく、静かな山歩きと山のいで湯を楽しむことができた。たまは、朝は玄関先で見送ってくれ、夕方は途中で待っていた。(97/9/14 66/100)

追記 陣馬山は、奥多摩手前の低山で人気の山と思う。私が上京後初めて登った山で思い出の山でもある。登頂後は、高尾山へ長い縦走(94.4.10)や相模湖側へ下るが双方とも歩いた。ただ、現在中央線高尾駅からバスで、アクセスが良くない。2,3度は歩いたが、その後チャンスは巡って来ない。

北区西ヶ原から旧古河庭園へ

 積んだ机上の書類の間から旧古河庭園バラの情報が出て来た。よく見たら昨年のスクラップであった。そしたら直ぐ今年の情報も掲載された(25.5.13讀賣夕刊)。これは行かずばなるまいとアクセスルートと寄り道先を巡らせた。そして、都電荒川線飛鳥山公園駅から歩き、西ヶ原一里塚、七所神社に立ち寄って、旧古河庭園へと歩くことにした。

 日光御成街道一里塚 荒川線飛鳥山公園駅までは、今年の花見の際も乗車した。大通りは、日光御成街道だろう。公園、渋沢史料館下側道の坂道を上がり、道路中央に小さな樹林帯が現れ、西ヶ原一里塚跡である。日本橋から二番目の一里塚で、都内で現存するのは中山道志村の一里塚と当塚だけという。カメラに収めて、滝野川警察署前から七所神社へ歩いた。この辺りは数回歩き少し土地勘がある。表参道でそのまま境内へ。夏越し祓いの時期で、茅の輪があり、前の方に倣い私も通り抜け、本殿に参拝し、孫達の健康と成長をお願いした。次男の孫は名古屋に赴任したと思っていたら、北海道出張中という。ここからJR鉄道路線を見下ろす崖端の遊歩道を探したがなかった。御成街道へ戻って、旧古河庭園方向へと歩き続ける。

 旧古河庭園 印刷局から滝野川公園、そして平塚神社前を通り過ぎ、少し歩いた右手が旧古河庭園。PASMOをタッチして、入園料を支払い園内へ。バラ祭り中で、人出がある。久しぶりだが、私は初めてではない。広い園内に立派な洋館が建つ。陸奥宗光邸で、その後古河邸となったとある。今回は、邸宅裏手の森の中から大回りしてバラ園へ。このルートは、深い森のようであり、都内の個人宅とは思えない。途中でバラ園へ左折し、休憩。バラ園を見上げるが新聞記事程ではない。カメラを手に、バラの間の遊歩道を歩くが、シャッターチャンスが少ない。時期が遅かったのであろうか。それでもカメラに収め園を出て、展望台で、日本庭園を眺める。大きな心字池を中心に庭園が広がっている。

 南北線で帰途へ 今回は、このまま旧古河庭園を出た。飛鳥山公園駅へは戻らないで、地下鉄南北線西ヶ原駅へ向かう。地下鉄に乗って本駒込駅に降り、三田線白山駅へ歩いたつもりが、反対側へ歩いてしまい30分度ウロウロして、なんとか白山駅に辿り着き、我が家へ着いた時は12時40分であった。(2025/6/14 K.K. 1605)

◇日時 2025/6/2 ◇天候 曇り ◇資料 “春バラ 映える 香る 旧古河庭園”(25.5.13讀賣夕刊)◇歩行距離等 13000歩 9㎞ 「通過時間等」自宅8:50-都電荒川線新庚申塚駅9:30-同飛鳥山公園駅9:40=西ヶ原一里塚跡9:55=七所神社10:00=旧古河庭園10:30/11:05=地下鉄南北線西ヶ原駅11:15-同本駒込駅11:25=三田線白山駅12:02-自宅12:40

私が登った百の名山&低山=関東編=「御岳山から日ノ出山を歩く」

 5月の天城山での怪我の後、最初の山歩きとして御岳山を選ぶ。家族向きのハイキングコースで、足の回復を確かめるには手頃であり、Y君のホームコースでもある。5時頃タマと殆ど同時に目を覚まし、お握りを作ってもらって出発。立川駅まではいつものコース。同駅は奥多摩方面に出掛けるハイカーで混雑している。9時30分頃鳩ノ巣駅に到着し、水を汲み、軽い準備体操などをした後出発。

 鳩ノ巣をスタート 鳩ノ巣渓谷を眼下に見るも、紅葉にはまだ早い。天候は曇りだが暑くも寒くもない日和。緩やかな上りの山道が続く。道端に野の花が咲いているが名前は分からない。廃屋の手前で道を間違える。すぐに気が付き、分岐点まで戻り再び本道を進む。岩場の多い道となり慎重に登る。大楢峠に到着して、休憩。正面に見える山を地図と磁石で検討し、鋸山との一応の結論。

 御岳神社に参拝 御岳山に向けて、コースを左に採る。下りのハイカーと擦れ違うようになる。我々のコースは御岳山からの下りのコースとしての利用が多いようだ。途中、あけびや、茸を見付け、木々の色付きは未だだが、秋を感じる。沢で休憩した後、順調に御岳神社下の宿坊の間を通過。階段を上り切ったところが御岳神社。Y君はいつものように頭を深々と下げて参拝する。御岳神社手前を大岳山寄りに入った長尾平の展望台で昼食。ビールを飲もうとしたが、賛同を得られず止める。Nさん、YМさんより、ぶどう、なし、漬物などを戴く。

 日の出山へ 昼食後、日ノ出山に向けて出発。良い道が続いたが、東雲山荘の近辺は階段状の急な上り。階段の中が広く長身のY君向きと、他の三人の意見が一致。日ノ出山の頂上は石垣に囲まれた城のようなところ。期待した展望は曇りで利かず、残念。休憩をして、YМさんより温かいコーヒーを戴く。
 いよいよ下りで、杖を出して、転ばないように一歩一歩慎重に下る。先日のNHKの「中高年登山教室」で見たように、静荷重、静移動を心がけ、特に足を引きづらないように注意する。15時を過ぎると秋の林の中は薄暗い。琴平神社に到着し、Y君また参拝する。ここからは、道が悪くなり、狭い上に雨が降ったら沢筋になるようなえぐれた石の多い道。YМさんが滑って転ぶ。YМさんも、10年前小生同様の怪我をしたとのこと。心配したが、大丈夫のよう。ゴルフ場の横に出て、山道はここまで。無事下山。
 ハイキングコースとはいえども、約6時間歩き通し、皆が心配してくれた足はなんともない、また、多少不安だった下りもなんとかこなすことができた。8月末に医者が保証してくれたように、足は順調に回復したようだ。これで、山歩きの再開に一応のめどが付いた。今回お付き合い下さいました皆さん、ありがとうございました。(95/9/30 65/100)
                           
追記 右足首怪我後初めての山歩きで、支障なく歩き通し下山できた。怪我の際にお世話になった病院や家族、職場などの色々と御心配戴いた多くの皆さんにも、感謝した。御岳山のこの地はレンゲショウマの群生地があり、夏にも数回訪ねた(08.8.14他)。御岳山は、奥多摩手前の低山で人気の山で、日本百低名山を歩く(110頁)登載の山である。

東武線、野岩線で上三依水生植物園へ

 鬼怒川温泉に宿泊する機会があり、翌日上三依水生植物園を訪ねることにした。“大人の遠足花あるき関東版”から探した(84頁)。この時期咲く花に期待した.野岩線上三依塩原温泉口駅が最寄り駅で、初めての地。路線検索では鬼怒川温泉駅から30分とある。出発前フロントで、現在水芭蕉が咲いていると教えてくれた。

 東武線から野岩線 鬼怒川温泉駅から乗った電車は、新藤原駅で野岩線に乗り換えであったが連絡が悪く40分待ち。乗った野岩線は、川治温泉、湯西川温泉と名湯の地を走った。中三依温泉駅の次が上三依塩原温泉口駅であった。無人駅で降りた者も僅か。植物園迄徒歩8分とあり、駅前の大通りへ出て右折する。深い山の中で人家も疎らな地。左手に園の案内があり、森へ入ると渓谷を橋で渡り下った先が、水生植物園であった。

 水生植物園を巡る 早速入園し、順路に従い巡る。様々な花々が咲き、ツツジやシャクナゲに囲まれて、サクラソウ、クリンソウの他の花々が咲いているが、名前を知らず、覚えられない。水芭蕉は今や大きな葉と茎で、花はお終いであった。残念。歩き回っているとクマガエソウを見付けた。源平合戦の熊谷直実に由来し、当時の武士が付けた母衣のような花形で、町田薬師池公園(06.4.30)以来の再会である。珍しい花の出合に喜びながらカメラに収めた。オダマキソウ、青いケシ等を眺めて、園を出た。電車から見えた藤の花はなかった。往きに通った道は会津西街道と気付いた。会津から今市への歴史街道で、上三依は日光市内の栃木県で、その北から福島県のようである。

 麦秋風景 野岩線から東武線で鬼怒川温泉駅で、特急は満席とあり、鈍行に乗る。今市駅で乗り換えたがまた各駅停車。昨日眺めた水田風景や麦秋風景をカメラに収めようと車窓に張りつく。鹿沼付近で、期待した車窓風景が出現した。田植えが終わり、苗が育つ時期で緑の水田風景が美しい。麦秋も次々と現れ、栃木もこの辺り農村なのだ。二毛作の地なのだろうか。数回シャッターを切り、すぐ再製したらまずまずの写り具合。栗橋駅で、JR宇都宮線に乗り換え、赤羽駅へと向かった。(2025/6/7 K.K.1604)

◇日時 2025/5/25 ◇天候 晴 ◇資料 “日光市上三依水生植物園” ◇歩行距離等 8000歩 6㎞ 通過時間等」宿泊先8:45-鬼怒川温泉駅9:00-上三依塩原温泉口駅10:18.=上三依水生植物園10:30/10:55=上三依塩原温泉口11:08-JR栗橋駅14:26-同赤羽駅15:41-三田線志村坂上駅16:00-自宅16:20

私が登った百の名山&低山=関東編=「落ち葉かき分けて登った奥多摩御前山」

 「天気等」 今回は、前回(10月8日)の大岳山に続き、Sさんの推薦で紅葉の奥多摩の御前山を選定。前日の天気予報では、19日は朝から午前中雨との予報であったので20日に延期しようとしたところ、Nさんの強い要望と、必ず回復するとのSさんの見通しで、当日朝の様子で決定することとした。19日午前5時30分、雨が上がっていたので、当初案の通り実行することとし、電話連絡。天気予報が見事に外れ、朝から晴れて、絶好のハイキング日和。歩く前にシャツを一枚脱いだ。午後は少し曇りとなる。下山後バスを待っている時に雨がぽつりぽつりと来たがそれだけ。登山道も、前夜の雨の影響はなかった。

 「利用交通」 入山は、8時立川駅に集合し、青梅線奥多摩駅下車、西東京バス「留浦行」に乗り継ぎ奥多摩潮下車。下山は、桧原村夏地(御前山登山口)から「藤倉発五日市行」西東京バス乗車、五日市駅で五日市線に乗り継いだ。帰りのバスの中でちょっとした臭いの騒動があった。

 「コース」 上りは、直登できついと言われるサス沢山・大ブナ尾根コースを避けて、通行禁止の奥多摩湖の周遊道路を利用。平らな広い道路。水久保沢手前の登り口からは上りの山道。通行禁止のためか道が荒れている感じだが支障はない。尾根までは緩やかな上りで展望のない杉林の中。水久保沢手前登り口から1時間30分で大ブナ尾根。回りの雑木林はすべて葉が落ち、道は落葉の絨毯。惣岳山山頂直前から急な長い上り、しかも土砂の中の溝のような道で足元も悪く、ロープが張ってある。惣岳山頂上で小河内峠からの道と合流。すぐ鞍部を通過して御前山の上りとなる。御前山山頂は、雑木に囲まれた小さな広場。木製のテーブルと椅子が備え付けられていた。  
 下りは、湯久保尾根コース。急坂を下るとすぐに湯久保尾根分岐点。その後は、概ね緩やかな尾根道。所々で、杉林の中や落葉に埋まった溝のような道を下った。滑り易く、HさんとSTくんを除き、それぞれ滑って転んだが、怪我はなかった。湯久保と宮ケ谷戸との分岐点でちょっとうろうろ。ばん野神社の位置が地図にないため、事前に用意した地図も宮ケ谷戸方向にマークしてしまっていた。同神社から杉林を抜け出すと桧原村湯久保の集落で、舗装道路。膝をがくがくさせながら下る。この辺は別荘が多いようだ。舗装道路を30分以上歩いて御前山登山口バス停。
 こちらの登山口からは登りたくはないとのHさんの弁。多分、アプローチが長く、しかも単調な尾根道が続くからであろう。15時過ぎの杉林の中は暗く、これ以後なら懐中電灯が必要だ。前日の天気予報等のためか、ハイカーは少なく、大ブナ尾根までは我々のみ、頂上付近で3、4組10人前後。下りの湯久保尾根では一人のハイカーにも会わず、静かな山歩きが楽しめた。

「紅葉、展望」 山頂付近は既に落葉していたが、葉を落とした雑木林、落葉を敷き詰めた山道はまた別の趣があった。中腹以下はちょうど見ごろで、随所で、紅葉を楽しみ、また写真を撮りながら山道を辿る。特に、紅葉を楽しみにしていたNさんも満足したようだ。
 山頂は、展望がなく僅かに七ッ石山が望めた。惣岳山手前の上りの岩場から見た奥多摩湖はエメラルドグリーン。下りの湯久保尾根から、左側に前回登った大岳山の勇姿、右側に三頭山・笹尾根を越して中央線沿いの高山が見えた。山梨県方面の大菩薩嶺か(Sさんは雲取山という。)。適宜、Hさんが展望の良い場所を見付けて、説明してくれた。(94/11/19 64/100)

追 記 御前山は日本百低山(同書186頁)、日本百低名山を歩く(同書124頁)登載の山である。奥多摩湖畔から五日市街道迄約5時間歩いた。紅葉の中であったと思う。百名山完登したHさんと初めて同行した。我々にアドバイスをしながら余裕の山歩きであった。

都心後楽園から伝通院へ歩く

 今回の“我がまち再発見”は、水道橋・後楽園編であった(25.5.1、7讀賣夕刊)。プロ野球選手鎮魂碑や講道館が目を引いた。本郷のかねやすや弓町の大クスノキ等を回れば、それなりの里歩きとなろう。

 先ずは本郷から 三田線を春日駅で乗り換え本郷三丁目駅に降りた。旧中山道側へ出ると交差点の角がかねやすであった、“本郷もかねやす迄が江戸の内”と川柳に詠まれ、江戸期から続く店がある。大岡越前が火事を防ぐため瓦葺や漆塗りを認めた北限が由来らしい。春日通りを少し下って左折すると弓町のオオグスが聳え、樹齢600年、幹回り8.5mは健在であった。壱岐坂へ出て下り、白山通りを横断。東京ドームへと接近し下の道路の土手にプロ野球選手鎮魂碑はあり、眺めてカメラに収めた。76人の選手名が刻まれているというが、私が知るのは沢村と吉原だけ。熊工時代吉原は川上とバッテリーを組み捕手で期待されていたが戦死した。

 講道館 講道館の名前は知っていたが、後楽園にあったのだ。柔道資料館等を一巡り。展示内容では、嘉納治五郎や西郷四郎、三船久蔵を知っている程度。しかし子供の頃は漫画や映画で柔道物は多かった。漫画“いがぐりくん”は楽しんだ。世界中に広まり、オリンピック種目になって久しい。文京シビックセンター前から春日通りの坂を上がる。左手に中大理工学部があり、講義に週一通ったが、10数年前になる。

 伝通院へ 次の交差点を右折して伝通院へ。当院は家康縁の寺で、生母於大や千姫の墓があり、初めてではない。本堂前で軽く頭を下げて、墓苑へまわると二人の墓は目立ちすぐわかった。何故か幕末の志士清河八郎の墓もあった。私は善光寺坂を下り、三田線春日駅へ出た。坂上にはムクノキの古木と幸田露伴旧邸があった。(2025/5/29 K.K. 1603)

◇日時 2025/5/13 ◇天候 晴 ◇資料 “我がまち再発見”水道橋・後楽園編(25.5.1、7讀賣夕刊)◇歩行距離等 10000歩 8㎞                       「通過時間等」自宅8:55-大江戸線春日駅9:40-同本郷三丁目駅9:45=かねやす9:50=弓町オオクス10:00=野球選手戦没者慰霊祭10:15=講道館10:25/10:50=伝通院11:10=善光寺坂11:30=三田線春日駅11:42-自宅12:20

私が登った百の名山&低山=関東編=「タマに起こされて出発し、大岳山頂で芋煮会を楽しむ」

 午前5時頃愛猫タマに起こされ、昨夜まで準備した芋煮の鍋を背負って出発。雨は降っていない。今回はSさんの案内で、奥多摩の御岳山から三百名山に属す大岳山。新宿駅を経由して同立川駅に着いたのが7時45分頃で、全員集合済みであったが、タッチの差で7時47発奥多摩行が出発。予定通り8時18分発の電車に乗る。途中、軍畑駅で降りるハイカーが目立つ。今夏高水三山に登った皇太子夫妻の影響か。御獄駅で降りて、バス、ケーブルカーを乗り継いで御岳平へ。

 御岳山から大岳山へ 上駅・御岳平で水を汲み、靴の紐を締めて出発。御獄神社前を左に入って、山道を進む。岩石園までは広い平らな道。紅葉はまだまだの感じ。途中、峠を越え、二カ所程簡単な鎖場を通過して、大岳山荘前に着く。
 小憩後山頂目指して出発。昨年テレビで見た「日本山岳耐久レース」のコース作りの人に出会う。既にレースは開始されているという。最後に、急な岩場を登って頂上(1,266m)。予定どおりの時間に到着。頂上は狭く、また、曇りで展望が利かない。Sさんの話では、天気の良い日は富士山も見えるという。他のハイカーに混じって昼食。早速、山形名物「芋煮」を温めて皆で食べる。まずまずの評判。

 手強い下山コース 雲行きが怪しくなったので、13時前に奥多摩駅に向けて下山開始。すぐ、急な岩場の連続。慎重に下る。SKさんに、前の時(大山か94.5.21)よりこわごわと下っていると指摘される。今夏、谷川岳の巌剛新道(94.7.24)、穂高の重太郎新道(94.8.7)を下ってから足がよたよたとなり、また恐怖感が先に立って、へっぴり腰で下っているのが自分でも分かる。その後は、緩やかな尾根道が続き、少し上って鋸山に到着して休憩。鋸山から奥多摩駅までは2時間弱のコースだが、まだまだの道程の様子。懸命に進むも、切り倒された大木が道を塞ぎ、階段が設けられた岩場があり、随所に難所がある。しかも、岩や土止めの木が濡れていて滑り易い。一度尻餅を付いたが大丈夫。途中、林の切れたところで奥多摩の山々が見えた。天気が良くなったようだ。それでも林の中は暗い。

 無事下山 このような中で、初参加のNさんが上り下りも順調に進む。子供の頃から故郷で鍛えた足腰を、更に現在も卓球で鍛えているのであろう。結局、予定より30分以上時間を要して、奥多摩駅到着。ちょうど雨がぱらついて来た。ラッキーと言える。
 電車の中で、無事下山を祝して缶麦酒で乾杯。野球を聴きながら帰途に就く。それぞれ途中で下車し、新宿駅、巣鴨駅を経由して、7時30分に無事帰宅。お疲れ様でした。(94/10/8 63/100)

追記 山歩き初心者の私の初期の山歩きで、奥多摩御岳山から奥の大岳山で、同行メンバーも当時の同僚達である。山男で先輩のHさんが事実上のリーダーであった。私は、経験は少ないが若さに任せて歩き回った時代である。大岳山は、日本百低山(同書182頁)、日本百低名山を歩く(同書122頁)各登載の山である。当日10.8決戦として、巨人対中日の最終戦があり、帰りの電車の中でラジオ放送を聴いて、応援したががっかりしたのを覚えている。30年前ことであった。

埼玉氷川女体神社から見沼代用水西縁を歩く

 埼玉浦和の見沼代用水西縁を歩くことにした。田園風景が広がる地域だが、浦和市の東で、交通アクセスが良い。武蔵野線東浦和駅が最寄り駅で、我が家からも近い。これまでも5回以上歩いて、最近では一昨年花見に見沼代用水東縁を巡った(23.3.29)。最近都心を巡る機会が多く、脱都心である。

 氷川女体神社 我が家から埼京線経由で、1時間強で武蔵野線東浦和駅に着き、バスに乗った。先に氷川女体神社へ参拝し、その後東縁を下ることにした。バス停朝日坂上で降り、見沼たんぼ側へ坂を下ると氷川女体神社であった。境内は見覚えがあり、大分前だが寄って参拝したことがある(18.1.15)。広い境内を社殿前へ進み、他の参拝者に続いて参拝。孫達の成長を報告し、健康をお願いする。当社は奇稲田姫命を祀り、大宮の氷川神社、近くの中山神社とともに、武蔵一之宮を称しているとある。家康より50石寄進されたという古社である。

 西縁を下る 見沼代用水西縁下りをスタート。遊歩道があり、東浦和駅迄5,6km、約1時間を見込む。東浦和駅からは歩いたが本日は逆コース。境内周囲は深めの森で、隣は公園。曲がりくねった用水に沿い歩く。両側に野草が繁り、この時期流れは少ない。前をご婦人二人歩いているが、離されてしまった。急がずマイペースを保つ。代用水は、当地の灌漑用に江戸中期幕府が設けた利根川水源の水路という。広い見沼には反対側に東縁用水もある。左手に広がる田畑を眺めながら歩き続ける。先ほど新見沼大橋の下を通過した。時々畑に咲く花にカメラを向けるが、残念ながら名は不明だ。                     

 遠い東浦和駅 本日好天で暑く喉が渇いたが、飲料水の持参はない。橋を渡り住宅街を歩くと自販機に出合い、求めて休憩ベンチで一気に飲んだ。本日Sさんと武蔵浦和駅で昼食の約束。遅れ気味とメールした。桜並木の下を急ぐ。次回は花見時にしようと思う。武蔵野線騒音が聞こえ、右手に学校校舎が見え始めて、コースも終盤に入ったと知るが、駅までは距離があった。駅前の坂を急ぎ足で上がり、電車に乗車。Sさんは武蔵浦和駅で待っていてくれた。構内回転寿司屋に入り昼食。日頃からのお世話になっている御礼にと私が誘った。      
久しぶりの見沼用水西縁で、相変わらず自然に囲まれたコースであったが、距離、時間の見通しが甘かった。(25/5/19 K.K.1602)

◇日時 2025/5/1 ◇天候 晴 ◇交通費 460円 ◇資料「見沼たんぼ全域マップ」◇歩行距離等 14000歩 10㎞「通過時間等」自宅8:50-JR埼京線浮間舟渡駅9:30-同武蔵浦和駅10:00-同東浦和駅10:10-朝日坂上バス停10:25=氷川女体神社10:40=見沼代用水西縁休憩11:30=東浦和駅12:10-武蔵浦和駅(昼食)12:20/12:52-同浮間舟渡駅13:10-自宅13:40

私が登った百の名山&低山=関東編=「初春の南房総に伊予ケ岳から富山を訪ねる」

 数年前に内房岩井から富山へ登った。その奥に伊予ケ岳の双耳峰を眺め何時かはと心に留めて下山した(01.2.18)。久しぶりに伊予ケ岳を思い出して、出掛けた。あれから8年も経過していたが、小さな岩峰は相変わらずに房総の天を突いていた。

 内房線岩井駅から 山友もKさんと一緒である。秋葉原駅で待ち合わせ特急さざなみに乗り約2時間で岩井駅に到着。予定したバスは満席と断られて、タクシーを奮発し登山口平群神社へと入った。安全登山をお願いして山へと向かう。直ぐ山中となり、追い越すハイカーや既に下る男女と行き交い、人気の山のよう。若いKさんに離されないよう後を追う。やや山道の傾斜が増したと思ったら、右手が開けて富山が見えた。直ぐ上が展望台になっていて、他の登山者と一緒に休憩を取る。

 ロープを使い急登を 一息入れて腰を上げると、急登の岩場下へ突入。一本のロープが下がっていて先行者が取り付いている。巻き道はないようだ。順番に、足場を固めながら綱を伝い上がり続ける。北アルプスのように危険はなく、恐怖感もないのが幸いだ。そんな岩場を三カ所こなすと頂上(336m)であった。僅か45分で極めることができ、小さな山頂に立ち携帯に収めた。眼下には房総の山里風景が広がる。山麓には散りばめたように田畑や集落が形成されて、それらを繋ぐように道路が巡っている。海側には、同じく、端正な富山の双耳峰が見える。

 北峰へ こちらの双耳の一つ北峰へと渡る。小さな鞍部を二つ越した10分先であった。山頂は弁当を広げるグループに占拠されていて、三角点を踏み引き返した。下りの岩場を、上がる者を待ちながらも、慎重に一歩一歩ロープを利用して通過する。無事下りて、また展望台で休憩し昼食。今朝、秋葉原駅で求めたお握りを頬張った。

 富山も登る 富山にも登ることにし、山麓から山里の道路を行く。既に水仙や菜の花も咲き、やはり房総は温暖の地だ。背後には先程の伊予ケ岳が聳えている。意外に距離があって、富山の林道入口まで約1時間、さらに林道を上がり続けて南北峰の鞍部までは1時間半を要してしまった。予想した地点に着いて富山北峰は目の前。小憩後階段から北峰の三角点を経て、展望台へ。こちらは東京湾が望まれて、湾越しの山々は、箱根や南アルプス方面ではあるが霞んでいる。最後の力を振り絞って南峰(349m)も踏んで下山した。岩井駅では折良く来た特急に飛び乗り、車内で、無事下山と房総の自然に感謝しKさんと乾杯をした。(09/2/7 62/100)

追記 伊予ケ岳は、四国伊予(愛媛県)にある石鎚山に、山容が似ていることに由来するという。房総丘陵にあるなだらかな周囲の山の中では珍しく、突き出た岩峰の山頂が印象的で、房総のマッターホルンと呼ばれると知る。山頂直下の岩場は大変で、ロープにしがみ付いた。それでも僅かな岩場で、余裕があり、復路では富山にも登頂した。日本百低山(同書247頁)や日本百名低山を歩く(同書95頁)登載の山である。千葉では、三舟山(11.04.24)や房の大山(12.2.26)にも登った。

都内大森貝塚遺跡庭園へ池上通りを歩く

 大森貝塚碑は一度訪ねた(21.10.16)。ところが、もう一つ碑があると知った。私が愛読している購読紙の“我がまち再発見大森編”(25.4.10讀賣夕刊)からである。えっと思いながらも出掛けることにした。大森は、都内も城南地区で、我が家から近くはないが、JR京浜東北線で一本だ。三田線から乗り換える駅を検討し、JR新橋駅とした。

 大森貝塚碑 三田線内幸町駅から新橋駅へ歩いて京浜東北線に乗ると、品川駅の先が大井町駅で次が大森駅であった。大森貝塚遺跡庭園は、駅前の池上通りを北上した15分程の地にあった。前回訪ねた貝塚碑は駅先から階段を下りた地で、その大分先である。こちらは公園内に、土器を手にした米国人エドワード・S・モース博士(貝塚発見者)像を中心として、貝塚も復元してある。カメラに収めながら一周したが、石碑が見付からない。入口へ戻り案内図で確かめ、右手奥の線路際と分かり、土手を下ると石碑があり、大森貝塚と横書きされていた。駅近の碑は、大森貝墟と縦書きであったと思う。カメラを向け、園を出た。

 馬込文士村 我がまち再発見から天祖神社にある馬込文士村レリーフが目を惹き、訪ねた。大森駅西口の駅前であったが、本殿は高台にあり急な石段。回り道の石垣に、似顔絵を刻んだ文士村レリーフがあった。40名ほどであるが、私が知るのは尾﨑士郎、宇野千代、川端康成、室生犀星、萩原朔太郎、三好達治、山本周五郎、画家川瀬芭水達である。大正末期から当地から馬込に住んだ作家や画家達である。裏側から境内へ入り、参拝。狭い中緑の樹木が多く、初夏であろう。また石段を避け、裏の住宅街を回り道して、大森駅前池上通りへ出た。

 最後に池上通りを大田区から品川区へ入り、右手にあった鹿島神社に寄る。安和2(969)年創建とある。立派な社殿とその隣に、推定樹齢200年というタブノキがあり、思わずシャッターを切った。友人との約束の時間が迫り、神社前バス停に折よく来たバスに乗り大森駅へ戻った。(2025/5/14 K.K. 1601)

◇日時 2025/4/27 ◇天候 晴 ◇交通費 500円 ◇資料「我がまち再発見大森編」(25.4.10,17讀賣夕刊)」◇歩行距離等 8000歩 6㎞                                                      「通過時間等」 自宅8:50-三田線内幸町駅9:35=JR新橋駅9:47-同大森駅10:05=天祖神社10:15=大森貝塚遺跡庭園10:45=鹿島神社11:05-JR大森駅11:13-同巣鴨駅12:00/12:45=-自宅13:15

私が登った百の名山&低山=関東編=「結構手強かった鋸山からの下山路」

 ピクニック気分で出かけた房総鋸山 千葉県内房にある鋸山はハイキングというよりは房総観光の途中に立ち寄る程度の山と理解していた。しかも上りはロープウェイ利用で簡単なピクニック程度の楽勝コースであり、むしろ下山後の温泉や地魚で一杯に期待していた。しかし、現実は違っていた。予定通り、浜金谷駅に降り少し歩いたロープウェイ山麓駅から一気に山頂駅に上がった。

 大仏様参拝 先ずは日本一の大仏様を拝観しようと西口から日本寺境内に入る。石段を下りながら、大分下ることになるのではと、この辺りから記憶が蘇り始めた。鋸山は二度目、いや三度目かもしれない。いずれも房総小旅行の途中に立ち寄った程度ではあったのだが。千五百羅漢道から右折すると下る一方になった。石段の高さが歩幅に丁度良いなどと言いながら一歩一歩下り続ける。大仏広場に到着し大仏様に軽く参拝。前に観た時より改修されたよう見える。やはり昭和44年復元工事があったというからその前に訪ねたのであろう。

 鷲急襲のハプニングを見る 時間も正午近くになり昼食にする。空を舞っていた鳶が突然急降下し近くのご婦人の食べ物を急襲した。これには周囲皆吃驚。餌を取り損ねた鳶は上空から再襲を狙っている。鳶にとってはいつものことかもしれないが、襲われた者は尋常ではない。幸い怪我はなかったようだ。
 小生は麓のスーパーで求めたサンドイッチであったが、珍しく持参したインスタントものとお湯で皆にコーヒーを提供し、戴いたオレンジで食後のデザートにした。

 頂上へ いよいよ頂上を目指して上り返す。連続する階段は次第にきつくなる。小憩を取りながら座禅石、二天門トンネル、西国観音を過ぎて、息が切れ始めた頃に山頂展望台に上がった。生憎曇天で東京湾は眼下だが遠望はない。垂直に切り立った地獄のぞきに立つ。高所恐怖症の小生も怖いとは思わず覗くことができた。柵があって安全だからだろう。

 意外にきつい下山路 下山は百尺観音を眺めた後北口から開始した。駅まで約50分という。小生が先頭だが、狭い上に急降下の磨り減った石段が続く。治りかけている膝が心配になった。苦手な下りによたよたしながらも険路を進む。関東ふれあいの道の道標があるが、鋸山は確か千葉県コースには含まれていない筈だ。観月台手前あじさい広場で休憩。一本の桜が咲いていた。山桜だろうか。流石房総は温暖の地だ。最後の急坂を下り切ると山を出て、浜金谷の集落であった。

 反省会 予定した温泉旅館は直ぐ見付かったが満員という。他も当たったがいずれも同様であった。年度末の土曜日だからであろうか。到着時予約の話が出たが大丈夫と高を括ったのが裏目に出て、同行の二人には悪いことをしてしまった。浜金谷港傍のレストランに入り地魚定食で反省会。駅に向けて歩き出すと正面に広がった鋸山の山容はギザギザがあって鋸形に見えた。(07/3/24 61/100)

追 記 鋸山は内房の低山で、観光用にロープウェイもある。私も房総旅行の際訪ねていた。今回は、歩いて下山した。高く垂直に立つ石材の切り出し跡の底部歩きは、頭上に岩壁がそそり立ち圧迫感もあり、怖い位であった。江戸時代から昭和の末迄切り出していたという。日本百低山(同書242頁)や日本百低名山を歩く(同書96頁)に登載の山である。

都内根津神社躑躅から日比谷公園ネモフィラ鑑賞し1600へ

 春から初夏は花々が次々と開花し、花の季節到来である。桜は散ったが、躑躅見頃の情報に続いて、ネモフィラやチューリップ開花の知らせが届いた。都心文京の根津神社のツツジは有名で数度訪ね鑑賞している。日比谷公園は元勤務先から近いがネモフィラは初めて聞いた花である。地下鉄千代田線で移動すれば半日だろう。

 根津神社ツツジ苑は満開 根津神社へは、三田線白山駅から歩いた。浄心寺坂を上がり旧中山道へ出て、住宅街の小路を抜け本郷通り(日光街道)へ出たが根津神社への下りは、左へ行き十字路を右折した先と分かり、坂を下った。裏参道から境内へ入ると、テントや屋台が並び開店準備中の間を抜けたら、ツツジ苑が前面に広がり、鑑賞客がもう列をなしている。私は神社本殿へ進み、先ずは参拝した。将軍綱吉縁の神社で境内も広く、立派な社殿。ツツジ苑に戻り、下から見上げる。ピンクや朱色を中心とした躑躅は見頃を誇示している。カメラに収めながらゆっくり進む。ツツジは色といい、花といい鑑賞向きで、好みの花で、私は当苑の外、そっちこっちで躑躅を鑑賞した。不忍通りへ出て、地下鉄千代田線根津駅へ下りた。

 ネモフィラに再会 日比谷駅に降りて、公園へ入り広い園内にチューリップやネモフィラを探すが見当たらない。サービスセンターで教えて貰い、花壇を巡る。チューリップは赤や白の花は満開だが、花数は少ない。子供の頃亡父が栽培し馴染みの花ではある。ネモフィラはレストラン松本楼の左先の花壇に咲いていた。空色の小さな花で、中心が白である。昨年都内足立の舎人公園でネモフィラを初めて鑑賞した(24.4.20)。アメリカ大陸原産の花のようで、わが国での歴史は浅く、国営ひたち海浜公園でも約20年前から栽培開始と知った。一面に咲く花にカメラを向けながら花壇を一回り。舎人公園と比べれば、花は少なく疎ら感がある。でも再会に感謝し、ネモフィラの花を記憶に刻んだ。隣は野外音楽堂で、若い頃音楽には縁がなかったが、組合系の集会には参加したと思う。日比谷見附跡から地下鉄三田線日比谷駅へ下りた。これで1600回となったが、花めぐりで、現在傘寿の自分の気力や体力に応じた歩きとなった。(2025/5/6 K.K.1600)

◇日時 2025/4/18 ◇天候 曇り ◇交通費 180円 ◇資料 根津神社「文京つつじ祭り」、日比谷公園サービスセンター「日比谷公園花ごよみまっぷ」◇歩行距離等 9000歩 7㎞                                                      「通過時間等」 自宅8:30-三田線白山駅9:05=本郷通り9:20=根津神社9:30=千代田線根津駅9:54-同日比谷駅10:05=日比谷公園10:10=三田線日比谷駅10:47-自宅11:35

私が登った百の名山&低山=関東編=「水仙咲く南総の早春に富山に登る」

 今回は房総半島に遠征した。今年から少し遠出して首都圏日帰り圏内に足を伸ばさなくてはと思い、その第一弾として、房総半島の富山(トミサン)にした。

 内房線で 東京駅から京葉線で出発し、蘇我で内房線特急に乗り換えた。富山への起点岩井駅は特急で1時間走っても未だ先だ。木更津の少し先だろう位の感覚であったが房総半島の先端、館山の直ぐ手前が岩井であった。岩井海岸には前職場の海の家があり、家族や同僚と2,3度海水浴に訪れたことがある筈だが、こんなに遠かったのだろうか。房総半島の広さを今更ながら実感した。双耳峰の特徴ある富山は特急車窓から確認できた。

 水仙咲く山道 蘇鉄が繁り、水仙の咲く道を通り、福満寺から山道となった。富山は標高僅か南峰が342m、北峰が350mだが、海辺の山だから0mからの上りを覚悟した。急坂をゆっくりと行くと、1号目を過ぎた地点に水仙畑と出会う。土手一面水仙が咲き誇っている。自生地か。ラッパ水仙とは違い花びらが白色だ。先行した高年ハイカーが三脚を立ててカメラの焦点を合わせていた。

 南峰、そして北峰 5合目近辺で一旦下り、南峰本体に取り付き急な階段を一歩一歩上がる。房総は温暖の地で、流れる汗にたまらず、ウインドブレーカーは先程ザックに括り付けた。スダジイの大木が根こそぎ倒れている。先月の雪害に違いない。南国の樹木は雪には弱いのかもしれない。7合目の休憩ベンチから海側を覗くと東京湾の先に富士を望んだ。最後の石段をこなして頂上・観音堂に到達。南峰は樹木に邪魔され展望はなく、観音堂に軽く参拝して、北峰へ向かった。
 北峰は、十一州一覧台とある展望地で、早速、空、山、海の眺望を楽しむ。海原を望む見晴らしは壮大だ。富士山は雲の上、うっすらと見える連山は南アルプスではないだろう。未だ冬季なのに冠雪がない。その前の山並みは丹沢のようだ。眼下には東京湾から三浦半島を確かめるが洋上に大島は確認できない。大勢のハイカーに混じって弁当を開いた。山頂広場に皇族散策記念碑があった。1年前の事らしい。そう言えば、山頂下に不似合いなトイレが作られていた。

 八犬伝伝説 伏姫篭穴に下る。滝沢馬琴作「南総里見八犬伝」に準えた伝奇な岩穴という。八犬士の母となった伏姫と妖犬・八房の人形が、件の玉とともに穴奥に潜んでいた。岩井駅に戻る途中、振り返ると菜の花畑の向こうに双耳峰の富山が見えた。(2001/2/18 60/100)
          
追記 千葉県には山は少ない。数少ない山の一つが富山で、標高400mにも足らないが、それでも東京湾からその奥の展望が良い。都心からは内房線だが、乗車する度に長く遠いアクセスを実感している。下山口に八犬伝の洞穴があった。富山は、伊予が岳からの復路でも登った(09.2.7)。日本百低山(同書252頁)や日本百低名山を歩く(同書95頁)に登載の山である。

北区浮間公園、浮間ケ原桜草圃場

 購読紙都内版で、北区の浮間ケ原桜草圃場に桜草が開花し、一般公開されたと知った。桜草は濃いピンクの花の野草で、好みの花である。しかも、浮間公園の奥で、我が家からバス一本で安近楽の地である。浮間公園は花見の地でもあり、未だ咲き残っているかもしれないと期待した。桜草圃場は初めてではないと記録を捲ったが見当たらない。

 桜草を観る 我が家からバス停まで歩き、浮間舟渡駅行きバスに乗車。20分程で着き、浮間公園へ入り、右奥の桜草圃場へ歩く。遅めの桜が残り、八重桜か。緑地帯を斜めに横切って、公園隣にある桜草圃場へ入場。思ったより人出はなく、圃場を見渡すと濃い目のピンクの花が咲いてはいるが、疎らな花壇もあり、これからか。当地は嘗て荒川の河川敷内で、江戸時代から有名な桜草の自生地であったという。それが昭和初期の築堤工事で流れが変わり、昭和30年代に地元民の熱意で、当圃場で栽培し保護したという。カメラに収めながら桜草花壇を巡る。桜より花は大きく色も濃く、私は癒される。大分前だが花友と鑑賞したと思う。一周半程し圃場を出て、隣の浮間氷川神社に立ち寄り参拝。境内に咲くソメイヨシノは散り始め寸前で見頃であった。

 三度目の花見 浮間公園に戻り、池端を行く。少なくない釣り人が竿を出している。荒川堤手前で左折して対岸へ歩き、野球場を過ぎると桜並木があり、未だ咲き残っている。花見客と交差し、ソメイヨシノを見上げながら下を歩く。これで今年三度目の花見か。今年は開花宣言後寒さが戻り、雨が降り、長持ちしているのであろう。この地は友人Sさんと夜桜見物し、浮間舟渡駅前で花見酒をしたことを思い出した。10年程前であったろうか。先日彼に話したら覚えていてくれた。Uターンし花の下を戻り、舟渡側へ公園を出た。舟渡地区にも氷川神社があり、一本道を違えたが訪ね当て、十度ノ宮にも手を合わせた。荒川の洪水で、蓮根から十度も流され当地に発見されて祀られたとある。大通りで、舟渡1丁目バス停を探し高島平経由のバスを待った。(2025/4/28 K.K.1599)

◇日時 2025/4/12 ◇天候 晴 ◇資料 東京都北区「浮間ケ原桜草圃場」◇歩行距離等 7000歩 5㎞                                                      「通過時間等」 自宅9:55-図書館前バス停10:05-浮間公園バス停10:25=浮間ケ原桜草圃場10:30=浮間氷川神社10:40=浮間池端10:50=浮間公園桜並木11:00=舟渡氷川神社11:15=舟渡1丁目バス停11:21-自宅11:50

私が登った百の名山&低山=関東編=「1000回記念に孫達やハイク友と奥武蔵大高取山を歩く」

 1000回目は、大高取山にしようとは数ヶ月前から決めていた。私のホームグラウンド奥武蔵にあり、交通アクセスも良く、越生駅から歩き始められる。初心者向きで、孫達も誘える。そして、下山先の麓におごせゆうパークがあり飲食会にも都合良い。その時がやって来た。10月25日とし、ハイク友や読者、長男家族にも案内した。

 孫を先頭に西高取山へ 孫達と越生駅前に着いたら、ハイク友と勤務先メンバーは先着していた。挨拶もそこそこにスタート。少し風があるが天気は上々。一行14名、駅前の法恩寺を過ぎ、越生神社先で山中へと入る。山歩きが初めての孫(小3)は、道端の花や草木、岩と珍しいらしく質問攻め。適当に答えながら上がり続ける。赤ちゃんを連れたO夫妻は途中迄同行するという。私は、大高取山は5回程歩いているが、このルートは2回目で久しぶり。思ったより時間を要して、最初のポイント西高取山に上がり、休憩。

 大高取山山頂で記念写真 本日鉄道会社主催ハイキングと重なり大勢が上下し、また休んでいる。孫達と東京方面を眺めたが高層ビルやスカイツリーは見えない。また孫二人を先頭に山道を進む。旧友のTさん、こんな平らな道なら楽と、口も滑らか。腰を痛め心配した時もあったが完治したという。多くのハイカー達と交差しながら一山越す。ライオンが寝そべったような岩があり、本日は休憩所として岩の上は人集り。また上り切ると、ここでもグループで昼食中。我々は右折し大高取山頂(376m)へ。林が切り払われ現在は、北東方面に展望があり、越生町。皆で記念写真を撮る。旧友SKさんに戴いた煎餅をお八つに回した。昼食コースに参加のメンバーも越生駅に着いたと、携帯で知った。

 桂木観音からゆうパークへ 桂木観音へ向け下山開始。孫に、これからは下るだけと伝えたが、小さなピークが続いた。最後の急降下の坂は心配するも、2人の孫はどんどん下って行く。孫と参拝していると全員下って境内に着いた。今、観音様と昼食コースメンバーにメールした。舗道を歩いて集落内を通ると、無人スタンドで柚等を販売中。赤い実を付けたつる梅もどきは生花用とあり師範のTさんへと一枝ゲット。ここで、私がコースを間違え戻ったが直進が正解。ゆうパークへの案内板を確かめ庭先を通り、また山中。最後の分岐に至ると0.8kmとあり、もう15分程度と孫達へ。意外に距離があり、ゆうパークからの歌声は聞こえ始めたが建物は見えない。30分程で林を抜けると、前庭では大イベント開催中。

 20名で記念食事会 館内も混み合い、レストランを予約しておいたのはラッキー。昼食コースメンバーと合流し、20名参加の下、記念昼食会はHさんの乾杯で始まった。彼は本当の山男で百名山は完登し、私は山歩きの基本から教えて戴いた。皆さんお疲れ様、また有り難うございました。お陰様で、楽しい記念の山歩きとなりました。今後も、よろしくお願い致します。2週間前弟と下見的に途中迄歩いた。(2015/10/25 59/100)

追 記 1000回記念山歩きは、私のホームグランド奥武蔵越生の大高取山とした。元職場、旧職場のハイク仲間20人も集まってくれた。この帰途、越生駅前で、山友Hさん、Kさん、Yさんと二次会を楽しんだ。感謝である。最初の山歩きが94.2.27の三つ峠山だから21年で、年平均47回程歩いたことになる。その後も歩き続け、現在1600回を迎えている。年齢には勝てず、傘寿となった今では山歩きはなく、史跡や社寺を巡り、乗り鉄も加えている。一緒に歩いた孫二人も10年後の今年、上の孫は社会人に、下の孫は大学生になった。

2025-2花見外濠公園から赤坂へ

 本日、4月7日は18時大手町集合の日で、その前に歩く先を探した。幸いにして、桜花は長持ちし未だ花見ハイクも可能な園地もあろうと期待した。都営新宿線で市ヶ谷駅へ出て、外濠公園を四谷方向へ歩き、赤坂付近で日枝神社を訪ねるコースとした。大手町集合時間を見据えて、出発時間を15時過ぎとした。

 桜の外濠公園 予定通り家を出て、神保町駅で三田線から新宿線に乗り換え市ヶ谷駅で下車し、外濠公園入口へと歩いた。江戸城外濠の土塁址である。現在では桜が植えられ花見時の散策コースで、私も大分前だが2度程歩いている。右下はJR中央線を挟み現在も水濠で、四谷から神田へと続いている。未だ咲き残る花を見上げながら、土手上を行く。時々途切れながらも花は咲いているが、交差する散策者は少ない。

土手下を見たら濃紫の一群の花が咲いている。ハナダイコンかなとカメラに収めた。四谷へ着き大通りを渡り、また土手へ上がる。左手は上智大学キャンパスだろう。土手ではブルーシートで場所取りも散見され、夜桜見物のようだ。右下は濠が埋められたグランドで、サッカー場。そして、土手が切れ外濠公園を出たら、江戸城の喰違い門址とあり、左手は紀尾井坂。井伊家の屋敷跡の碑があった。

 赤坂へ 外濠は弁慶濠で、大きな池にはボートも浮いている。池を眺めながら坂を下り続け、弁慶橋で赤坂見附へと大通りを横断した。久しぶりの赤坂見附で、外堀通りも狭く感じる。購読紙“我がまち再発見の永田町編”(24.3.7讀賣夕刊)で知った新坂を上がると日比谷高校であった。嘗ての超名門校であるが現在はどうなのであろうか。近道して日枝神社を訪ねる。裏参道からで、エスカレータが備えられて往復に利用した。境内から社殿の大きさに驚く。太田道灌が川越から江戸城内に勧請した社。社殿は工事中だが、参拝できた。多分移動した社殿であり、表参道石段のすぐ前にあった。時計を睨みながら、外堀通りを渡り返しTBS前へ歩き、地下鉄千代田線赤坂駅へ下りた。17時30分前で、集合時間には間に合った。(2025/4/20 K.K.1598)

◇日時 2025/4/7 ◇天候 曇り ◇交通費 180円 ◇歩行距離等 13000歩 9㎞                                     「通過時間等」 自宅15:10-新宿線神保町駅15:52-同市ヶ谷駅16:05=外濠公園16:10=四谷外濠公園16:20=紀尾井坂喰違い門址16:50=弁慶橋17:00=日枝神社17:20=千代田線赤坂駅17:28-大手町会場17:50