今夏の夏山は茅ヶ岳(1703m)とした。同山を最初に知ったのは、山里歩きを始めた頃求めた「中高年の山ベストコース」(山と渓谷社1993年118頁)からである。百名山を著した深田久弥の終焉の地であり、八ヶ岳手前で山容も似て、“ニセ八つ”とも呼ばれ山好きの間では有名な山。今年の4月武田の里を訪ねた時韮崎駅で、登山口迄一本のバスがあるとの情報を得た。Kさんに計画を話したら乗ってくれ、一緒の山行が決まった
韮崎駅からバスで登山口へ 新宿駅7時発の特急あずさはほぼ満席で中央線を走り、韮崎駅前には深田公園行きバスが待っていた。3組の男女は終点で下車し、各々準備後スタート。直ぐ左手が深田公園。彼の急逝を忍んで設けられたという。深田の言、“百の頂に百の喜びあり”と刻んだ石碑をカメラに収めた(写真上)。次のポイント女岩付近までは、これが登山道かなと首を傾げる程の平坦な道が続く。却って先が思いやられると心配するとその通りとなった。沢になり狭くなった道が、女岩直前から山腹に絡み急登が始まった。私はKさんの後をゆっくりから次第に懸命になり付いて行く。次々若い人達が追い抜いて行くが追う必要もない。小さな肩に上がって休憩。夏山用に、本日水はボトル2本(1本は冷凍済み)を持ち、少しずつ飲んでいる。
いきなり急登始まり、そして山頂へ 直ぐ深田が倒れた地で、小さな石碑があった。山頂は近い筈だが、岩場も露岩が出始め、時にはストックを前方へ放り、両手も使う。体重が重い上脚が短いのは不利だなと感じながら上がり続けると、頂へ飛び出した。狭い山頂では先行者グループが休憩中。曇り空で期待した展望はない。座る場所を確保し昼食とする。次々と登山者が登頂して来た。金ヶ岳へのルートを確かめ、急降下の山道を下る。何とか鞍部へ着くとまた上りで、自然の石門を潜り(写真下)、岩場上がりを続けて山頂らしき地点へ出たが、金ヶ岳(1,764m)は更に歩いた先であった。先程我々を追い抜いた一行が休憩中。バス時間もあり我々はノンストップで下山路へ入った。
金ヶ岳下山路に難渋 狭く急な岩場の道が連続。慎重を通り越し必死に一歩一歩を確保しKさんを追う。痩せ尾根では、久しぶりに“滑落注意”の看板に出会った。途中で、先程の一行に道を譲り休憩。この時冨士や周囲の山々を眺めることが出来た。岩場は脱したが、下りの急坂は足掛かりがなく、樹の幹や枝に捕まり、凹みを探しては滑らないようストックを頼りに下り続ける。時間的には登山口だがそのような気配はない。先行者達の声も消えてしまった。
深い山中を2時間下って、ようやく林道へと出た。ボトルは空になってしまっていた。思わず、“こんなしんどい山2度と登らない”と言ったら、Kさん、笑いながら昨年の至仏山でも聞いたセリフと。未だ下山先明野ふれあいの里は遠く、相談しタクシーを呼んだ。無事茅ヶ岳登山を果たしたが、金ヶ岳からの下りは想定外に手強く、しかも長かった。私の下りの苦手さが露呈してしまったが、それ以上に事前の調査に不十分と反省である。Kさん有り難うございました。(2014/8/3. 90/1000)
追記 茅ヶ岳は作家深田久弥終焉の山である。登山口や登山道の途中に碑があった。彼が著した日本百名山は登山ブームを引き起こした。登って私には、金ヶ岳経由の下山コースが記憶に残る。長い、険しいで山道あった。バス時間に間に合わず、タクシーを呼んでしまった。このような山歩きは私には極わずかな例であった。

