両国から元浅草、そして浅草へ

 両国に野見宿禰神社があると知った。日本書記にある我が国相撲の最初の力士で、相撲の神様として崇められている。確か出雲神社にも小社があり(13.7.13)、出雲出身という。大江戸線両国駅手前の新御徒町駅付近の最尊寺に永六輔の墓があり、そして、浅草寺隣の浅草神社へも足を伸ばしたい。

 野見宿禰神社 大江戸線で両国駅へ出て、地上へ上がった。駅前案内図で確かめ北斎通りを北上。一度歩いたことがあると思っていたが、初めての地のよう。三つ目の信号の手前右手に神社はあった。表参道へ回り、参拝。1884(明治17)年高砂親方などの尽力で創建されたとある。境内には歴代横綱の名を刻んだ石碑が二つあった。子供の頃は大相撲が好きで、高砂部屋の東富士や朝潮を応援していた。当地は津軽藩上屋敷跡とあり、隅田川を越した地が気になったが、やはり幕府の処分で屋敷替えになったとの情報があった。

 永六輔の生家 大江戸線で新御徒町駅に戻り、元浅草に最尊寺を探す。永六輔の生家である。駅前へ出ると以前方向を間違えた地と思い出し、地名で辿る。左折、左折し寺のある地区に入り、浄土真宗の最尊寺はあったが、墓地がない。墓参帰りの方に尋ねたら道路の反対側小路の奥であった。ネット上で観た墓の前へ進み、先ずは手を合わせた。墓には、“上を向いて歩こう涙がこぼれないように”と刻んである。数知れない詩があるが、これが一番知られた詩なのだろう。永六輔は、特にラジオで活躍した旅人詩人で、TBSの土曜ワイドはよく聴いたし、NTVの“遠くへ行きたい”も観ていた。自分で全国各地を旅して、調べて、そして書くか話すのがモットーであったと思う。視聴者からの便りにはすべて返事を書いたという。年賀状には寒中見舞いで返信したと話したのを聴いて、私も採り入れて久しい。

 浅草神社へ 浅草通りへ出て、地下鉄銀座線稲荷町駅から浅草駅へ乗車し、浅草寺の隣浅草神社を訪ねる。地下街、仲見世通りも外国人観光客で一杯。端を歩いて、山勘で浅草神社へ辿り着いた。社殿前で参拝し境内を見回した。私がYouTubeで聴いている東京大衆歌謡楽団の路上ライブの地で、確証はないが間違いないだろう。都営浅草駅へ歩いた。(2025/4/7 K.K.1596)

◇日時 2025/3/24 ◇天候 曇り ◇交通費 180円 ◇資料 昭文社「東京都市図 両国 浅草」2004 ◇歩行距離等 .8000歩 11㎞                                     「通過時間等」 自宅9:30-都営大江戸線春日駅10:15-同両国駅10:30=野見宿禰神社10:40=大江戸線両国駅10:55-同新御徒町駅11:05=最尊寺墓地11:15=銀座線稲荷町駅11:33-同浅草駅11:40=浅草神社11:50=都営浅草線浅草駅12:23-三田線神保町駅12:55-自宅13:30