奥羽本線から仙山線を乗り鉄する

 山形へ帰郷した。私の1500紀行本発行記念に、同級生達が芋煮会を開いてくれ、幹事が営むそば店に12名が集まった。7年振りとかで盛り上がった。殆どが傘寿を迎えたと思う。私は、実家に泊った。コロナ渦で久しぶりの実家であり、兄夫婦とも会うことが出来た。翌日、陸羽東線から仙台回りで帰京の予定である。翌朝JR東根駅へ姪に送って貰った。

 新庄駅でUターン 奥羽本線新庄行きに乗車、鈍行は何年振りであろうか。村山、袖崎、大石田、芦沢、舟形と各駅を過ぎ、そして新庄駅に着いた。新庄駅で、秋田方面の奥羽本線も、陸羽東線も7月の豪雨災害で一部不通のためバス代行と言われた。鮭川の大惨事はニュースで知っていたが、最上地区広範に被害を受けていたのだ。どうしようと思ったが、発車寸前の山形行きがあり、飛び乗った。

 仙山線乗車 車中、山形から仙山線に乗り、仙台経由にしようと決めた。JR東日本の路線は殆ど乗り鉄をして記録はあるが、仙山線は未だである。山形駅で小一時間あったが駅で待った。駅前に我が読者の先輩がおられて覗いてご挨拶は、止めにした。急ぎ足での往復は無理と考えた。                                    仙台行きの快速電車は定刻通りスタート。霞城公園から北山形を通過。工場が目に付くが、私が高校通学時は未だ田圃があった。鉄橋を渡り馬見ヶ崎川だが、記憶より狭い。羽前千歳から山寺へと右折した。左手に山寺の寺院を眺め山間を進んでいる。

 面白山トンネルで宮城へ 面白山トンネルに入った。小学5年の松島修学旅行の時日本で3番目に長いトンネルと聞いた。今ではそう長さを感じないで宮城県へと出た。奥新川駅は山中で、廃止も聞いたが駅舎は健在。住所では仙台の最西地のようだ。作並駅に停車。温泉地で、我が夫婦が初めての帰郷の折、亡母と山寺見物の後脚を伸ばしたことがあった。愛子からは各駅停車で、仙台への通勤圏だろう。東北福祉大前を通過し、山形からの復路当駅に降り、大崎八幡宮を訪ねたことがあった(18.12.4)。仙山線は、20回前後往復したが、あれが山形から仙山線乗車の今回の直前かと思う。50年前私が訪ねた神社ではなく、それが仙台東照宮であったようで、今年参拝に再訪した(24.6.25)。仙台駅で東北新幹線に乗り、早めに帰宅できた。(2024/11/29 K.K. 1580)

◇日時 2024/10/25 ◇天候 晴り ◇交通費 17000円                          
「通過時間等」 実家8:50-JR東根駅9:16-同新庄駅10:12-同山形駅12:01-同仙台駅13:57-同上野駅15:35-三田線巣鴨駅15:54-自宅16:30