JR大船渡線を乗り切り、花巻へ

 大人の休日俱楽部パス2日目、本日はJR大船渡線乗り鉄から釜石経由で花巻へ出て、城跡見学の予定。大船渡線の気仙沼駅から先は初めての乗車で、何故か一度は乗ってみたく、また訪ねたい地である。宿泊地一ノ関は北東北の玄関口で、新幹線も停まり便利な地。駅前のホテルには一度泊ったことがあった。

 大船渡線今はバス 朝7時気仙沼行きに乗った。ここからJR大船渡線であるが、気仙沼駅、一ノ関駅間は一度乗った。気仙沼駅に着いてバスへ。BRT路線、震災後はバス路線だが、最初と最後は線路跡のよう。途中では高速のような道路も走った。やっぱり列車旅の雰囲気はない。陸前高田付近は、未だ整備中のような地域で建物も少ない。そんな中奇跡の一本松が見えた。現在では枯れてモニュメントと報道された。碁石海岸駅を過ぎた大船渡付近は、右手海側は漁港や水産会社が並んでいる。私には縁はなく、有名なバトミントン選手と結婚した演歌歌手の出身地位の知識だ。終点盛駅(写真上)に着いて、三陸鉄道乗換だが駅が違い戸惑った。

 三陸線で釜石へ 三陸線を釜石駅迄乗る。盛駅から三陸線は左へ走ると思ったが、途中までは大船渡線と並行し途中から左へ大きくカーブした。三陸線はリアス式海岸を走った。山間を過ぎ小さな入江が見えると駅で、これを繰り返した。恋し浜駅では長めの停車で(写真中)、入江景色を眺める時間があった。釜石駅で、JR釜石線へ乗り継ぎ花巻駅へ向かう。途中遠野を通過、当地以外は山中を走って、JR花巻駅に着いた。

 花巻城跡を見学 花巻城跡は、JR東北本線花巻駅から奥州街道を10分程度歩いた先の丘上にあった。戦国期は鳥谷ヶ崎城と呼ばれ、当地の豪族稗貫氏の城であったが、秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため、1590(天正18)年の奥州仕置きで領地が没収されてしまった。和賀氏と稗貫氏が一揆を起こし、鳥谷ヶ崎城を含め稗貫氏の旧領も一時は和賀・稗貫勢の手に渡ったが、翌1591(天正19)年、再仕置軍の侵攻により一揆は鎮圧された。そして稗貫郡は南部領と決められ、南部信直の代官北秀愛が城代として入り、城の改修が行われ、花巻城と改められたという。
 高台の城跡は、現鳥屋ヶ崎公園で、本丸跡が遺り、西御門が復元されていた(写真下)。中は広い平地で一回り。本丸井戸跡や台所門跡がある。当方の土塁越しの先は北上川だろうが、町家が密集し見えない。本丸跡を出て二の丸跡から濠を覗くと、今も水を湛え深そう。駅へ戻り、東北本線で北上駅へ出て、新幹線で帰京した。(2022/7/8 K.K. 1461/1500)

◇日時 2022/06/24 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 花巻市教育委員会「花巻城」 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」宿泊先7:00-JR一関駅7:19-同気仙沼駅9:04-三陸線盛駅11:08-JR釜石駅12:11-同花巻駅14:10=花巻城跡14:20/14:35=JR花巻駅15:06-同北上駅15:30-同上野駅18:10-三田線巣鴨駅18:20-自宅18:50