江東の門前仲町から永代橋を往復する

 最近月一程度は江東区へ出掛け門前仲町を通ると、昭和以前の下町風な街並みを感じている。その中心は富岡八幡宮だが、境内に伊能忠敬像があると知った(「我がまち再発見 東京・深川編下」21.4.15讀賣夕刊)。同八幡には2,3度参拝しているがあったかなと思う。周辺に他の史跡等もあり、訪ねることにした。

 伊能忠敬像 門前仲町は近い。大江戸線に乗り50分程で門仲駅に着き地下を出て、商店街が並ぶ永代通り歩道を下る。表参道から大きな鳥居を潜ると、左手に像はあった。
 自作日本地図を背に武士の旅姿の伊能忠敬は、50歳は過ぎていたと思うが元気はつらつとした姿(写真上)。案内によると、忠敬は近くの深川黒江町(現門仲一丁目)に住み、全国へ測量の旅に出掛ける前、必ず参拝に訪れた縁という。伊能忠敬の測量開始から200年を記念し平成13年建立とある。その偉業はシーボルト事件を持ち出すまでもないだろう。カメラに収めた。
 本殿前で軽く手を合わせ、横綱力士碑前へ出る。当境内で、江戸期勧進相撲が興行され、手前には大関力士碑もあった。裏参道から出て、高速下を抜け清澄通りを渡る。門仲一丁目に忠敬旧居跡が遺ると知り、地図にチェックして持参し探した。ほぼ回り道しないで歩道にある石柱を見付けて確かめ、シャッターを切った。

 赤穂浪士休息の碑 次は、永代橋袂のちくま味噌社前の赤穂浪士休息の碑へ歩いた。商店街通りを行くと、正面に車の往来が見え永代通りで、偶然にちくま味噌社ビル前へ至り、件の碑はあった。本所松坂町から泉岳寺へ引き上げる浪士一行が休息し、甘粕粥をご馳走になったという。初代店主と浪士大高源吾が俳人其角門下で知り合いであったとある。
 永代橋から門仲へ 久しぶりに永代橋を眺め(写真下)、その下流には高層ビルが林立している。晴海方向で、確か今回のオリンピック村であったと思う。私が通った晴海キャンパスはその先だろう。
 橋下から永代公園へ上がるが、直ぐ工事中の通行止めで前進は出来ない。地図を眺め、土手を下り住宅街通りへ出て、門仲へ戻る。途中神社が在る筈と探しながら歩くが、伏見稲荷は見逃してしまった。地図の読み間違いのよう。戻る程のことはない。臨海小学校に突き当り、反対側の小路に小さな出世稲荷神社があり、立ち寄り詣でた。次期受験の孫二人のことをお願いした。永代通りへ出て、大江戸線門仲駅は直ぐであった。昼が近くなり、旧友と食事した店が浮かんだが一人では・・・と帰宅することにした。(2021/10/26 K.K.1416/1500)

◇日時 2021/10/05 ◇天候 晴れ ◇交通費 シルバーパス ◇資料 昭文社「東京都市図48深川」2004.4版 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅9:05-大江戸線春日駅9:45-同門前仲町駅10:05=富岡八幡宮10:15=伊能忠敬旧居跡10:35=赤穂浪士休息碑10:45=永代橋10:50=出世稲荷11:15=大江戸線門前仲町駅11:28-三田線春日駅11:54-自宅12:30