正月も5日となり、初詣先を探し、板橋区内の区役所先から本町付近に三社を巡ることにした。一度は詣でたことがあり、おおよその位置や距離は分かっている。駅からも近く安近楽で、現在の自分には丁度よいであろう。欲を言えば、三が日の飲みすぎ、食べすぎを少しでも解消したい。駅伝観戦で、応援に力が入ってしまった。
板橋子易神社から 10時前に家を出て、三田線を板橋区役所前駅に降り、歩き出した。最初は徒歩10分程の子易神社である。商店街を抜け、川越街道へ出ると道路内に小さな祠があり、四又馬頭観音で、軽く挨拶し渡った。緩やかな坂を歩いて神社下に着き、参道から境内へ。本殿前に進み参拝。今年も孫二人が大学受験で、先ずは合格祈願。隣の浅間神社にも手を合わせた。境内には初参りの名残はあるが、人はなく静寂である。石段を下りて境内を離れ、山手通りへと坂を上がった。
氷川神社から板橋へ 次の氷川神社へと山手通りを、区役所正門前から中山道へ歩き、少し距離がある。氷川町へ至り、参道から氷川神社へ。こちらは未だ参拝者が多い。また本殿前で頭を垂れた。境内に富士塚の案内があるが、そうは見えない。隣の中山道の拡張工事で削られたとあった。大通りへ出るともう石神井川。ここで中山道を横断し、旧中山道へ出て、石神井川に架かる板橋を渡る。我が区の名前の由来の史跡で、現在も木製のよう。旧同僚たちを巣鴨地蔵通りから新板橋を通り、仲宿を経て、板橋を案内したことがあった。調べると中山道開道400年記念の年であった(02.10.20)。旧中山道板橋仲宿は橋の手前である。
縁切り榎 三社目の縁切り榎のある神社は記憶よりは遠く、旧中山道を歩き続ける。家並の間に見付かり、狭い中、奥へ入り詣でた。幕末の和宮降嫁の際、京から当中山道を通ったが、榎を筵で包んだとの伝えがあるが、実際は迂回したという。縁とは悪縁で、病気や酒等とある。現在も榎は健在だか、何代目だろうか。旧中山道から現中山道へ歩き、三田線板橋本町駅を探した。(2025/1/25 K.K. 1586)
◇日時 2025/1/5 ◇天候 晴 ◇資料 昭文社「東京都市図16」2004 ◇歩行距離等 7000歩 5㎞ 「通過時間等」 自宅9:55-三田線板橋区役所前駅10:25=子易神社10:40=氷川神社11:05=板橋11:05=縁切り榎11:15=三田線板橋本町駅11:30-自宅12:10 |