馬流から東小諸へJR小海線を乗り鉄する

 今年もJR東日本大人の休日俱楽部パスの利用期間となった。処が体調不十分で、2日遅らせ、近場から開始した。五能線は次の機会にしようと思う。新幹線の乗り鉄にすれば、この時期雨でも、暑くともそう影響なく楽しめる。北陸新幹線で、佐久平駅から小海線にした。一度小淵沢駅から小諸駅迄下りに乗ったことがある(18.9.23)が、今回は上りにする。車窓からの風景も違うだろう。

 小海線馬流駅 佐久平駅で、小海線上り列車を待った。高原鉄道で、日本一高い駅野辺山駅(標高1375m)に向かって上りの路線で、標高800m以上の駅が続いている。岩村田駅、中込駅、龍岡城駅、臼田駅を過ぎた。佐久地方の中心だと思うが、間もなく田園地帯で、田植えも済んでいる。右手先の山々は八ヶ岳連峰と気付いた。車窓からもはっきり見え、カメラに収めた。八千穂駅から馬流(マナガシ)駅に着き、下車。当地に、秩父事件の慰霊碑があると知ったのは前回当駅通過時である。駅の前にあった墓園は違っていた。

 秩父事件慰霊碑 地元の方に伺い、少し右先へ行くと慰霊碑はあった。秩父事件は、1884(明治17)年秩父の主力産業生糸が大暴落し、農家の高利貸しへの借金返済等が困難になって、農家、民衆が高利貸しや警察、役人を標的として暴動を起こした秩父困民党事件である。3日程で鎮圧され、秩父から県境の峠を越し当地馬流しに拠点を移したが、軍隊迄出動して抑え込まれ、その時死亡した者の秩父の孫達が40年後慰霊碑を建てたという。立派な慰霊塔と戦死者の墓と題する由緒書きがあった。私は、軽く頭を下げ、カメラに写した。下り列車に乗り、思い出した。永六輔が秩父事件は日本最後の百姓一揆で、フランス革命に通じるところがあると言ったと思う。高原鉄道の下りは速いように感じた。

 小諸馬子唄から追分節へ 佐久平駅を越し、三岡駅を通過。永六輔が疎開した先で、彼はここから上田駅迄、汽車通であったという。上田中学のことはしゃべらなかったようだ。東小諸駅に降り、平和公園にある小室節歌碑を往復。“こもろ出てみりゃ浅間の山に今朝も三筋の煙経つ”と刻んであった。有名な馬子唄で、これが信濃追分で歌われ、飯盛り女の三味を通じ北国街道で新潟へ出て、北前船で北上し秋田を経て、松前、江差へ伝わり発展したと、追分公園の石碑で知った。原点が小諸馬子唄である。近くに北国街道唐松一里塚があった。隣の食品スーパーで昼飯と飲み物を求める。当店は義理の姪の旦那さんが務める店と思い出した。東小諸駅から佐久平駅に戻り、新幹線を待った。(2024/7/9 K.K. 1565)

◇日時 2024/6/22 ◇天候 曇り ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 「通過時間等」 自宅7:40-同上野8:48-同佐久平駅10:18=同馬流駅11:00=秩父事件慰霊碑11:10=JR馬流駅11:19-同東小諸駅12:15=平和公園12:25=JR東小諸駅13:04-同佐久平駅13:48-同上野駅15:18-三田駅巣鴨駅15:36-自宅16:05