久振りに月島から佃を訪ね、門前仲町へ歩くことにした。中央区の月島は隅田川の河口で、広い運河もある。その奥晴海にあるキャンパスには10年以上通い、月島にも寄って、広い隅田川を眺めたことがある。私の好みの“我がまち再発見”が東京隅田川テラス編(25.5.16讀賣夕刊)で、私の里歩き心を惹き付けた。月島、佃は埋立地である。
佃島の歴史 地下鉄大江戸線を月島駅に降りると記憶を呼び戻し、構内通路から佃へと迷わず歩いた。狭い路地を抜けると小さな運河があり、波除稲荷前へ出た。孫の一人が受験中で、ご加護をお願いした。橋を渡った左手が、名産佃煮の販売店街で、私の知る三店舗が営業中。当地は佃煮発祥の地である。先へ行き住吉神社に参拝。大阪摂津の住吉神社の分霊が起源とある。それは、家康が安土から堺の旅の途中本能寺の変が起こり、急遽伊賀越えをして岡崎へ逃げ帰ったが、この時大阪湾河川の渡船で援助したのが摂津佃の漁民で、江戸に幕府を開いた家康が招いて佃島に住まわせ江戸湾の一部に漁業権等を与え保護したと伝わるという。そんな話を思い出しながら、隅田川沿いの佃公園へ上がり、隅田川は広く、流れが見えない。一隻の遊覧船が遡上した。
中央大橋、相生橋 隅田川に架かる長い中央大橋は渡り掛けたが長く、途中で戻った。石川島公園を歩く。確か石川島造船所があった地だが、現在は高層団地である。対岸を眺め思い出した。前勤務先の納涼会で、屋形船に乗り東京湾の花火大会を楽しんだ。その時乗船したのが向かいの越中島乗船場であった(10.8.4)。記録を引っ張り出したら、厩橋から隅田川を下り、中央大橋や次の相生橋を渡っていた。相生橋で晴海運河を渡ったが、初めてのようで何ら記憶は蘇らない。15年前では致し方がないか。
門前仲町へ 渡り終えた右側が東京海洋大で、明治丸が展示してあるのは知っていた。明治初期我が国の発注で、イギリスで造船された鉄船であり、重文という。元商船大学の実習でも使われ、遠戚で読者の一人は卒業生。永代通りの交差点迄は距離があり、大横川を渡り、古い火の見櫓を見て、門仲駅前であった。それでも、旧友との待ち合わせ時間には間に合った。(2025/3/8 K.K. 1591)
◇日時 2025/2/16 ◇天候 晴 ◇資料 “我がまち再発見”「東京隅田川テラス編上」(25.5.16讀賣夕刊) ◇歩行距離等 10000歩 7㎞ 「通過時間等」 自宅9:45-大江戸線春日駅10:28-同月島駅10:55=波除稲荷神社11:00=住吉神社11:05=中央大橋11:20=相生橋11:40=門前仲町(昼食)11:55/12:50-大江戸線門前仲町駅13:03-三田線春日駅13:28-自宅14:00 |