また購読紙“我がまち再発見 東京・大手町編”(9.5讀賣夕刊)紹介コースを歩いた。隣の丸の内に10数年勤め、大半は知っていたがコース内に“大手町の森”があり、ビジネスビル街に森があるの?と興味を惹いた。それにデ・リーフデ号像も知らない。我が家から近いので、日暮里で友人に逢った後昼過ぎに、地下鉄千代田線で大手町駅へ向かった。
将門塚から 大手町では将門塚からスタートしたい。大手町駅で地上へ出て、皇居大手門へ歩くが塚はなく、道一本違いと気付き回り道して辿り着き、参拝。平将門の首塚で、大正時代も庁舎建設の際祟りがあり改めて鎮魂碑を建て祀ったとある。ビル街の中で、私は初めてではない。日比谷通りを渡り、読売新聞社。正月の箱根駅伝スタート地を過ぎ、過去の歴史の顕彰プレートを眺め、今年の母校の不甲斐なさにうんざりしている。
ビル街のオアシス大手町の森 次の交差点を右折しビル裏を行くと左手が大手町の森であった。小さな樹林であるが、ビル群の間の緑の空間、癒しの場で、オアシスであろう。昼休みに仲間達と弁当を広げ交歓する様子が目に見えるよう。2013年オープンとあるから、私が丸の内を離れる一年前。隣区画の角にさわり大黒像があった。永代通りを渡り、銀行ビル街の前を通り丸の内へ至り、東京駅前へ。南口に動輪の広場を探すが見当たらない。反対側の旧東京中央郵便局へ入ると、現在はショッピングプセンターの中に、郵便窓口もある。この郵便局には少し思い出がある。我が父が山形の田舎から東京、大阪を経て尾道を往復したことがあった。その時の土産話の中にこの郵便局のドアが回転式で驚いたと聞いた。田舎者がびっくりしたのだろう。引き戸式が全盛で両開きがせいぜいの、70年も前のことである。
デ・リーフデ号像 デ・リーフデ号像は丸ビル脇の繁みの裏に見付かった。八重洲がヤン・ヨーステンに由来するとは知っていた。彼が1600年乗って漂着したオランダ船の像と知る。そして家康より当地に屋敷を与えられたが、現在八重洲は反対側だが地名の変更によるとある。ウィリアムアダムス、後の三浦按針も一緒であったという。デ・リーフデ号像は初めてで、カメラに収めた。国鉄最大の動輪を展示した動輪の広場は探し損ねてしまった。東京駅の南口地下で、略図を見誤っていた。久しぶりの丸の内の地下街を歩き通して、三田線大手町駅へ出た。(2024/11/19 K.K. 1579)
◇日時 2024/10/13 ◇天候 晴 ◇交通費160円 ◇資料 “我がまち再発見 東京・大手町編”(9.5讀賣夕刊) 「通過時間等」 自宅11:15-千代田線西日暮里駅(昼食)12:00/12:35-同大手町駅12:50=将門塚13:00=読売新聞社前13:10=大手町の森13:15=旧東京中央郵便局13:30=リフリーデ号像13:40=三田線大手町駅14:00-自宅14:40 |