都営新宿線森下駅から両国へ歩く

 都内墨田の両国の資料(「我がまち再発見・両国編」24.3.21.4.4讀賣夕刊)を得て、都営新宿線森下駅から両国駅の東口方面へ歩くことにした。東口付近の案内が私の興味に合った。地図を眺めると、江東区の森下から両国は隣り合わせで、近いと知った。最後は両国橋を渡りたい。これまで、隅田川の橋は殆ど渡っているが、両国橋は未だと思う。

芭蕉句碑のある要津寺から 都営新宿線を森下駅に降り地上へ出て、ここから躓いてしまったようだ。要津寺は、芭蕉俤塚と古池やの句碑があり再訪(19.1.23)で、いつもの山勘で探したが、方向が違っていた。大分歩いた後、教えて貰い戻った格好で住所地番から探した。その上記憶違いで、寺前を通り過ぎてしまいUターンし境内へ。長い参道、古刹風の本堂と思っていたが、新しいお堂。でも、右手前に芭蕉俤塚と古池やの句碑はあった。

当地縁の社、橋 次の初音森神社から江島杉山神社へも住所地番からなんとか探し当て、手を合わせた。両社ともそっちこっちにある普通の社であったが、江島杉山神社は、江ノ島に縁のある杉山検校を祀ったという。鍼治療の創始者で将軍綱吉にも施し、土地を賜ったとある。堅川に架かる塩原橋(写真上)を渡り、両国へ入った。江戸期当地に炭屋の店を構え成功した塩原太助に因んだ橋との案内。講談か落語で聞いたことがある。

吉良邸跡、海舟生誕の地 右手の案内を見たら、吉良上野介屋敷の裏門跡とある。直ぐ右手へ曲がると、吉良邸跡であった。本所松坂町の大屋敷も現在では、2,3坪程度で、小さな社と座像がある。私は、義士祭りの折訪ねて(09.12.14)以来の15年振り。社に挨拶し、両国公園へ歩くと芥川龍之介の文学碑があり、当地に母の実家があって若い頃住んだとある。公園内奥に勝海舟生誕の地として記念碑と、海舟活躍の画像パネルがあった(写真中)。西郷との会談や龍馬との交流等も紹介されている。JR両国駅観光案内所で、一休み。嘗ては総武線のターミナル駅で立派な駅舎であるが、今ではその役目は錦糸町駅か。

両国橋を渡る 駅前東口の横綱通りを歩くが、ちゃんこ屋は見当たらない。京葉道路へ出て回向院前を過ぎ、両国橋へ。袂手前に、義士大高源五が詠んだ“日乃恩や忽ちくだく厚氷”の句碑があった。彼は浅野家でも高禄者であった。両国橋(写真下)をゆっくり渡る。大川は流れを川幅一杯にして、静かに動いているよう。渡り終えて、都営地下鉄駅を探した。(2024/5/16 K.K.1557)

◇日時 2024/4/30 ◇天候 曇り  ◇資料 墨田区「両国エリアマップ」2023.1他 ◇歩行距離等 14,000歩 10㎞  「通過時間等」 自宅8:45-都営線神保町9:25-同森下駅9:40=要津寺10:15=初音森神社10:30=江島杉山神社10:35=塩原橋10:45=勝海舟生誕地碑10:55=JR両国駅11:10=両国橋11:40=都営浅草橋駅11:59-三田線神保町駅12:20-自宅12:55