JR西日暮里駅集合の案内があった。中学同級生と久しぶりの再会である。コロナ禍でご無沙汰していたが、メールのやりとりはしていた。互いに傘寿を迎え先は長くはなく、元気なうちは交友したい。JR巣鴨駅へ出て、山手線に乗り日暮里駅に降りると、A君が待っていた。ほどなくB君も見えて三人揃った。高卒後上京し皆大学は出たが、苦学生である。
谷中銀座へ 日暮里駅西口から谷中方面へ歩いた。坂を上がり台地へ出て、右手に古刹があり経王寺で、二人を案内した。幕末の上野戦争で、彰義隊が逃げ込み、新政府軍が鉄砲を打ち込み門の扉に数個の弾痕が遺る(写真は荒川区サイトより)。約150年前の1868(慶応4)年ことで、二人も確かめた。坂を下り谷中銀座へ。この辺り、夕焼けだんだんと呼ばれていると思うが案内は見当たらない。銀座通りを下り続ける。両側は食品店中心の下町の商店街。私は、1,2度歩いたが、賑わいが今一だ。まだ午前中だからか。銀座通りを出た先の喫茶店に入る。
思い出話 二人は私が送った昨年10月の故郷であった芋煮会の写真を持参していた。彼らは私よりご無沙汰のようで、ほとんどの参加者は不明で、女性陣は分からないという。私が名前を告げると思い出し、中学時代のエピソードも紹介してくれ、話が弾んだ。日暮里駅へ戻り、飲食店で昼食し、思い出話は続いた。二人は陸上が得意で、郡大会や県大会へも出場したと思う。私も県大会1回戦のプレーで、先生に褒められた思い出を話してしまった。A君と同じ部活であった。13時を過ぎ、再会を約し、駅前で別れた。ビール付昼食を二人に御馳走になってしまった。ありがとうございました。
舎人ライナーから眺めた山々 私は時間があり、舎人ライナー日暮里駅へ上がり、乗車。2008(平成20)年開業の高架鉄道で、約10km13駅のコンピュータ制御路線である。終点見沼代親水公園駅迄は一度乗ったことはあろうか。東側を眺めながら乗る。ビル街が切れたら、隅田川、荒川を渡り、住宅街となって先の寺院は西新井薬師か。舎人中央公園の上となる。昨春ネモフィラ鑑賞に来た。終点に着いたがそのままUターンし、席を移し西側を眺めた。荒川を渡る手前辺りで、都内の市街地の最奥に低山が見えた。えっ!、大遠望である。多摩の連山かそれとも奥武蔵の山々か。山歩きのホームグランドである、ダメもとでカメラのシャッターを切った。快晴下の広い関東平野と高架鉄道組み合わせの賜物か。熊野前駅に降り、荒川線に乗り換えた。(2025/2/18 K.K. 1589)
◇日時 2025/1/26 ◇天候 晴 ◇歩行距離等 7000歩 5㎞ 「通過時間等」 自宅8:50-JR日暮里駅9:50=谷中銀座10:30=日暮里駅前昼食11:30/13:00=舎人ライナー日暮里駅13:28-同見沼代親水公園駅13:52-荒川線熊野前駅14:13-三田線西巣鴨駅14:45-自宅15:20 |