大森貝塚碑は一度訪ねた(21.10.16)。ところが、もう一つ碑があると知った。私が愛読している購読紙の“我がまち再発見大森編”(25.4.10讀賣夕刊)からである。えっと思いながらも出掛けることにした。大森は、都内も城南地区で、我が家から近くはないが、JR京浜東北線で一本だ。三田線から乗り換える駅を検討し、JR新橋駅とした。
大森貝塚碑 三田線内幸町駅から新橋駅へ歩いて京浜東北線に乗ると、品川駅の先が大井町駅で次が大森駅であった。大森貝塚遺跡庭園は、駅前の池上通りを北上した15分程の地にあった。前回訪ねた貝塚碑は駅先から階段を下りた地で、その大分先である。こちらは公園内に、土器を手にした米国人エドワード・S・モース博士(貝塚発見者)像を中心として、貝塚も復元してある。カメラに収めながら一周したが、石碑が見付からない。入口へ戻り案内図で確かめ、右手奥の線路際と分かり、土手を下ると石碑があり、大森貝塚と横書きされていた。駅近の碑は、大森貝墟と縦書きであったと思う。カメラを向け、園を出た。
馬込文士村 我がまち再発見から天祖神社にある馬込文士村レリーフが目を惹き、訪ねた。大森駅西口の駅前であったが、本殿は高台にあり急な石段。回り道の石垣に、似顔絵を刻んだ文士村レリーフがあった。40名ほどであるが、私が知るのは尾﨑士郎、宇野千代、川端康成、室生犀星、萩原朔太郎、三好達治、山本周五郎、画家川瀬芭水達である。大正末期から当地から馬込に住んだ作家や画家達である。裏側から境内へ入り、参拝。狭い中緑の樹木が多く、初夏であろう。また石段を避け、裏の住宅街を回り道して、大森駅前池上通りへ出た。
最後に池上通りを大田区から品川区へ入り、右手にあった鹿島神社に寄る。安和2(969)年創建とある。立派な社殿とその隣に、推定樹齢200年というタブノキがあり、思わずシャッターを切った。友人との約束の時間が迫り、神社前バス停に折よく来たバスに乗り大森駅へ戻った。(2025/5/14 K.K. 1601)
◇日時 2025/4/27 ◇天候 晴 ◇交通費 500円 ◇資料「我がまち再発見大森編」(25.4.10,17讀賣夕刊)」◇歩行距離等 8000歩 6㎞ 「通過時間等」 自宅8:50-三田線内幸町駅9:35=JR新橋駅9:47-同大森駅10:05=天祖神社10:15=大森貝塚遺跡庭園10:45=鹿島神社11:05-JR大森駅11:13-同巣鴨駅12:00/12:45=-自宅13:15 |