調神社から別所沼公園へ浦和を歩く

 浦和市内を歩いた。また購読紙の“我がまち再発見”からで(24.6.20,7.4讀賣夕刊)、サッカーの街浦和の紹介が中心だが、コース中、調(ツキ)神社境内の写真があり、二度程参拝しているがご無沙汰で、記憶が薄れている。最近南浦和を訪ねた時、寄る予定であったが、疲れて省略してしまった(23.11.22)。

大回りし調神社 JR埼京線武蔵浦和駅をスタート。調神社は東の方向15分程だろうと、途中の白幡沼に寄り水鳥を眺め、医王寺を過ぎて左折し、右手に神社らしき風景に出合い接近したが違っていた。これが間違いの始まりで、方向が違い住宅街に迷い込んでしまい、二度尋ねて、なんとか旧中山道へ出たが肝心の神社は見えて来ない。大分歩いて参道へ入り、狛兎を確かめ、カメラに収めた。調神社は月が出るのを待つため兎らしい。広い境内から本殿前で手を合わせた。古社で、税制租庸調の調だろうから奈良時代の創建か。

浦和歓楽街から旧中山道 浦和駅へ歩く。駅へ着き、お茶を求めて休憩。駅前で、浦和サッカータウン・モニュメントや浦和うなこちゃん像を見る。浦和宿はうなぎかば焼き発祥の地でそのシンボルという。嘗て当地は沼地でうなぎが取れ、現在もうなぎ屋30店もある町とある。駅前通りの小路を進むと飲食街。初めての光景で浦和の裏町歓楽街か。右折して旧中山道を進み、新聞記事にある書店須原屋ビルを眺めると市役所通りの交差点で、本陣跡がある筈だが見当たらない。山勘で裏手へ回ったら、小さな広場に跡を示す石碑が建っていた。中山道67次日本橋から3宿目だったとある。                                               

サッカー発祥の地像 市役所通りを西へ歩く。国道17号・現中山道を渡り市役所前に至った。そして、サッカー発祥の地像があり、二度目である(15.1.18)。埼玉師範全国制覇記念碑でもあり、師範学校でサッカーを学んだ学生達が近郊の学校に赴任してサッカーが広まり、浦和はサッカーの街となったようだ。一時期高校の優勝校は浦和の高校という時代があった。浦和レッズの活躍に繋がっているのだろう。ここからは、別所沼を目指す。左折し、奥に県庁ビルを正面に見ながら住宅街から右折し坂を下ると別所沼で、別所沼会館で昼食を取った。時間も想定通りであった。帰宅したら歩いた距離が12㎞とあり、最近では長距離であった。(2024/10/15 K.K.1571)

◇日時 2024/9/25 ◇天候 曇り ◇交通費 360円 ◇歩行距離等 16,000歩 12㎞
「通過時間等」 自宅8:45-JR埼京線浮間船渡駅9:20-同武蔵浦和駅9:45=調神社10:25=JR浦和駅前10:45=浦和宿本陣跡11:00=サッカー発祥の地碑11:15=別所沼(昼食)11:45/12:20=JR埼京線中浦和駅12:38-同浮間船渡駅13:00-自宅13:30