私が登った百の名山&低山=関東編=「袋田の滝を眺め、月居山に登る」

 水戸駅で水郡線に乗り換えた。帰郷時郡山駅通過の際に良く聞いたローカル線ではあるが乗車は始めて。水戸市郊外を過ぎると田園地帯となり、程なく三両編成の列車は山間を走り、久慈川と右となったり左になったりして進んだ。本日は連休後半の初日、袋田の滝見物に遠出した。小生同様の行楽客で車内は混んでいる。水戸から約1時間で袋田駅に到着し、スタート。下車した客は多かったが歩きは小生のみ。
 駅前から踏切を渡り久慈川を見下ろしながら案内表示に従い滝を目指す。袋田温泉を通過し山方向へ左折。資料で見た月居山が前方に現れた。双耳峰である。道路の両側に土産物店や食堂が連なり、滝が近いことを知る。観瀑台が設けられていて利用料を支払い、トンネルを抜けると、一挙滝正面へ出た。見事な大滝である。

 名瀑に感動 高さもあるが幅もあり、それも川一面に白布を広げたように流れ落ちている。これまで観た滝は、高さはあったが細長い流れのものが殆どであったと思う。落差といい流域面といい、水量も豊富で規模が違う。豪快さの中に玉簾状の美しさも備えた名瀑に間違いない。
 往時、西行法師は、花紅葉よこたてにして山姫の錦織り出す袋田の滝と詠んだという。特に秋の紅葉の時期が絶賛される。既に約40年前にこの滝見物を薦めた方がいた。ようやく実行でき、その素晴らしさを味わった。吊り橋から眺めた滝もまた良かった。ここでもカメラに収めて月居山へと上がった。

 月居山(ツキオレサン)へ 資料によれば、山頂までは200mの高度差とある。このため下りを避けて滝見物を先にしたのだ。本当かなと疑いながら鉄製の階段に挑戦。男女のペアと前後になりながら一歩一歩上がる。女性はなんとハイヒール。途中、生瀬の滝見物に往復。上流に小さな滝を確認した。小休止を繰り返して再び急な階段を上り続ける。2,3度は頂上かなと思ったが小ピークであった。時々右手に展望が開けて、先程は生瀬富士の岩峰が見えた。その奥に広がる山々はもう福島県域だろう。本当の頂き(404m)を越した地のベンチで休憩。40分を要したから約200mは確かだろう(登山では1時間約300mと計算。)。ペアも上がって来た。おばあさんが孫を追って来てしまったらしい。道を尋ねられたが地図でしか教えられない。

 城址に出会う 反対側へ下山開始。観音堂から峠に下りると光明寺跡。また山道に取り付き僅かな上りで広場に飛び出した。月居城跡であった。常陸佐竹氏の一族袋田氏の居城であったが関ヶ原戦後佐竹氏秋田移封に伴い廃城。時代が下がって幕末には水戸の天狗党が一時拠ったという。土塁跡に僅かな痕跡があった。戻った山間の鞍部月居峠が水戸天狗党とその追討軍が戦闘を繰り広げた地とある。山道から林道、里道となり袋田温泉前で、往きのコースに合流した。水戸行きを待つ袋田駅のホームは寅さん映画の冒頭シーンのような風景であった。
 数日後、長男家族一行が車で袋田の滝見物に出掛けたと聞いた。小生の土産話に刺激されたらしい。皆の感想が小生と同じく、見事な滝、名瀑であったと言い満足したようであった。(2007/5/3 31/100)

追記 初めての水郡線乗車であった。久慈川を遡り山間の袋田に着き、滝を訪ね、高さ、幅、そして水量に圧倒された。その後、山に取り付き、月居山を越して、城址であった。あれ以来、水郡線の水戸、郡山間は2度だけ往復している。本当に山中を走る路線であった。支線で常陸太田駅へ行き、黄門様の西山荘を訪ねた(10.6.27)が、大分昔のこととなった。下の写真は、この度古いUSBに見付けた。奥の高い山が月居山だろう。