私が登った百の名山&低山=関東編=「箱根手前の金時山から足柄城跡へ」

 バスで乙女峠へ 二、三年前から足柄峠にある足柄城跡(神奈川県南足柄市)を訪ねたいと思っていて、今回金時山の登頂後に寄る計画を立てる。新宿から高速バス利用のルートを知りそのルートを採る。バスは満員で大半が金時山の登山客のよう。乙女峠のバス停で降車して、歩き始める。少量ではあるが雪が残っているところがある。予想していなかったことで、本当に山の状態は分からない。甘く見てはいけないと思う。三月の石老山の時、Hさんがアイゼンとオーバースボンを用意しておられたが、ベテランの用意周到さを思い出し、改めて脱帽である。見習わなくてはいけない、と誓う。すぐ乙女峠。

 山容は猪鼻か 小休憩後出発。滑り易い赤土に階段が付けられた道を登る。長尾山を越えたところから、次の上りが心配な程、ぐんぐん下る。右前方に金時山が見え始める。再び上りとなり、鎖場らしき所を通過して、歩き易い尾根道を進む。金時山が正面の位置に見えるようになる。山の形が猪の鼻に似ていると言うが、鼻が立った状態なのだろうか。右側に展望が開けて湖は芦ノ湖で、蒸気が立っているのは大涌谷か。ゴルフ場が目に付く。最後の急登となり、遭難碑のレリ-フがはめ込まれた岩があった。この程度の山では珍しいのではないだろうか。難無くこなして頂上[1,212M]に出る。既に10人程の登山客が休んでいた。

 金時娘の山小屋 頂上は意外に広く、小屋が二軒ある。その一つが有名な金時娘のもの。同小屋は客で混雑していた。いつかテレビで見たようになじみの客が多いのだろう。彼女が新田次郎の小説「強力伝」のモデルの娘であったことを、小屋の案内板で知る。雲が多く、富士山は裾野のみで遠望はないが、箱根の主峰神山が正面に見える。
 雨が来そうなので早目に、足柄峠に向けて下山開始。すぐ急降下で、はしごの連続。立った猪の鼻を下っている格好。はしごはてすりのあるステンレス製。山のはしごとしては立派なもので、降り易い。上りのハイカ-が多く、待つことがしばしば。小さいが浮き石があり、慎重に下る。約25分で下り切り、広い尾根道に出る。途中、丸鉢山で休憩。そこに猪鼻砦跡の標柱があった。説明によると、丸鉢山が猪鼻の先に当たると言う。どうも、金時山は鼻が立った状態と見た先の見方は違うらしい。

 足柄峠・城跡 尾根道を歩き通して、足柄峠・城跡に着く。例の豊臣秀吉の小田原攻めの時は戦わず空け渡したらしい。一の郭から五の郭までを歩き回る。空壕や土塁で仕切られた郭跡が良く残っている。当時の井戸の跡もあり、珍しい。物見台と言われる場所から金時山を見たら、同山は猪の頭で丸鉢山が鼻先に見えた。
 その後、聖天堂に参拝し、関所跡を見て、明神郭跡を探したが探しあぐね、地蔵堂へ下る。下りの道は、新羅三郎義光、源来光、徳川家康なども通った古道という。時々舗装道路と交差するのが残念だ。地蔵堂に着き、バス時間を確かめ、夕日の滝を往復する。途中、道端に五、六頭分の猪の毛皮が干してあった。地蔵堂で休憩後、お土産に菜の花などの野菜を求め、バスで小田急新松田駅に出る。予定より早目に帰宅できた。(95/4/2 73/100)

追 記 箱根金時山は、日本三百名や日本百低名山(同書113頁)、日本百低名山(同書230頁)登載の山である。しかし、当時は城址巡りが主で、足柄城址に力点があったと思う。道路に干してある猪の毛皮が生々しかった。15年後金時山に再登した(10.5.15)が記憶と違っていた。この時は仙石原へと下山した。