険路、岩場の山へ 鞍部に上がって一息を入れた。3ヶ所鎖場があったが、なくとも登れる程度の岩場であった。本日は上州岩櫃山である。険しい岩場のある山と知り、これまでは敬遠していた一方で、チャレンジ心もあった。ようやく後者が勝って、Kさんに同行を願った。危険はないよと百名山男Hさんが背中を押してくれ、インターネットで得た登山中の写真でもそれ程ではないと見え、ファイトが湧いた。先程吾妻線郷原駅から歩き出して間もなく山村集落通過中右手に聳える鋭い岩稜を見た。小型北アのようである。単身ではないこともあってか、恐怖感を抱くことなく割と冷静に密岩通りコースから山へ入った。
岩尾根、鎖場を通過 鞍部では2人の若者が先行して、その後をゆっくりと上がると直ぐ、天狗の架け橋という一番難所の痩せ岩尾根。Kさんと迂回に合意して梯子段を下る。こちらも大岩にへばり付いた峡路で、また梯子を伝い架け橋の先へと出た。今度は崖に一本の鎖が吊り下がっている超難所。鎖だけを頼りの上に、岩角や凹みもなく足場がない。2人ともどうにか上り切った。頂上かなと思ったが、前方に登山者が立つ更に高い頂が見えた。隘路、峡路から岩棚の隙間を抜けて、また岩壁を乗り越える。鎖使用の懸垂で腕の力だけで上がらなければならない。鷹巣遺跡口から左へ回り込むと頂上下であった。
登頂 長い鎖が二本下がり、最後の難関。命を鎖に委ねる形だが、足場になる角や窪みが適度にあり、怖さを感じることもなく頂上(802m)へと這い上がった。既に先行グールプが休憩中。記念写真後周囲を見渡すも、雲が出ていて遠望はない。僅かに白い裾野が見えるのは浅間だろうか。眼下には遅めの紅葉が広がり、吾妻も晩秋だ。反対側は榛名の連山。
昼食後、小生が先に鎖に掴まった。落ちても命まではと思いながら、懸命に足場を探した。復路は沢コースを採る。こちらは楽な筈だが、案に相違して厳しい岩場や崖端が続く道。振り返ると、先程登った鋭峰が聳え立ち、改めて岩峰岩櫃山を見た。その後も気を許すことなく、Kさんの後を追う。
岩櫃城跡 途中から尾根通りへとコースを分けて、落葉に埋もれた薄い山道を辿り、岩櫃城跡を見学。この城は戦国期には上田真田氏の支配下にあった。武田勝頼が信長に追われて、新府城を脱出したとき、真田昌幸が案内しようとした城である。しかし譜代の家臣小山田信茂の言に従い岩殿城を目指したが裏切られ田野の地で武田家終焉を迎えたことは知られた史実のようである。岩櫃城址は二度目で、16年前に群馬原町駅から往復した(93/8/29)。山中の城跡は変わることなく静寂を保っていた。(46/100 09/11/21)
追記 岩櫃山は、私が経験した山々で最高難度の山であったと思う。Kさんに同行を願ったのは正解であった。今でも岩峰登山の印象が強く残っている。日本百低山に選ばれている(同書110頁)。岩櫃城は池波正太郎著真田太平記で知っていた。山麓にはそんな歴史は消え去っていた。