私が登った百の名山&低山=甲信越編=「厳冬の暁に三ツ峠山から霊峰富士を仰ぐ」

 友人が登山を再開したといぅので、小生も連れて行ってくれと頼んでいた。小生の希望で三ツ峠山を選んだ。小生にとっては、91年 8 月の自馬以来の登山である。宿泊先の小屋に電話で確認をしたところ、山頂付近は雪が残っているとの情報で、ヤッケ、アイゼン等を用意した。また、大学時代ワンゲル部で活躍したM君に同行を依頼し、同君は快く引き受けてくれた。

 富士急三ツ峠から 新宿駅で待ち合わせ、大月駅で富士急に乗り換え、登山口三ツ峠駅で下車し出発。M君に歩くペースが速すぎると言われる。達磨石で休憩。ヒーターで煎れたコーヒーを戴く。
 達磨石からは本格的な上り。所々雪が凍結して危険な個所があり、慎重に上がる。途中、林が切れた地点で富士山が見えた。見事だ。八十八大師を通過して、ようやく林を抜け出すと巻道となり、この辺りから雪が多くなる。雪の中に付けられた一本道を進む。右に巻いたところで、小屋が正面に見えた。すぐ右上は屏風岩の岩壁で、ロッククラィマ-が取り付いていた。雪が深くなって小屋への坂道に手間取り、ようやく到着。小屋付近は雪一色で、積雪lm以上はあろう。正に冬山模様。雪に囲まれた子供の頃の山形の冬を思い出す。

 三ツ峠山山頂へ ザックを置いて山頂を目指す。雪の道を,慎重に上って、三ツ峠山の頂上[1,786m] 。雲で、冨士は僅か裾野が見えるのみ。小屋は個室でこたつ付き。麦酒を飲もうとしたが、M君が外へ出たまま帰って来ない。後に気が付いたのだが明日の下山ルートを確認しに行っていたのだ。流石で、脱帽である。明朝日の出と富士を見るため、早めに就寝。

 大富士の秀峰に出合う 翌朝4 時30分頃に起きて、日の出を見るため防寒用ヤッケを着て外へ出る。寒い、手がかじかんでなかなか靴紐が結べず、アイゼンが履けない。後で測ったら外は零下 15 度だったという。白み始めた空の正面に、富士が見える。正面に、大きく、しかもくっきりと見える。こんな見事な富士は初めてだ。来て良かった。             やがて東の空に太陽が見える。多くの人が小屋から出て歓声を上げ、シャッターを切っている。西の空には月が残っている。東に太陽、西に月という珍しい光景を見た。また、展望が良く、北西には南アルプス、八ヶ岳、奥秩父の山々がくっきり見えた。

 ロープウェイで下山 朝食後、下山開始。軽登山靴にアイゼンがうまく装着出来ず苦労する。時々M君が手伝ってくれた。雪の中に僅かに残った道跡を辿って進む。ストックを使用して懸命に下る。前日冬山を心配したY先輩のアドヴァイスで、M君が用意してくれたものだ。ようやく、雪道を脱した地点で、左手に富士、眼下に川口湖が見えた。
 天上山のロープウェイ駅に到着して、靴の泥を洗い、持参した赤飯を戴く。ロープウェイで下山後、富士急河口湖駅に到着。小屋で一緒だった人に会う。我々が下山する時は、確かストーブのそばで酒を飲んでいた人のようだが、尋ねたら別ルートで下山し途中からタクシーを利用したという、納得。河口湖駅から大月駅を経由し国分寺駅で下車して、反省会をした。 (94/2/26,27 80/100)

追記 私の最初の山が三ツ峠山であった。職場の友人3人に同行して貰った。厳冬期で山頂下付近は雪が深かった。翌朝の払暁時大富士を正面に眺めて、昨日の苦労は吹っ飛んでしまった。これが私にはプラスに働いて、その後山歩き、里歩きを趣味としてしまった。現在31年経過し、1600回を歩いているが、残念ながら傘寿となって山歩きは最近0である。