私が登った百の名山&低山=甲信越編=「ワンゲル部に同行して登った八ケ岳赤岳」

 職場のワンゲル部が正月に亡くなられたIさんの追悼登山を八ケ岳で行うと聞き、同行をお願いし、参加する。Iさんは、職場の先輩で、ワンゲル部で活躍され、中でも八ケ岳を愛し40数回登られたという。現役のまま亡くなられた方。小生が山歩きを始めたと知り、“最近行っている”などと話しかけてくれたのが思い出される。
 新宿から茅野までスーパーあずさを利用。茅野駅からTさんの車で、登山口の美濃戸山荘まで入る。Tさんは現在では諏訪市にお住まいだが元職員で、在庁時代にIさんとワンゲル部で一緒に活躍されたとは聞いていたが、同部創設の発起人メンバーであったと後で知る。本山行に現地参加。

 行者小屋泊 美濃戸山荘で昼食後、Yさん、Tさんと先行する。本日は行者小屋まで約2時間の行程。Yさんは山のヴェテランで、冬季3月に同じ八ツの赤岳で追悼登山を済ませたという。休憩を取りながら、南沢コースをゆっくりと上る。林の中の沢を右に左に渡り返す沢沿いの緩やかな上りの道。雲が出始め、先行きの天候が心配となる。Iさんはワンゲル部では雨男としても有名であったとのこと。途中行程半ばの地点で後続グループに追いつかれ、その後は一緒に行動。沢と別れ、林を抜けて、流れのない河原を渡ったところが行者小屋。ワンゲル部員と一緒に夕食。チラシ寿司とTさん差入れの馬刺を戴く。皆でIさんを偲んだ後、9時前に消灯。

 悪天候の2日目 3時30分起床。天候回復せず霧が降りている。雑煮での朝食後に出発。小生は赤岳山頂(2,899m)ピストン組に入れて貰う。Yさんもピストン組。他の方は縦走だ。林を抜けると早速急登が始まり、続いて直登の階段となる。調子が出る前の急坂は辛い。トップと2番目のO夫人が速いのでぜいぜいしながら懸命に追う。彼女は昨夜の自己紹介では確か初めての登山と話していたと思ったが、年齢の差だろう。階段を上り切るとガレ場のトラバースとなる。風が強く、霧が下から吹き上げ、雨が降らないだけ増しの状態。阿弥陀岳への分岐点を左に折れると程なく岩場となり、山頂は近いという。天候が良ければ展望が抜群の筈だとYさん始め皆が残念がる。濡れた岩場を手も使って慎重に上る。岩場の上りは奥穂高岳(94.8.7)以来久しぶり。O夫人の“頂上だ!”の声に、“もう”と思いながらもホッとする。

 山頂で追悼後無事下山 山頂で、皆で線香を焚き黙祷し、改めてIさんの御冥福を祈る。山頂小屋で休憩をした後、下山。縦走組も悪天候で断念。Yさんのリードとアドヴァイスで、岩場の下りを切り抜ける。上りに苦労した階段は下りの方が少しは楽。往きには気付かなかったイワカガミなどの高山植物も目に付く。結局、行者小屋、赤岳山頂間を文三郎尾根という田舎の親父と同名の尾根道を伝い、上り1時間30分、下り1時間10分で往復した。悪天候時の登山は安達太良山(94.6.19)、両神山(95.4.30)以来の経験。でもワンゲル部のお陰で不安もなく、無事登頂し下山することができた。

 行者小屋で休憩後、たまへの水を汲み、昨日同様南沢を下る。皆のペースが速く、最後は離されたが約1時間40分で美濃戸山荘に到着。コースタイム通りなので、小生が殊更遅いのではないだろう。昼食にそばを戴いた後、解散。Tさんに茅野駅まで送って貰い、スーパーあずさで帰京。下界は快晴、残念という外はない。(97/7/5,6 86/100)

追 記 赤岳山頂を往復した思い出しかない。経験もない上に悪天候で、余裕がなかった。その後八ヶ岳の天狗岳に登り赤岳を眺め、急峻な山容に良く登れたなあと自分ながら感心したことがある(98.09.20)。