寒暖を繰り返し春は遠い。天気予報から暖かい日を選んで歩いた。“我がまち再発見東京・目白編”(25.2.6,13讀賣夕刊)コースで、池袋から目白へ出て、学習院下を通り、都電荒川線踏切を渡って目白不動尊へである。都心も城西の豊島区内で、スタート地の池袋駅西口へ三田線板橋本町駅前からバスにし、30分で着いた。10日前珍しく池袋で友人の送別会があり、来たばかりである。
池袋駅西口をスタート 西口から南へと歩く。初めての地かなとキョロキョロしながら進み、メトロポリタンホテル前で、住宅街へ左折すると山勘が当たり、自由学園の案内を見付け入口へ回った。同学園明日館は羽仁もとこが1921年に創設した女学校で、あの有名な帝国ホテルを設計したフランク ロイド ライトの設計で、重文とある。校門から眺め校舎をカメラに収めた。住宅街をウロウロしていたら上り屋敷公園がありUターンし、屋敷街を抜けて、西武池袋線踏切を渡る。高架ではない。
目白庭園、下落合 踏切の先が豊島区立目白庭園で、思い出した。帰宅後調べると25年前訪ねていた(00.5.14)。小さな池を半周して、JR目白駅へ寄る。駅前の案内板で、次の旧近衛邸のケヤキへのルートを確かめる。目白通りを左折すると高級住宅街の下落合。歩きながら目白庭園からおとめ山へはここを奥へ進んだとの僅かな記憶である。件のケヤキは道路の真ん中にあったが、この時期葉はなく裸樹状態。カメラを縦長にして写した。山手線方向へ左折し線路沿いに坂を下り、高架下潜ると土手下で、学習院下の通りで、初めての地であった。高台の校舎は見えない。
目白不動尊 少し歩いて明治通りから都電荒川線踏切を渡り、缶カンコーヒを求め休憩。本日は予報通り暖かく寒さは感じない。最後の目白不動尊金乗院は近かった。目白区のネーミングの由来が当院とある。境内へ入って金乗院に参拝。孫の合格発表があり御礼を申し上げた。右手の高台の小振りなお堂が目白不動尊のようで、急な階段上下して手を合わせた。由井正雪の乱首謀者の一人丸橋忠弥の墓があるとの案内があった。都電荒川線踏切へ戻り、学習院下駅で都電を待った。荒川線は時々利用しているが、当駅からの乗車はこれまでないと思う。(2025/3/14K.K.1592)
◇日時 2025/2/26 ◇天候 晴 ◇資料 “我がまち再発見”「東京目白編」((25.2.6,13讀賣夕刊) ◇歩行距離等 11000歩 8㎞ 「通過時間等」 自宅8:50-三田線板橋本町駅9:35-池袋駅西口10:05=自由学園明日館10:20=上り屋敷公園10:30=目白庭園10:40=JR目白駅10:50=旧近衛邸ケヤキ11:00=学習院下11:15=都電荒川線踏切11:30=目白不動尊金城院11:35=都電荒川線学習院下駅11:45-三田線西巣鴨駅12:06-自宅12:40 |