日光文挟から例幣使街道を歩く

 日光街道の杉並木は好みのコースで、数度歩いている。それが今市に追分がある例幣使街道にも杉並木が続いていると知った。例幣使街道は宮廷の勅使が京から日光東照宮例大祭へ通った街道。中山道を倉賀野で分かれ、佐野、栃木、鹿沼を通っている。鬼怒川からの復路に巡ろうと調べると、JR日光線文挟(フバサミ)駅から歩くと日光と鹿沼の境に寄進碑があり、それも見てみたい。

 車の往来激しい例幣使街道 東武線下今市駅からJR日光線今市駅へ出て、文挟駅に下車。車窓右手に例幣使街道を確かめると一度離れたが、また日光線と並行しているようだ。小さな木造駅を出て一旦戻って踏切を渡り、例幣使街道へ入る。両側に大杉が並列して続き、薄暗い(写真上)。少し歩いてこのまま前進するのはヤバいと気付いた。街道が狭い上に、車の往来が激しい。二車線ギリギリで、歩行の私は、車通過の度端に身を寄せる始末。それで、杉並木の外側へ出て荒れた野良道らしき踏み跡を歩くが、安全だがスピードは落ちる。私がこれまで歩いた今市先の日光街道杉並木は広く、遊歩道もあって違っていた。

 寄進碑の先北鹿沼駅は? 寄進碑を目指し進むが30分過ぎても未だ先のよう。ようやく右手に人家が見えるようになり、杉並木の出口が近いと思う。正面が明るくなり、日光と鹿沼の境の小倉地区で、境石呼ばれる寄進碑があった(写真下)。日光街道杉並木は、家康忠臣相模国玉縄藩初代藩主松平正綱が、1625(寛永2)年から植樹を開始し、24年に亘ってそれを続け、杉苗は紀州熊野産で、2万4300本を街道に植樹したとある。例幣使街道の杉並木も含まれる。この旨が寄進碑に刻まれ、子息正信が建立したという。
 休憩をし、次は何処の駅へ歩くか検討。JR鹿沼駅は遠い。文挟駅へ戻るのはとうに諦めた。スマホ検索して東武日光線北鹿沼駅を探し、近くはないが何とかなりそうと例幣使街道を歩き続ける。もう杉並木はなく普通の大通り。

 親切な鹿沼の方 鹿沼武士地区へ至り、北鹿沼駅方向へと右折したら行き止まり。工場前で道を尋ねると、駅は未だ距離があるという。戻ろうとしたら車で送ってくれると言われ断ったが、結局鹿沼駅迄送って貰った。些少の謝礼も受け取って戴けなかった。ただただ感謝に耐えない。鹿沼の方は親切と、鹿沼出身友人へメールした。
 例幣使街道の前に、帰京するメンバーと下今市駅から追分地蔵と報徳二宮神社を巡った。二宮神社は、あの金次郎さんが幕府の役人として当地で農村復興策指導に貢献し祀られたらしい。(2022/01/10 K.K. 1428/1500)

◇日時 2021/12/19 ◇天候 晴れ ◇交通費 1,930円  ◇資料 日光市観光協会「日光市周遊観光ガイドマップ」2013 ◇歩行距離等 16,000歩 11㎞ 
「通過時間等」宿泊先8:50-東武鬼怒川温泉駅9:21-同下今市駅10:00=追分地蔵10:10=尊徳二宮神社10:15=JR今市駅10:36-同文挟駅10:55=例幣使街道11:05=小倉寄進碑11:30=鹿沼武士12:10-東武鹿沼駅12:37-JR北千住駅14:47-三田線巣鴨駅15:12-自宅15:45