大人の休日俱楽部パス2日目は会津若松である。会津若松城跡は2度(14.12.6他)訪ねたが戊辰戦争の史跡等は記録していない。これまでは只見線や磐越西線乗り鉄の際は乗り換えているが、市内は歩いていない。今回は飯盛山から滝沢本陣を巡り、会津坂下へと予定している。只見線利用だが過疎ダイヤである。
飯盛山、滝沢本陣 朝、駅前から飯盛山を目指した。フロントでは坂道で時間を要すると言われたが、その通りで、40分程で山下に着き、急で長い石段は隣のエスカレータを利用。白虎隊墓地は二度目(96.2.11)で少し記憶があった。直ぐ多数の修学旅行生がやって来たが、その間を一回り。端へ出て、市内の先に若松城を探したが見当たらない。落城を誤認し自刃したとされているが異説もあるらしい。約300人の隊士中19名である。軽く手を合わせ、カメラに収めた。小さな墓石であった。 山麓を下るとさざえ堂、そして洞窟堰があり、戸ノ口原で敗戦し白虎隊が引き上げた堰と思い出した。また下って滝沢本陣があった。藩主用休憩所で、重文指定という。受付がなく、弾痕や刀傷は確かめられなかった。市内へ戻り、バスターミナルで、会津坂下行きバスを待った。
バスで会津坂下へ 会津坂下は、若松の西方で奥会津の入口である。調べると春日八郎の出身地で思い出館があると分かった。作曲家猪俣公章や版画家斎藤清、そしてオリンピアンバスケの江川嘉孝の出身地と知った。バスは市内から西若松駅付近で只見線を渡り、郊外へ出たが坂下は、近くはなかった。町役場前先のバス停で降して貰い、左手先へと教えられた通り歩いたが田舎の道は遠かった。約1時間も歩いて、田圃の中に思い出館はあった。
春日八郎思い出館 春日八郎一色でレコードやピアノ迄展示してある。彼は上京後音楽学校で学んだと略歴にあり、あの美声はその所為だろうか。“赤いランプの終列車”、“お富さん”、そして“別れの一本杉”である。小学生の頃ラジオから流れ聞いていた。別れの一本杉を唄い切った同級生がいた。表には、その歌碑と杉の木、お地蔵さんもあり、カメラに収めた。管理人やその知人と談笑していたら、会津坂下駅へ車で送って貰うことになり、有難くお願いした。駅前にも春日八郎像と赤いランプの終列車の歌碑があった。13時46分発の会津若松行きに乗って、二日目を終えた。地酒は唐橋ユミアナ実家の会津誉とした。(2025/7/16K.K. 1609)
◇日時 2025/6/25 ◇天候 晴 ◇資料 会津若松案内図 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス+910円 ◇歩行距離等 19000歩 14㎞ 「通過時間等」宿泊先8:00=飯盛山8:50=滝沢本陣9:10=バスターミナル10:30-会津坂下バス停10:50=春日八郎思い出館11:50/12:50-JR会津坂下駅13:46-同会津若松駅15:30-同郡山駅17:06-上野駅18:25-三田線巣鴨駅18:40-自宅19:20 |