仙台在友人と震災地名取閖上地区を歩く

 青森から秋田へ奥羽本線を乗り鉄した後、秋田新幹線で仙台へ出た。友人と夕食を考えていたが、彼の家に泊まることになった。高校同級生で、卒業以来付き合いが続き、本記録の熱心な読者でもある。本格的に山をやり、磐梯山は彼の案内で登頂した(06.8.26)。現在は、私同様、奥さんに先立たれ1人暮らしだが、様々な方面で積極的に活動している。

 海へ広瀬川を下る 朝起床したら、本日朝市があるからと誘われ、同行。徒歩40分程と聞き朝の散歩に丁度良い。住宅街を過ぎると直ぐ水田地帯。当地は仙台市内だが、郊外のよう。清掃工場兼プール前から土手を上がると、大河がゆっくり下っている。広瀬川と知る。この辺りの下流では、あの青葉城恋歌歌詞の面影はない。河川敷には草木が生い茂り、鳥の囀りを聞きながら、海方向へ堤上を下る。左下は水田に農家が点在。
 目の前を仙台東部高速道路が走っている。この道路が津波を防ぎ、海側は津波被害をまともに受けたが、町側は大きな被害は受けなかったと教えてくれた。確かに土手下の農家住宅は新しいものではない。広瀬川は名取川に合流し、太平洋は近い。
 震災地閖上地区 歩き初めて40分なろうとしているが、朝市会場はまだ先。海岸が見えた地で、行灯松並木を右手に見て、閖上大橋を渡り名取市へ入ると、震災地とはっきり分かった。閖上(ユリアゲ)地区である。工事中の広い更地だが建つ家は疎らで、皆新しい。土手下に店が並び、”かわまちてらす閖上”。準備中の店があるが開店前。また工事中の区画から先へ進むと、新しい団地や住宅街があるがいずれも人が住んでいる気配は窺えない(写真上)。商店や病院、学校などのインフラ整備が未だのようだ。土砂の山もある。
 前方に小山があり、日和山で、海側の筈。山上の神社は流されたが、再興され参拝。裏に聳える一本の古い松は、津波に耐えたのだろう。道路を挟んで慰霊碑があった。案内によれば、当地は震度6強で、最大浸水高約9m、犠牲者約900名という。あの震災で、名取市も大被害の地と思い出したが、仙台の隣の当地とは知らずに来ていた。彼は、現場を見せたかったのだろうと想像。漁港の街であったが、現在はご覧の通りのまだまだで、一部水産加工工場は出来ているが、復興はこれからだろう。

 朝市で買い物 ようやく朝市会場に着き、長屋風建物の下に店が出ていて、買い物客で、込んでいる(写真下)。海産物や野菜などの食品が中心。屋台を覗きながら上下し、晩酌用肴を2.3品求めた。僅かな買い物では、支援にはならないだろう。
 彼は、帰りはバス停へ案内してくれた。徒歩40分の予定が倍近く掛かり、また歩いて戻るのはしんどく、ラッキー。名取駅へ出て東北本線で長町駅に降りタクシーで、Aさん宅へ戻った。
 お陰で、この度改めて津波の恐ろしさや大震災の復興状況を目の当たりにすることが出来た。(2019/07/17 K.K. 1268/1300)

◇日時 2019/6/23 ◇天候 曇り ◇交通費 2,150円 ◇資料 ふらむ名取「閖上震災を伝える会」 ◇歩数等 20,000歩 15km
「通過時間等」Aさん宅6:10=高速道路下7:00=閖上大橋7:15=日和山7:50=朝市会場8:00/8:20=閖上バス停8:30-JR名取駅8:49-同長町9:00-Aさん宅9:25/10:30-JRあおば通り駅10:49-同仙台駅11:30-同上野駅13:05-三田線巣鴨駅13:24-自宅13:50