JR東日本大人の休日パスの最終日に沼田城跡へ出掛けた。城跡公園にオミナエシが見頃との情報をまたテレビより得た。秋の花オミナエシは、薄黄色の小さな花で品があり、好きな花の一つである。前々日山形から帰り、1日休養日を入れ沼田行きとした。沼田城跡は二度目だが(92.11.17)、遺構を見た記憶はなく、今回はオミナエシ観賞が主である。
オミナエシは? 群馬の奥沼田は近くはない。高崎駅で新幹線から上越線に乗り換え利根川沿いに山中を走り、ダム湖先が沼田駅であった。駅前から河岸段丘へ上がる急坂は記憶がある。駅で入手したマップで確かめながら近道階段から市街地へ上がり大手口を直進し城跡へ。案内所に寄ると、大河ドラマ”真田丸”ブームが当城跡にも及んでいる。北條と争って昌幸が奪い守り抜いた信之の居城跡で、幟が立ち、出演者の来訪パネルも掲げてある。広くはない城内に先ずはオミナエシを探す。中央の花畑の一画に黄色の花は見付かった(写真上)。しかし、花は満開だが僅かな面積を占めているに過ぎない。私はテレビで紹介された程であるから、広い公園一面に咲くオミナエシの花を期待していた。シャッター2,3度切った
唯一遺構櫓台跡 遺構を求め城跡を彷徨く。直ぐ先が櫓台跡。石垣も遺る。奥へ入ると平八郎首石。昌幸の謀略で殺された前城主沼田氏の末裔平八郎の首が曝された石らしい。展望が開け名胡桃城跡から谷川岳まで見えるとあるが本日は雲の陰。大回りし天狗堂から本丸跡周辺だが、濠跡らしき窪地があるだけ。その外はテニスコートや野球場で、公園化されている。移築保存されている薬種商旧生方家住宅は見覚えがあった。
遺構は見当たらず、先程の櫓台跡(写真下)のみと気付き戻り、カメラを向けた。我が家の古い資料には石垣遺構の写真があるが、この櫓台と思う。
五代続いた真田沼田藩 本丸跡付近に信之、小松姫の石像が建っていた。私は、関ヶ原後信之は上田、松代へ移り、沼田は真田領ではないと思っていたが違っていた。嫡男信吉以下沼田藩主として5代91年も続いたという。家康が信之の加勢に気を配ったのであろうか。鐘楼もこの城跡のシンボルだが、資料によれば、城鐘は信吉時代のもので、当時三の丸櫓に時報用として吊されていたが、明治期からは役場に移され、現在では別途展示されているという。最後に、入口に三の丸土塁跡を見て、駅へと坂を下った。電車内で、パンフを読み直していたら、城跡公園の外にも、大手門跡や外濠遺構もあると知ったが、遅かった。帰り掛けに、沼田駅構内で、気になっていた迦葉山の大きな天狗の面をカメラに収めた。(2016/09/27 K.K. 1059/1100)
○日時 2016/9/6○天候 晴 ○費用 大人の休日パス利用 ○資料 沼田女子高校「真田の里 沼田の城下町満喫MAP」○徒歩距離 9km 12,000歩
「通過時間等」自宅9:35-JR巣鴨駅10:10-同上野駅10:38-同高崎駅11:33-同沼田駅12:25=沼田城跡12:45/13:30=JR沼田駅14:25-同高崎駅15:15-同上野駅16:10-三田線巣鴨駅16:30-自宅17:00