しなの鉄道で小諸城跡から碓氷峠を訪ねる

今年度2度目のJR東日本大人の休日倶楽部パス利用時期になった。1月末の1度目は大雪で利用を断念した。何処を歩こうか、何処へ行こうかと思い巡らしていたら、偶々軽井沢行きに重なった。4日間の内前半2日は、北陸新幹線で長野方面行きとする。新幹線の指定も出来るので、便利で利用し易い。

 雨で小諸城跡へ 先発組は上野駅から出発した。雨の予報で、高崎を過ぎると雨模様。夕方まで時間があるので、先に小諸城跡見学にしたいと伝えて、了承を貰った。城跡巡りなら傘を指しながらも出来、小諸城跡は駅から直ぐである。新幹線で佐久平駅迄行き小海線に乗り換え、終点が小諸駅。渡線橋を上下し城跡、懐古園へ。城跡内併設の記念館等もと入場券を求めた。
重厚な三の門(写真上)や左手の石垣を眺め、野面積みの大きな石に驚く。特有のクランク的に曲がる城内通路から壕切を渡って本丸跡。その前に藤村記念館へ。藤村は一時、千曲川旅情のうたで知られるように、当地にあった小諸義塾で英語等を教えていた縁で、遺品や関係資料が展示されている。熱心な見学に、時間がないと急き立てながら、本丸跡奥の旅情の詩碑から水の手展望台を案内。眼下に千曲川が流れ、同行者景色に感心する。私は、ダムが邪魔だと思う。

史料館、記念館 雨が降り出し傘を広げ、天守台下から懐古神社に軽く詣で、史料展示の懐古館に入館。武具から書簡まで色々あるが、目に付いたのは、幕末に起きた小諸藩牧野家お家騒動に、本家筋長岡藩から河井継之助がやって来て、解決したとある。小諸義塾記念館も覗く。明治26年創設の私立中学という希有な学校。教育県長野らしい。その隣に、”惜別の歌歌碑”があった。藤村作であるが、この歌は何故か中央大学の学生手帳にも掲載されている。作曲者藤江英輔が戦争末期中大在学時に作り、送別時学生間で歌い継いだらしい。駅へ戻り、集合時間もあり、しなの鉄道で直接軽井沢へ。旧信越線である。

 バスで碓氷峠へ 翌朝は晴天。近くのバス停から碓氷峠行きに乗車。別荘地帯を通り旧中山道を走り、峠に降りて、熊野神社へ石段を上がり、参拝。石段が県境で、左が長野、右が群馬とある。境内に聳える古木科の木は、旧国名信濃の由来らしい。群馬方面を眺め、東征の折の日本武尊の嘆き、”吾嬬者耶(あづまはや=愛しき我が妻よの意味)”伝説の案内を読んだ。
少し歩いて見晴台へ。正面の鋭く連なる岩峰は妙義山(写真下)。富士が見えるという右手へ進んだが、手前の八ヶ岳だけ。更に右奥に浅間山が姿を現しているが、異様な黒色の活火山に皆驚く。またバスで駅へ。私は、攻めて復路は歩きたいと思ったが、団体行動では仕方がない。駅で、帰京するメンバーと別れ、長野行きに乗車した。(2018/07/11 K.K. 1193/1200)

□日時 2018/6/23,24 □天候 小雨、晴 □交通費 大人の休日倶楽部パス、1,280円 □資料 小諸市懐古園事務所「懐古園」 □歩行距離 6km 9,000歩/7km 10,000m
「通過時間等」自宅10:00-JR上野駅11:10-同佐久平駅12:28-同小諸駅13:00=小諸城跡13:10-小諸義塾記念館14:20-しなの鉄道小諸駅14:57-同軽井沢駅15:30=宿泊先15:50
 宿泊先9:00-碓氷峠バス停9:20=熊野神社9:30=見晴台9:40=碓氷峠バス停10:10-JR軽井沢駅11:03