都電滝野川一丁目駅から山手線中里踏切へ歩く

 北区西ヶ原の本郷通りは日光への御成街道で、歴史が深く史跡等があり、これまでも歩いている。新しい情報を得て、再訪するが、新規なルートとし、駒込駅近くの中里踏切を加えたい。以前、十条地区の記録に埼京線の踏切は今時都内では珍しいと書いた(22.2.28)が、読者から山手線駒込駅付近にもある筈とご指摘があった。これを確かめたい。

 未だ遺る西ヶ原一里塚 出発駅は都電荒川線滝野川一丁目駅。西巣鴨新庚申塚駅から二つ先の駅で、初めての乗降。駅前大通りは住宅街だが、商店も点在する。西ヶ原へ向け歩き四辻で左折し、小路から本郷通りへ出ると、西ヶ原一里塚(写真上)。日本橋から二里目で、大正初期道路拡張で撤去されそうになったが、あの渋沢栄一が住民と奔走し遺ったとある(「とことこ散歩道639」21.6.18朝日)。当時渋沢邸は少し先の飛鳥山公園内にあった。一里目は東大先の本郷追分にあったが現在はない。道路を出たが、一里塚は対で、右側の塚を見逃してしまった。

 七社神社の石碑 次の七社神社は裏参道から境内へ。神殿前で参拝し、境内を見回す。左手に“枯松を祭る文の碑”があった。寡って近くに渋沢の別荘があり、庭の古松が枯れたことを嘆き悲しんだ渋沢が学者に依頼した碑文を自ら揮毫した石碑という(「とことこ散歩道640」21.6.19朝日)。カメラに収めて、境内を出た。
 社裏の狭い住宅街から高崎・宇都宮線付近へ出て、初めて崖端の線路沿いを歩く。先に上中里駅が見え始めた頃国立印刷局で右折し、坂を上がると滝野川公園。農業技術研究発祥の碑があり、明治時代農業技術試験所があったとある。

 平塚神社の歴史 隣の森内が平塚神社。後三年の役の帰途逗留した八幡太郎義家が祭神のようだ。平安時代豊島近義築城の平塚城があった。太田道灌に滅ぼされた石神井城主豊島泰経は平塚城へ逃れたと言われる。4月24日石神井城跡で、父泰経の後を追い入水した照姫のお祭りがあったと新聞で見た。

 山手線踏切 参拝後、本郷通りへ出て直ぐ左折し、聖学院を回り込んで、山手線を目指す。駒込駅、田端駅間に踏切はあった。第二中里踏切は、未だ田舎にある昔の儘のもの。電車が通過する度に警報が鳴り、左右のバーが降りる。その間を縫い買い物客が往来している(写真中、下)。思った程電車の間隔は短くはない。並行する高崎・宇都宮線は踏切下の地下通過。通過電車をカメラに収め、帰宅後件の読者に写真を送付した。(2022/05/17 K.K. 1449/1500)

◇日時 2022/05/01 ◇天候 曇り ◇交通費 160円 ◇資料 東京北区観光協会「北区観光ガイドマップ田端・滝野川エリア」 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅8:25-荒川線新庚申塚駅9:05-同滝野川一丁目駅9:10=西ヶ原一里塚9:25=七社神社9:35=滝野川公園9:50=平塚神社10:00=第二中里踏切10:25=JR駒込駅10:35-三田線巣鴨駅10:40-自宅11:10