羽越本線を乗り切り、途中の本莊城跡へ寄る

 秋田での二日目、本日は羽越本線で新潟行である。これまで、新潟駅、酒田駅間は数回乗ったが秋田駅からや秋田駅迄はない。日本海沿いの長い路線だが、直通特急が走っている。今回は、羽後本荘駅で途中下車し、本荘城跡を訪ねたい。最近調べて、山形の最上義光が戦国末期頃手を伸ばしたと知り興味を惹いた。

 秋田駅から羽後亀田駅を通過 9時過ぎ秋田発酒田行きの鈍行(写真上)で、羽後本荘駅へ向かった。新屋駅を過ぎると右手に海が見え始め、昨日訪ねた男鹿半島が見える。羽後亀田駅に着く。この駅は松本清張の“砂の器”で知った。被害者と犯人の会話がズーズーの東北弁で、その中にカメダの地名があったと刑事が情報を得て、当地かなと捜査に訪れたのであった。木造の小さな田舎駅だが、小説の実際は、鳥取木次線の亀嵩駅であったのだ。10時前に羽後本荘駅に着いた。

 鳥海山を眺めた本荘城跡 由利本荘市役所隣の高台に城跡公園があり(写真中)、本丸跡が遺っていた。本荘城は、別名は鶴舞城、尾崎城。
 山形の最上義光は東の関ケ原戦、慶長出羽合戦で勝利し羽後由利郡を手に入れ、慶長8年(1603年)尾崎山に本荘城を築き重臣楯岡満茂を配置した。最上氏が改易されると老中も務めた宇都宮藩主本多正純が左遷され移封されたが、1年後正純は横手城に幽閉された。その後横手の豪族であった常陸府中藩主六郷政乗が2万2千石で入封し明治維新まで続いた。本荘神社に参拝し、裏側から鳥海山を眺める(写真下)。出羽富士の山容は偉大も美しい。一時的にせよ山形の最上義光は鳥海山を越した遥か先まで支配していたのだ。本丸跡を出て、帯曲輪のような地を通って、濠跡を見下ろした。はっきりした遺構はなかった。

 象潟駅から庄内へ 羽後本荘駅へ戻り、新潟行特急いなほに乗車。左手に鳥海山が見え隠れする。陸の松島と呼ばれる九十九島の中に、蚶満寺が見えて、象潟駅に停車。奥の細道で芭蕉が訪ねて、境内に像も建つ。私も追っ掛けて来た(18.7.3)が、この時秋田へ出る予定が乗り遅れ新潟行となり、ここからは羽越本線は初めてではない。鳥海山も山裾で、海上には飛島が見え、吹浦駅を過ぎ酒田駅に着いた。庄内平野は稔の秋色であった。余目、鶴岡、三瀬、小波渡の各駅は中高時代から海水浴や部活の遠征で少しは知っている。初めて海水浴をした由良海岸は再訪したいが実現していない。

 羽越本線は? 新潟へ入り、岩稜海岸笹川流れを右に見て、村上駅を通過。一年前新潟駅迄は乗車したばかり(21.9.7)。新発田駅を越し、羽越本線は新津駅が終点で、新潟駅へは白新線と知った。(2022/9/29 K.K. 1473/1500)

◇日時 2022/09/12 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 「由利本荘市観光ガイドマップ」 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」宿泊先8:40=JR秋田駅9:07-同羽後本荘駅10:00=本荘城跡10:15/10:35=JR羽後本荘駅11:07-同新潟駅14:23-同上野駅16:33-三田線巣鴨駅16:55-自宅17:30