大人の休日俱楽部パスの最終日、宮城県の奥仙北地方にある涌谷城跡を訪ねることにした。最近城跡紀行を整理し始めて、未訪の城跡を巡っている。前々日も羽越本線で秋田に本荘城跡を訪ねた。本日は、涌谷城跡の後、白石城跡をも予定。しかし、宮城県も広く、順調に列車を乗り継いでも16時前後になる予定だが、体力も心配である。
小牛田から涌谷へ 涌谷城は、一国一城令下、仙台藩の要害となった仙北涌谷にある平山城である。城主は亘理氏で伊達氏の分家ではないが、後に伊達氏を名乗ることを許された涌谷伊達氏。手許の資料に紹介されそれなりの格式のある城だろう(「城郭と城下町1北海道・東北」130頁)。今朝新幹線で仙台駅に着いて東北本線に乗り、小牛田駅で石巻線に乗り換え二つ目の涌谷駅に下車し、小牛田を含め初めての地。水田地帯のよう。駅前通りを行き、町役場前から商店街を進むと橋へ出て、左手先に櫓が見えた。
涌谷城跡を見学 涌谷城は丘陵高台にあり江合川を天然の要害としている。もともと当地方の豪族大崎氏の重臣涌谷氏が城主であったが、小田原征伐に参陣しなかったため秀吉の奥州仕置きで没収され、伊達領となり、伊達氏の家臣亘理氏の居城になった。2代宗重は、1671(寛文11)年伊達騒動の当事者となり、大老の酒井邸で尋問中、伊達藩奉行(家老)で一関藩主宗勝の腹心原田甲斐宗輔に殺された(伊達騒動)。大老邸での事件もあったのに伊達藩はお咎めなしとなり、一方の一関藩の宗勝は改易となった。涌谷の宗重は宗家を護った功労者だろう。江合川に架かる涌谷大橋を渡り左折し、櫓を正面にし、川沿いに遡ると石垣の上に櫓が見えた(写真上)。現存城跡は細長い本丸跡で、唯一の遺構は太鼓櫓のみ(写真下)。模擬天守風の建物は史料館だが本日は閉館日。奥の涌谷神社に挨拶。境内右手に宗重像があった。
石巻線、仙石線、東北本線 涌谷駅に戻り、また石巻線に乗った。石巻駅に着き仙石線で仙台駅へと思っていたら、なんと途中で東北本線へ乗り入れた。しかし遅れて白石行にはギリギリとなり仙台駅は広く諦めた。
久しぶりの呑み鉄 帰りの新幹線は地酒一ノ蔵とホヤで呑み鉄になった。本日通過した小牛田出身の旧同僚や少し先の気仙沼出身の後輩がいて、呑み友でもありホヤを教えて貰った。2人は年下であったが早世され、生前を思い出しながら小さなコップを傾け、三陸産ホヤを嚙み締めた。当初ホヤは苦手であったが慣れて珍味となった。白石蔵王駅を通過した際、白石城跡は訪ねたことがあり(94.9.5)、メモが残ると思い出した。(2022/10/2 K.K. 1474/1500)
◇日時 2022/09/14 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料小学館「「城郭と城下町1北海道・東北」130頁 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅7:30-JR上野駅8:46-同仙台駅10:44-同小牛田駅11:36-同涌谷駅11:45=涌谷城跡11:55/12:25=JR涌谷駅12:52-同石巻駅13:55-同仙台駅15:23-同上野駅17:25-三田線巣鴨駅17:42-自宅18:15 |