都心後楽園から伝通院へ歩く

 今回の“我がまち再発見”は、水道橋・後楽園編であった(25.5.1、7讀賣夕刊)。プロ野球選手鎮魂碑や講道館が目を引いた。本郷のかねやすや弓町の大クスノキ等を回れば、それなりの里歩きとなろう。

 先ずは本郷から 三田線を春日駅で乗り換え本郷三丁目駅に降りた。旧中山道側へ出ると交差点の角がかねやすであった、“本郷もかねやす迄が江戸の内”と川柳に詠まれ、江戸期から続く店がある。大岡越前が火事を防ぐため瓦葺や漆塗りを認めた北限が由来らしい。春日通りを少し下って左折すると弓町のオオグスが聳え、樹齢600年、幹回り8.5mは健在であった。壱岐坂へ出て下り、白山通りを横断。東京ドームへと接近し下の道路の土手にプロ野球選手鎮魂碑はあり、眺めてカメラに収めた。76人の選手名が刻まれているというが、私が知るのは沢村と吉原だけ。熊工時代吉原は川上とバッテリーを組み捕手で期待されていたが戦死した。

 講道館 講道館の名前は知っていたが、後楽園にあったのだ。柔道資料館等を一巡り。展示内容では、嘉納治五郎や西郷四郎、三船久蔵を知っている程度。しかし子供の頃は漫画や映画で柔道物は多かった。漫画“いがぐりくん”は楽しんだ。世界中に広まり、オリンピック種目になって久しい。文京シビックセンター前から春日通りの坂を上がる。左手に中大理工学部があり、講義に週一通ったが、10数年前になる。

 伝通院へ 次の交差点を右折して伝通院へ。当院は家康縁の寺で、生母於大や千姫の墓があり、初めてではない。本堂前で軽く頭を下げて、墓苑へまわると二人の墓は目立ちすぐわかった。何故か幕末の志士清河八郎の墓もあった。私は善光寺坂を下り、三田線春日駅へ出た。坂上にはムクノキの古木と幸田露伴旧邸があった。(2025/5/29 K.K. 1603)

◇日時 2025/5/13 ◇天候 晴 ◇資料 “我がまち再発見”水道橋・後楽園編(25.5.1、7讀賣夕刊)◇歩行距離等 10000歩 8㎞                       「通過時間等」自宅8:55-大江戸線春日駅9:40-同本郷三丁目駅9:45=かねやす9:50=弓町オオクス10:00=野球選手戦没者慰霊祭10:15=講道館10:25/10:50=伝通院11:10=善光寺坂11:30=三田線春日駅11:42-自宅12:20